Kengo's blog

Technical articles about original projects, JVM, Static Analysis and TypeScript.

「マネジメント」で粘土あそび・専門家としての経験から考えるマネジャーの正しい活用方法

先週はマネジメントの5章まで読みました。この本を紐解く動機となった「専門家」に関する言及も出てくるようになり、それが「マネジャーとは異なる"手段"で組織に貢献する人材」であることを知りました。よくよく考えてみれば「専門家=professional」なわけで、もともと技術者のような人材に限らずすべての職業人に対して当てはまる言葉なのでしょう。なかでも技術者は特徴がわかりやすい分、マネジメントされやすいのかもしれないと感じています。
また執筆された時代背景のためか、ドラッカーが知的労働者と肉体労働者を違うものとして記述していることに興味を覚えました。知的労働者と肉体労働者の違いはそれこそ社会に貢献する"手段"の違いであり、本質は何も変わらないはずだと思うのですが……。


さて今回読んだ範囲ではマネジャーの定義とマネジャーが意識すべき事柄が多く述べられています。が、私がマネジャーではなく専門家である以上、その知識を自分の業務に直接役立てることはできません。そこで若干ひねった読み方を意識し、「マネジャーにとって困る専門家のあり方」を考えました。
そしてそれは「継続学習をしない」「必要な情報を渡さない」ではないかと考えています。

専門家としての学習の必要性

専門家である我々が継続学習を求められる、というのはごく自然なことです。専門性こそが専門家に希少性をもたらし、代替不可能な人材たらしめるからです。専門家が継続学習を指向しないことは専門性が伸びないことを意味し、新たな課題や複雑な問題の解決可能性を著しく損ないます。よって自発的に継続学習を行う必要があります。
もちろん自発的な学習をしなくても、業務中の機会を活かすことでも専門性を伸ばせるでしょう。しかし業界のトレンドを先取りした知識を得にくく、自発的な学習を当然と考えている専門家*1との差も開いてしまいます。他の専門家に代替されないという意味でも、専門家として責任ある仕事をするという意味でも、継続学習が必要です。

マネジャーが欲する情報=ほうれんそう

就活生が内定後に目を通すビジネスマナーの本では、必ずと言っていいほど「ほうれんそう」についての記述があります。報告・連絡・相談を正しく確実に行うことで、周囲にかける迷惑を最小化するとともに自身の仕事をしやすくするというものです。報告は仕事の進捗やアクションの結果を伝えること、連絡は逆にこれから行う仕事について伝えること、相談は今持っている選択肢に対して何を選ぶべきか意見を訊くことと言えます。
しかしこのほうれんそうを受けて、先輩方は何をするのでしょうか。私は明らかな無駄を省くこと、成長機会をつくること、最終的な成果を仕事として(対外的に)保証すべきレベルに保つことが目的であると考えています。そしてこれらはドラッカーが主張するマネジャーの役目に他なりません。特に報告は、モチベーション向上の点でもアウトプット(成果)を他者のインプットに繋げる点でも重要と考えられます。
つまりマネジャーが欲する情報こそがほうれんそうであり、専門家としてマネジャーを正しく活用するうえで欠かせない活動です。ほうれんそうをすることでマネジャーのコストを下げ、確度を高めることができます。

ほうれんそうを省くと時間を失う

ちなみに、ほうれんそうをしないことは時間の消失に繋がります。相談で省くことができたはずの無駄な選択肢に時間を費やしたり、成果と理想の乖離を追加工数によって埋める必要が生じたりするためです。また、失った信用を取り戻すのにも時間が必要になります。
時間は仕事において貴重なリソースであると同時に、プライベートを充実させるためのリソースです。このことからもほうれんそうの重要性が認識できます。



以上で「マネジャーにとって困る専門家のあり方」の考察を終えます。必要十分な考察にはなっていませんが、今後読書と実践を反復していく上でさらに考察を深めていければと考えています。

*1:この業界には非常に多い人種