[タイトル変更、文言補訂 23.48][註記追加 6月28日 18.15][註記追加 6月29日 11.20 12.53]
水戸から国道6号:水戸街道を東京方面へ走って土浦へ至ると、市街を西に大きく迂回する「土浦バイパス」にさしかかる。以前は、谷田部の高層気象台の鉄塔が見えるだけだったが、最近はそのちょうど右手に、つくばの町並が、というより、最近急増した高層ビルの頭が、霞んだ空気越しに田園の上に浮び上る。
言ってみれば、TVの映像で時々見るドバイやラスベガスの町同様の異様な風景である。周辺に圧倒的に広がる「地」にそぐわないからである。
最近送られてきた建築雑誌購読勧誘の冊子に、いま注目を浴びているらしい建物:ビルの写真が載っていた。
その中で私の目を惹いたのは、「捩りドーナッツ」を垂直に立てたような形のビル(もちろん、ドーナツ色ではなく、ガラスと金属の色)、「だるま落しをやっている最中かのように、数層ごとに右左にズレているビル」(頚椎ヘルニアのX線写真のような感じ)。
「目を惹いた」と書いたが、もちろん「魅せられた」わけではない。「呆れた」だけ。私の感覚は、相当に時代遅れらしい。なぜなら、私が呆れるものを、雑誌は「重要視」しているらしいからだ。
そして、突飛だが、いまや日本は、ラスベガスやドバイ同様、法律の許容する範囲であれば、金に飽かせて何でも《自由》に「モノがツクレル」国になってしまったのだ、という感懐が湧き上がった。
町は、「ゲイジュツ家」のキャンバスに成り下がり、「ゲイジュツという名の建物」に、人びとはやむを得ず付き合わなければならない。
「ゲイジュツ家」にとって、そういう多くの人びとはどのように見えているのだろうか。我が「ゲイジュツ」を理解してくれないのは「ヒゲイジュツテキな」人びと、そう思っているのではないか。
東京駅前の中央郵便局も、「老朽化」の名の下に撤去され、ここでも「再開発」と称して「ゲイジュツ」が建てられるらしい。
どこがどう老朽化したのだろう(外面だけ残し、伝承したと称するが、それは撤去に等しい。なぜ老朽化したものが、外面だけのこせるのか?)
あの当時のRC建造物は、現在のそれに比べて、比べ物にならないほど丈夫だ。なぜなら、仕事が丁寧だからだ。阪神・淡路の地震のときもそうではなかったか?「老朽化」は、「再開発」という名の破壊のための単なる理屈づけにすぎないように思える。
註 RC造の耐久性、その条件等についても、真島健三郎氏はすでに
大正13年(1924年)に述べている。
「紹介・真島健三郎『耐震家屋構造の撰擇に就いて』:柔構造論の原点」
また、桐敷真次郎氏も、建物の耐久性について論じている。
「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-1」
「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-2」
「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-3」
「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-4」
「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-5」
「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-6」
RCについては、「-4」「-5」で語られています。
桐敷真次郎氏の論説の中から、一部を以下に抜粋
「・・・・・筆者の手許には20世紀初頭のベデカー(ドイツの著名な
ガイドブック)が数冊あるが、交通機関やレストランなどの
案内を除けば、その内容は今日でも殆どそのまま通用する。
つまり、ベデカーにのったものはモニュメントであり、ランド
マークであって、その町から取りはずせないものになっているのだ。
都市についての愛着や意識はそのように高いが、そればかりでは
なく、個々の建築、或は建築というものについての意識にも、
市民と建築家の双方に、われわれとは大いに違ったものがある。
それは、建築とは本来耐久的なものであり、人間が壊すつもりが
なければ壊れるものではないという意識である。
壊すも残すも人間の意志次第だという自覚である。近代建築は、
耐久力に対する配慮が足りないという点で、こうした伝統的意識と
合致しないところがあったのであろう。・・・・」
そして、こういう東京で行われる「ゲイジュツ」は、すぐに各地域で模倣される。さすがに捩れた建物はまだないが、つくばはミニ東京化している。それゆえに、いくつもできる高層のビルは、同一の設計者か、と見紛うほど、どれも皆似ている。
そうなると、またぞろ「差別化」のための「突飛な」(私には突飛以外のことばが浮かばない)形が追い求められるのだろう。
私は、最近、極力、つくばの町を通らないようにしている。
ところで、「土浦バイパス」を通るとき、つくばの遠望は、私には、いつも、上掲の写真のイメージに重なるのである。
これは、私の暮す町の、丘陵のヘリにある集落の墓地の遠望である。