「全然産まれそうな気配がないね。この分だと4月7日の金曜日に入院して、無理にでも取り出すことになりそうだね。」などと話していたのが3月31日。
それなのに、翌月曜日に検診に行ったら、「軽い陣痛が来ているので、明日の朝入院することにしましょう」と医者に言われた、とのメールを受けた。
4月3日月曜日、14時25分。会議中だった。
そうか。じゃあ今日のうちに当面の仕事はかたづけておかないと。
いよいよかなあ、なんて気持ちを漠然と感じながら、15時から次の打ち合わせ。30分ほどで終わってデスクに戻る。週末の定例会議の資料作成に少し手をつけた。
16時40分頃から、自席の近くでまた別の打ち合わせ。途中で携帯メールが来たが、構わず続けた。17時30分頃終了。
しばらくして、先ほど来た携帯メールを見てびっくり。
急におなかが痛くなってきたので、今から入院するって。着信時刻は17時ちょうど。
「早く行ってあげた方がいいですよ」と同僚に促され、職場を出たのが18時5分頃。電車とタクシーを乗り継ぎ、病院には18時30分過ぎに到着。
広い病院。どこに行ったらよいか分からず、通りかかった職員の方に産科の場所を聞く。エレベーターを降りて左手に目をやり、不安そうに座っている義母を見つけた。
待合いコーナーで待っているように言われたとのこと。他に3人ほどの人がいたが、ほどなくどこかへ行ってしまわれた。子どもが産まれた直後のような様子だった。
5分ほどもそこにいただろうか。さあどうぞお入りください、と助産婦さんが呼びに来た。使い捨ての「かっぽう着」のような青いエプロンを着せられて、陣痛室というところに入る。「旦那さん到着されましたよ」と見ると、妻が体の左側を下にして、つらそうに寝ている。
「痛いよ…。我慢できないよ…。」日頃は少々のことでは文句や弱音を吐かない妻だが、さすがに苦しそう。汗まみれで顔を歪めている。
腰を押してくれ、さすってくれと言うので、僕もベッドに半座りになり、腰骨の上あたりをぐいぐいと押した。妻の苦しさに比べれば、指が痛いなんて言っていられない。夢中でマッサージを続けた。
ずっと痛いわけではなく、周期的に痛みが襲ってくるようだ。時折「いたたたたた」とうめく。マッサージはあまり速いテンポでやってもだめで、ぐいっ、ぐいっと強く押し続けるのがよいようだ。
陣痛室は1部屋をカーテンで2つに仕切ってあり、お隣にも妊婦さんがいた。比較的落ち着いた口調で話しているのが聞こえる。一方こちらは「うーん、あー、んー、あーっ」とかなり大変。
食事はしたのか、と訪ねると、昼食は取ったが夕食はまだとのこと。多少何か摂った方がよろしいですよ、出産には体力がいりますから、と助産婦さんに言われ、紙パックのジュースと、ゼリーのカロリーメイトを義母が買ってきてくれたが、少し口をつける程度しかできない。今まで経験したことのない激痛に耐えるだけで精一杯のようだ。本当に可哀想に思うのだが、こればかりは、薬や注射で痛みを和らげるというわけにはいかない。いろいろと姿勢を変えながら、気がつくと2時間以上も妻の腰を押し続けていた。
その間何度か、助産婦さんが様子を見に来る。ベッドの際には地震計のような機械が置いてあり、160とか170とかいう数字がちらちら出ている。血圧ですか?と尋ねると、「これは赤ちゃんの心拍数です。赤ちゃん元気ですよ~」とのこと。
時折「内診しましょう」と声がかかるため、僕は陣痛室を出る。20時30分過ぎ、「まだ子宮口が5cmくらいですね。10cmくらいにならないとだめだから、もう少しかかりますね。まだいきまないようにしてくださいね。」と言われる。
病院到着直後には、24時を超えて産まれるかもしれないと言われていたので、もう少し早まりそう。
地方在住の僕の両親にも、状況を電話で話した。
しばらくすると、隣の妊婦さんが分娩室に運ばれていった。ほどなく「オギャー、オギャー」という泣き声。ああ産まれたんだなあ、よかったなあ、おめでとう、と自分の子ではないが感動。苦しそうにしている妻も、目を閉じてうなりながらも、ぱちぱちと小さく拍手。
隣にいる人を気にしなくてよくなったということも手伝って、痛みをこらえる妻の声がだんだん大きくなってきた。僕も一生懸命、腰を押してやる。義母もベッドの脇に座り込んで、心配そうにしている。
時間の感覚がなくなってきた頃、「あーもうだめ!出そう!いきみたい!」妻がそれまでとは違う感じの、大きな声を出した。ナースコールをして、助産婦さんに来てもらい、内診。
そして、「そろそろ分娩室に行きましょう。子宮口は9cmくらいになりました。」と言われる。時刻は21時20分過ぎ。ずいぶん開くスピードが速まったんだなあ。
ベッドから起き出してきてよろよろ立ち上がった妻を支えた。肩を貸して、隣の部屋へ。入り口を少し入ったカーテンの先に分娩台があった。あとは妻にお願いするしかない。「じゃあ、頑張ってね!」と別れた。
かっぽう着を着たまま、待合いのソファーで義母と待機。いろいろと話をしたはずだが、うわの空でほとんど覚えていない。ただまあ分娩台に上がったのだから、ほどなく産まれてくるんだろうなあ、でもどれくらいかかるんだろう、30分か、1時間か…などと考えながら、義母が買ってきてくれたお茶とサンドイッチを口にした(「飲食禁止」と大きく張り紙がしてあったのに、後で気がついた)。
そしてしばらくして、分娩室の方の自動ドアが開き、先ほど何度かお会いした助産婦さんが。
「産まれました。21時45分。元気な男の子ですよ!」
えっ、男の子?!
思わず、義母と一緒に、椅子から立ち上がってしまった。
実はお医者さんからは、超音波で調べたところだと、たぶん女の子でしょうね、と言われていたのだ。
それで妊娠中も、ある時期以降は女の子の名前で呼びかけをしていたし、さっき苦しんでいた妻も、女の子の名前を呼びながら、「頑張れ、頑張れ」って言ってたし。
ふーむ。
まあともかく、無事に産まれたようだ。
分娩室に行ってから、30分も経っていない。
病院に来てから4時間くらいか。早い早い。
一晩中ずっとここにいる覚悟だったから、びっくり。拍子抜け。
「ちょっと待っててくださいね」と言って助産婦さんは行ってしまったのだが、それからなかなか現れない。そのまま30分が経過した。
産まれた後はお母さんの処置とかいろいろあると聞いていたが、それにしても長い。長い。長い。
そういえば、産まれた子どもの泣き声を聞いていない。
さっきは、隣の子の泣き声がずいぶん派手に聞こえたのに。
どうかしたのだろうか。大丈夫なのか?
あまりにも長いので心配になって、分娩室の近くまで行ってみた。特に医者が慌てているような様子でもなく、至って静か。
見覚えのある助産婦さんが僕に気づき、「…まだ、お呼びしてませんよね。」
「あ、はい。」
「もう少しお待ちくださいね。」
再び待合いに戻ってきてしばらくして、ガラス越しに人影。
「お待たせしました~」
現れた助産婦さんが抱いていたのが、産まれたばかりの赤ん坊。
急いで駆け寄った。
おお。
赤ん坊は、まだ髪が濡れたような感じで、白い布にくるまれていた。
肌はピンク色。目を大きく開け、一生懸命に何かを見ようとしているかのようだった。
「お父さん、抱っこしてあげてください~」
え、抱っこしていいんですか?
おそるおそる、抱き取った。
意外に重い。3410gと聞かされた。
産まれたばかりの赤ん坊のイメージというのは、小さくて、猿のようにくしゃくしゃの赤い顔で、ぎゃんぎゃん泣いている、というものだったのだが。
全く泣いていない。
きょろきょろしながら、指をもうしゃぶり始めている。
その指に、小さな爪がついていることに気がつき、感激。
でも、うれしくて感動、というより、今日午後の急転直下の展開に、びっくり、びっくり、というのが、このときの正直な気持ち。
義母にも抱いてもらった。赤ん坊を抱くのは久し振りとのことで、慣れない感じだ。
いったん赤ん坊に分娩室に帰ってもらった。実家の両親に電話。大いに喜んでくれた様子。
またしばらく待たされて、今度は分娩室に入れてもらった。
今度は赤ん坊は、母親の脇に添い寝をしていた。
赤ん坊の顔を見つめている妻の、まだ母親の顔という感じではなく、とにかく頑張ったよ、大仕事を終えたよ、という安堵の顔を見たとき、今夜初めて、僕の胸にこみ上げてくるものがあった。感激して涙ぐみそうになるのをぐっとこらえた。
つらいのをよく我慢してくれたね。ありがとうね。
その後、妻は赤ん坊に、初めてのお乳をあげた。
もっとも、この時点ではまだ母乳はあまり出ないようである。お乳を飲むことを赤ん坊に教えるのが目的とのこと。
赤ん坊はしきりに口を動かしている。上手に飲めそうだ。
まだ当分時間がかかりそうなので、後は僕が付き添うことにして、義母にはひとまず帰宅してもらった。明日の昼過ぎにまた来てくれるということだった。
待合いのソファに座っていると、おなかの大きな女性と、つれあいとおぼしき男性が現れた。これから入院のようだ。二言、三言、言葉を交わして、奥さんは陣痛室の方へ。ああ、この人たちも今から出産なんだなあ。心配そうな男性と、少し話をした。こちらも初産らしい。
その後しばらくして、赤ん坊は新生児室へ。途中、体重計の上に無造作にぽんと置かれたのには驚いた。思わず脇に立って息子を守る、新米の父親…。
妻はしばらく分娩室で休んで、2度ほど検診を受けた後、病室に一緒に戻った。
まあまあ元気そう。
やれやれ。
本当にお疲れさん。
明日は会社を休ませてもらうことにした。いったん帰宅して、明日の朝、また見舞いに来よう。何か欲しいものがあるかい、と尋ねると、ミネラルウォーターを水筒に入れて持ってきて、と言う。妊娠が分かってから宅配してもらっているもので、まろやかな味で相性がよいようだ。了解。
病院を出たのは午前3時10分頃。実は、昼も夜も大したものを食べていなかったので、近くのファミレスに立ち寄り、ドリアと野菜ジュースを注文し、おなかを落ち着けた。
店には10人程度の客がいた。病院の近くということで、いろいろあるんだろうな、などと想像してしまう。熟睡している人が2人。店員さんも慣れているのか、特に注意したりはしない様子。
男の子か…。
一緒にボールを投げたり、蹴ったり、なんていう楽しみが出てきたな。
もちろん、女の子だったとしても、いろいろスポーツをやらせたり、観戦に行ったりというのは考えていたが、男の子だと、自分が男だからということもあるが、いろいろなことを教えてやれるし、競技の選択肢が広がるような気がする。
未来のアスリートの誕生!
アスリート、なんて大げさに言ったけれど、プロスポーツ選手になれとか、オリンピック選手にしたいなんて思っているわけではない。
(両親とも、運動神経はそんなにいい方ではないので…)
ただ、いろんなスポーツを楽しめるようにはなって欲しいなあと思う。
それによって、体が丈夫になると思うし、勝って大喜びしたり、負けて悔しくて大泣きしたりして、豊かな感性が育つんじゃないかな。
それくらいの、ささやかな期待です。
帰宅して、風呂には明朝入ることにして、とりあえず着替えるだけ着替えて寝た。激動の1日がこうして幕を下ろしたのであった。
ちなみに、僕の両手の親指・ひとさし指は、まるで突き指をしたような痛さが、その後1週間経っても消えなかった。
<追伸>
・産まれた時刻は、後に「21時46分」に訂正された。
・後で分かったことなのだが、この夜は6人の子どもが誕生したらしい。
・隣の陣痛室にいた人は、朝早く入院して、夜9時過ぎまで陣痛に耐えておられたらしい。
・翌朝9時半頃に面会に行った際、前の夜に待合いで少し話しをした男性に会った。まだ産まれていないとのことだった。
・そういう話を聞くと、うちのケースはかなりの安産だったみたいに思う。
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