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今回は、
4.Subsidiary accomodation : late 13th and early 14th centuries の章の紹介です。
この章は、次の節に分れます。数回に分けて紹介することになると思います。
Building and documentation on Christ Church Priory manors
Documentary evidence
Solars and chambers
Garderobes
Upper end accomodation in stone houses
Layout and circulation
The form and use of ground-floor rooms
First-floor chambers and chapels
Nurstead Court
Lower-end accomodation in stone houses
Layout and circulation
The first floor : access and accomodation
Subsidiary accomodation in stone houses : conclusion
Subsidiary accomodation in timber-framed houses
Cross wings
Evidence for secondary rooms in single-range structures
The form of early timber ends and the reasons for their disappearance
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今回は、以下の部分
4.Subsidiary accomodation : late 13th and early 14th centuries
Building and documentation on Christ Church Priory manors
Documentary evidence
Solars and chambers
Garderobes
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4.Subsidiary accomodation : late 13th and early 14th centuries :
13世紀後期~14世紀初期の附属建屋
hall のある建屋は、中世の住居で最も重視されていたと言ってよい。
しかし、これまで触れてきた事例は、その建屋だけ独立して存在することはまったくなく、すべてかならず付属の建屋をいくつか備えている。ただ、その全容、正確な形式はほとんど解明できていない。これは特に木造建物で顕著であり、その建屋の役割も一定ではなく説明に苦しむ点が多い。
そこで、石造家屋の附属建屋と石造・木造混淆の建物の附属建屋についての検討から考察を進めるのが適切だろう。
これまで、14世紀後記以前には、
hall の
上手側と
下手側は、取り立てて区別はされてはいなかった、と見なされてきた。
しかし、ケントの諸事例は、これは事実ではないことを示唆していて、1300年代には、建屋は
hall の
上手、
下手の両方向に展開し、
上手側には特別の意味が与えられ、
下手側はサービス用の附属部とされる例が多い。
石造および石造・木造混淆の1280~1350年代の建設と見られる14事例のうち、10事例は、
上座側(
dais のある側)が
hall の
上手にあり、実態が分らないのは、上部架構がすべて消失してしまっている1事例のみである。また、6事例は
下手側に附属屋あるいはサービス部を有し、3事例にもその痕跡が遺っている。
このような事実から考え、住居は一般に
hall の
上手、
下手の両側に附属屋を有していたことは明らかで、記録や遺構は、その用途も定まっていたことを示している。
註 原文の
high and low end of the hall を「
上手側」「
下手側」と解しました。
原文のこれまでの解説から、
hall の屋根・天井の高い方=
high end としているもの、と解したからです。
これまで紹介した解説図で、一方が「寄棟」、他の側が「切妻」形の屋根・天井の場合、「切妻」の側が
high (end) となっています。
つまり、感じられる天井の高低で
high 、
low と区別し、高く感じられる側を、その空間の中心:上座( dais を設ける側)と見なしていると解したのです。
dais :演壇、台座など、その空間の中心:目が自ずと集中する場所というような意と解されます。
ただ、私見ですが、一概にそうとは言えず、屋根・天井の低い側、寄棟形の端部の方が中心と感じられる場合もあるように思えます。
むしろ、この「感じ方」は、その空間へどの位置から出入りするか、その空間への出入口の位置が決め手ではないか、と私は考えます。
Building and documentation on Christ Church Priory manors
Documentary evidence
EASTRY の修道院長の
備忘録(
memorandum book:資財帳・会計簿の類か? )から、1300年代の官邸に備えられていた附属部の姿が分る。
この記録は、
CHRIST CHURCH の邸宅が、修道院によって管理されていた当時の状況に関する記録でなので、修道院の官邸・家屋は一般の人びとの家屋と同一であるとは考えられず、資料の検討にあたってはこの点に留意する必要がある。
もっとも、
CHRIST CHURCH 修道院の 現存する石造5事例は、知られている一般の7事例および牧師館2事例ときわめて似た附属部を備えていたことが分っている。多分、一般の人びとと教会関係者では、部屋の具体的な使いかたなどは異なっていたのだろうが、それが全体の形状に影響を与えることはなかった、と考えられる。
それゆえ、個々の建物事例について検討する前に、先ず
CHRIST CHURCH 修道院資料について詳しき検討してみたいる。
memorandum bookには、1285~1322年に建てられた建物が一覧表になっているが、1318年より後の事例は実際には記録されてはいない。つまり、その領地内で為されたすべての建設が記録されているわけではない。70を越える事例は、ケント地域の22の領地・荘園内の住居用建物に関する記録で、いずれも既に分析されている。その多くは、
novus の名で存続しているが、改築や増築が為されて形の変っている場合が多い。また、その一覧表には、33年間を通して記録されている邸宅がいくつか在る。それらに特に大きな関心が寄せられていたものと思われる。こういう特定の建物に集中する時期が、2回以上あったことが記録に見える。一方、単年度に一つというような独立した建屋(たとえば、
hall 、
private apartment 、
chapel 、
kitchen など)の建設の記載は少ない。同様に、個人的な事例の記載も少ない。
例えば、
CHARTHAM で為された記録で言えば、以下のようになっている。
1292年に門番小屋新設(囲障工事を含み、工費 67s 3d)、1302年に
chapel と 石造の
garderobe 新設、工費£38 10s 0d 、1303年に
hall 、石造
chamber 2棟と暖炉および諸設備の新設(工費£70 18s 9d )、1304年に
kitcen と
dairy の新設(工費、
barn を含み£6 17s 9d )。
そこに記載されている工費の説明から、
CHARTHAM の建物の大半は、2事例に明記されているように、いずれも石造の附属的な用途の建屋であったことを示している。おそらく、この時期の建設以降は、
Prior Chillenden になるまでは、14世紀後期に於いて、目だった工費をともなう建物の改築・改修はなかったと思われる。
註
dairy : 搾乳場、バター・チーズ製造所
barn : 納屋、物置、家畜の小屋
いずれの語も、何を指しているかは、事例の詳細を見ないと分りません。
Prior Chillenden :修道院長の名か?
この2時期の£60を超える工費を要した工事は例外的であるが、£40以上の巨額な工費を要した例が、
MONKTON と
GREAT CHART にもある。その頃の多くの邸宅の改築などの工事は、せいぜい工費£30前後あるいはそれ以下があたりまえであった。
COPTON や
MERSHAM の大きな石造遺構は14世紀初期の事業であることが分っているが、
memorandum bookには記載がない。これは、それらは明らかに14世紀初期の建設ではあるが、
memorandum bookの記載が途絶える1322年以降の工事であることを意味している。
memorandum bookにあるケントの事例についての記録を詳細に考察すると、部屋の
呼称・用語法と
用途の点で興味深く重要な点がいくつか浮かび上がってくる。
hall 以外の部屋の呼称では、
chamber が18例、
solar が16例、
chapel が22例、
garderobe が15例、
service room がらみの名称が5例、
cellar が3例である。
註 cellar : 貯蔵庫。元は物置や倉庫に使う穴倉・地下室のこと。ex : wine cellar
Solars and chambers
先ず、
solar と
chamber という語の意味と用法について検討する必要があろう。
この二つの語は、ほぼ現在の
drawing room 、
lounge 、
sitting room 、
living room とほぼ同等、あるいは類似の意と見なしてよいかもしれない。
memorandum bookは、おそらく、一人の筆記者が原資料(各種事例ごとに作成者は別人である)を忠実に筆写したものと考えられるが、この二つの呼称の使いかたを詳細に見ると、それが、異なる場所の異なる用途に対応していることが見えてくる。
1853年、
PARKER 氏は 、
main private chamber に論及した上、
solar の語は、しばしば、離れ屋の上階の
room を指していることを指摘している。
また、最近では、
BLAIR 氏が、
SOUTHWARK 修道院がその領地に建てた13世紀後期の建物の分析を基に、
solar は諸設備を備えた(主屋に接して直交して建てられる)独立の建屋(上階にいくつかの
room がある)を指すのではないか、との見かたを提示している。
両者の見解は、
CHRIST CHURCH 修道院の記録にも適合するが、、
solar と
chamberの用法を完全に説明できているるわけではない。
註 各呼称の「英和中辞典」の解説は以下の通り。
drawing room:「客間」「応接間」の意。←draw(動詞):引き寄せる。寄り集まる。
lounge:英国では「居間= sitting room 」の意←lounge(動詞):ぶらぶらする、ゆったり横になる
sitting room:英国では「居間」「茶の間」の意。←sit(動詞):座る。
living room:英国では「居間」=sittinng room、lounge room (家族がくつろぐ一家の中心となる部屋、応接間としても使われる)。←live(動詞)
solar の呼称の使われている16例の他に、住居用の諸室とは完全に離れ、厩舎や家畜小屋を併設した事例が3例ある。
これは、
PARKER 氏の言う「
solar は、離れ屋の上階の部屋の呼称」との説に符合する。
しかし、他の事例では、
solar は必ず
主屋のなかに在る。5例では
solar は新しい
hall とともに建てられ、3例ではサービス諸室とつながっている。どの例も暖房はない。3例のうちの一つは
GREAT CHARTの
COURT LODGE の遺構であるが、それに関する1313年の記録には、「
配膳室(
pantry )と
食品貯蔵庫(
buttery )を備えた新しい
hall とその上階に
solar 」と記載されている(
fig17:下図参照 )。
現在の
COURT LODGE の建物は、
下手側が三つに分れ、その中央の通路がサービスの部屋を二分していて、そしてその上階に部屋がある。この建築的な様態と記載されている記録は、
solar の呼称が、「 hall に近接する上階の部屋で、なおかつサービス諸室側の上階の部屋」との説と確かに符合する。
chamber もしばしば
hall につながる。18事例のうちの5例については、
solar と同様の形で
hall に接している。しかし、実際には相違点がある。うち3例は暖炉で暖房され、6例では
chpel を併設している(これに対して、
solar と
chapel の組合せが2例ある)。
更に
chamber を設ける場合のコストは、平均で£27、
solar の場合は£19である。これらのことから、
chamber は通常
solar よりも豪華で、より特定の目的をもった部屋を指していたと見なせるのではなかろうか。
chamber は、離れ屋( outbuilding )にも在る。ただし、その2事例は、特定の使用者の部屋、すなわち、修道士の
chamber と従者の
chamber である。
また、
chamber の語は、
solar とは異なり、特定の場所を示す語として使われることもある。
ADISHAM には、
camera armigerorum 、
CHARTHAM には、
camera mainora と呼ばれる部屋がある。更に、地上階の例も2例あり(
camera basse )、一つは庭園の中に在る。1例だけサービスの部屋を指している。それは、食糧置き場で、
chamber の附属室と考えられるが、15世紀初期の
MARGATE の
SALMSTONE GRANGE(
St Augustine's Abbey に属する) に関する記録では、配膳室(
pantry )と食品貯蔵庫(
buttery )の上階の
chamber を指している。この例は、
COURT LODGE の
solar ( fig17:前掲図)とそっくりである。
註
>camera≒
chamber
これらのことから、
chamber の語は、ある特定の用途の部屋の呼称に使われていることが明らかになる。
いくつかの事例では、家屋の上手側にある
chapel に次いで上等の大きな部屋を指し、
hall 以外で唯一暖房のある部屋でもある。現存する
SHELDWICH の
COPTON 邸(
manor ) がその例である( fig18 下図再掲 参照)が、残念ながら
memorandum bookには記載がない。
しかし、
COURT LODGEでは、
hall の上階あるいは南東端の小さな増築部の地上階及び上階の出入口は、現存の1313年建設の hall 及び今は消失している1311年の建屋(
memorandum bookに拠れば、
chapel と
garderobe を備えた
chamber があった)の
solar 部分に先立つ建設と思われる。
CHRIST CHURCH 修道院の邸宅で、他の14世紀初期の建物に比べ多額の費用をかけた
hall の上手側の部屋が頻繁に取り壊されるなどということは、奇妙に思える。これは、たまたまそう結果したにすぎないのかもしれないが、煖房付の
chamber 、
chapej 、
garderobe で一組となる部屋は、日常の用途のためではなく、客用(修道士とは限らない)のしつらえであった、という解釈も成り立つ。しかしこの上等の部屋の部分は、14世紀後期になって土地が小作に出されるようになると、使用する必要がなくなり、他の部分に比べ、長い間放置されるようになったためだ、との解釈である。
また、上階の上手側の部屋を示すにあたり、
chamber の語は、階上階下を問わず、他の目的の
living room を示す場合に用いられている(その際は、「誰のための部屋」であるかが特記される)。ただ、
memorandum bookには、
chamber の語が、特別の用途のための一画を指す語として使われている例はない(
STROOD の
TEMPLE 家では、そのような場合に使われている)。対照的に、
solar は比較的小さい暖房もない
hall の
下手側に在る場合が多いようだ。おそらくそれは、当主の仕事場・書斎か、使用人の部屋だったのだろう。
solar の語は、離れ屋の上階にも使用例がある。おそらく単に上階に在る家事用の部屋を指しているものと思われるが、確かなことは言えない。
その土地・建物の借主が、その地で暮して働いていたのか、他の場所から訪れてきて働いていたのか、によっても建物の使用様態が違っていたのではなかろうか。
註
solar の語について 、wikipedia には、次のように解説されています。百科事典の解説からの引用のようです。
The solar was a room in many English and French medieval manor houses, great houses and castles, generally situated on an upper storey, designed
as the family's private living and sleeping quarters.
In such houses, the main ground-floor room was known as the Great Hall, in which all members of the household, including tenants,employees and
servants, would eat. Those of highest status would be at the end, often on a raised dais, and those of lesser status further down the hall.
But a need was felt for more privacy to be enjoyed by the head of the household, and, especially, by the senior women of the household.
The solar was a room for their particular benefit, in which they could be alone and away from the hustle, bustle, noise and smells (including cooking
smells) of the Great Hall.
The solar was generally smaller than the Great Hall, because it was not expected to accommodate so many people, but it was a room of comfort
and status, and usually included a fireplace and often decorative woodwork or tapestries/wall hangings.
In manor houses of western France, the solar was sometimes a separate tower or pavilion, away from the ground-floor hall (great hall) to provide
more privacy to the lord and his family.
Garderobes
memorandum bookに頻繁に出てくる部屋の呼称には、他に
chapel と
garderobes がある。
前者は説明を要しないが、他の附属諸室との関係は明らかでない場合が多い。
後者
garderobes は、解釈に悩むもう一つの語である。
現在は、
latrine (便所)の婉曲的表現として通常は使われる。しかし中世には、
wardrobe (衣裳部屋)を意味していた。部屋内の収納小部屋(
closet)や物置部屋(
storage )のことで、
close stool が置いてあったり、あるいは
latrine に通じていた。
註
close stool :設備用配管のなかった時代に使われた椅子様の便器(移動可)
また、
latrine 自体も、
camera privata あるいは
privy chamber と呼ばれていたようである(いずれも後世には別の意味を持つようになる)。
latrine は、王宮ではよく地上階に置かれていて、通常他の諸室とともに、附属室を構成する一室であった。
CHRIST CHURCH 修道院に遺る痕跡は、王宮の記録と一致している。
記録のある
garderobes 15事例のうちの3例だけが独立の部屋であり、他は、
chamber と併設が2例、
chapel と併設3、
chamber 、
chapel 併設3、
solar が4、
cellar 併設が1例である。現存の建物の中で、これらの部屋を比定することは難しい。それらの部屋は、主屋に設けられることがなく、概して現在は取り壊されてしまっている増築部分あるいは突出した部分に設けられていたように思えるからである。
GREAT CHARTの
COURT LODGE では、
garderobes/
wardrobe は
solar から突出していたらしい(
fig17参照 )。この部分は主屋に増築されたらしいが、
memorandum bookでは触れられていない。そこは二階建てでその東面から
latrine (便所)が突出していた形跡がある。前掲の
COPTON 邸( fig18 )の下手側にある同様の位置の建屋も
wardrobe と思われるが、その大きさから、そこは独立の
chamber block (居住棟)で、二階部分は
knight、あるいは
servant 専用であったのかもしれない。現存はしないが、かつて既存部への増築部がしばしば行なわれたことは、例えば、
COPTON 邸の
chamber block の壁に出入口があったり、
MERSHAM 邸(
fig19 下図)のように、下手側上階の部屋の壁に出入口のある事例の存在しているからも分る。
上下階両方に出入口があることから、
COPTON 邸は
wardrobe を備えていたのかもしれないが、あるいはそこには
chapel があり、更に離れて別の建屋へと通じていたのかもしれない。また、
MERSHAM 邸の二階にだけあるたくさんの小さな出入口は、独立した別棟へ通じるのではなく、
latrine への出入り口だったのかもしれない。これらの考察は、確かな建築的痕跡がないので、あくまでも推測の域を出ない。
つまり、
garderobes/
wardrobe は住まいのなかで重要な部屋ではあるが、その場所を現存の遺構建物内で比定することは難しいという
MARGARET WOOD 氏の知見以上のことを、今のところ、誰も言い得ないのである。
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以上で今回の紹介は終りになります。
次回は
Upper end accomodation in stone houses
Layout and circulation
The form and use of ground-floor rooms
First-floor chambers and chapels
Nurstead Court
の項の紹介予定です。
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この項の筆者の読後の感想
hall 、chamber 、solar の語は、前回までの部分でも出てきましたが、あえて深入りしないで済ませてきました。
一番悩ましいのは hall が日本の住まいの何処に相当するのか、という点です。
どうも、出入口から入ったところに先ず hall があり、続いて chamber 、あるいは solarが展開する、というのが彼の地の住まいの構成のようです。
作業場、納屋などは別置される。
日本の農家や商家の場合は、先ず「ドマ」に入る。そこから奥に上足・座式の「デイ」「「チャノマ」「ナンド」「ネマ」などが展開する。
chamber 、solarは、「デイ」「チャノマ」などに相当する、と言えるかもしれません。
しかし、hall を「ドマ」と同等と見なすには無理がある。「ドマ」には作業場、家畜小屋などまで含まれる・・・・。
そこで次のように考えました。
原初の住まいは、彼の地でも、ワンルームの一つ屋根の「空間」であって、それがすなわち hall と呼ばれる場所。
そして、その一つの「空間」を適宜に使い分けていたのは、彼我で違いはなかったと思います。
使いかたが固定し、なおかつ広くしたいとき、日本では、一つ屋根を大きくし、それを仕切る策を、彼の地では、別室を増補する策を採った。
そうなった後も、彼の地では、住まいの根幹部として、 hall は残り、hall +αの形式になる・・・。
この彼我の違いは、多分、材料・架構法・構築法の違いに拠るのではないだろうか・・・。
近代日本は、彼の地の「形式」だけ移入し、「住まいの原理」を見失った・・・。
今後も思案します。
なお、いままでのところ、彼の地の人びとの暮しの様態が、未だに詳しく浮かび上がってきません。