たとえば、連休を利用して郊外に足を伸ばす。あるいはもっと遠くの観光地、でなければ墓参りでも良い。とにかく高速道路に乗る。そして、あるタイミングでサービスエリアに停車して、しばしの休憩をはかる。

 ここで、私は、ある感慨に打たれる。
 その感慨をナマの形で公表するためには、若干の勇気を要する。何様のつもりなのか、と言われた場合に、返す言葉が無いから。
 でも、言おう。そうしないと話が先に進まない。

 つまり、これから申し上げることは、自分のことを棚に上げて言っているのだということを補足した上で告白するに、私は、サービスエリアに集う人々を眺める度に、げんなりするのである。

「ああ、日本人は、いつからこんなに醜くなったのだろう」

 と、クルマからワラワラと降りてくる老若男女を眺めながら、いつもそう思うのだ。
 うむ。偉そうな態度だ。
 が、仕方がないのだ。だって、連休中のサービスエリアに集散する人々は、なぜなのか、どこからどう見てもファッショナブルなカタチをしていないからだ。
 なぜだろう。

 今回は、この点について考えてみたい。
 つまり、わたくしども日本人が、高速道路のサービスエリアで、傍若無人に振る舞うようになったのはどうしてなのかということについて。および、われわれにとっての、「外出」「旅行」「クルマ」あるいは「ウチとソト」「家族と恋人」「夢と現実」「生活とスピード」……そういったあれこれについてだ。

 サービスエリアの人垣が、あんまり美しく見えないのは、たぶん、彼らが外面を気にしていないからだ。

 何時間かクルマの中で身を縮めていて、しばらくぶりに外に出る時、人々の気持ちは、まだ、「外界」に適応できていない。というよりも観察するに、そもそも外出用の服装を身につけていない向きも多い。部屋着、あるいは、狭い車内で楽に過ごすための寝間着に近い衣服を着てクルマに乗り込んでいる。

 しかも、ドアを開けて車外に踏み出す時、乗客はまだ、車内にいた時の、身内同士の、だらしなくくつろいだ気分をひきずっている。当然、パブリックな緊張感を抱いていない。さよう。彼らは、人前に出る際の覚悟を持つことなく、スエットの上下にサンダルをつっかけたみたいな姿で、公的な空間の中に漏れ出てしまっているのだ。

 のみならず、彼らのうちの半数ほどは、周囲が見えていない。差し迫った尿意が視界を狭めている。だから、おもむろに車道を横断したりもする。通路に駐車する運転手もいる。つまりマナーが守れない。ふだんは折り目正しく暮らしている人々であっても、だ。

 周囲に気を配る余裕を持っていないのは、トイレに向かって歩く人々だけではない。
 自動販売機に行列する若者たちも、外に出るなり歩行喫煙を始めるオヤジも、車中のゴミを持ち出して歩くご婦人方も、寝起きの髪型で、あるいはスッピンを晒して歩いている。むずかる子供や、降りるなり路上で排泄を始める犬も、マナーに気を配る気配を見せない。いや、無理もない話ではあるのだ。朝から長時間窮屈な姿勢で座っていたわけだから。でも、やっぱり見ているとげんなりする。私は、まっすぐ帰るべきなのかもしれない。高速を逆走してでも。いや、逆走はいけない。ジャージで歩くこと以上に。

 同じような人だかりでも、たとえば、新幹線の車両から降りてくる人々は、もう少し整然としている。

 緊張感に欠ける部分はあっても、いくらなんでもフリースの長パンツに丹前を羽織っていたりはしない。デパートの催事場に集結するご婦人たちでさえ、これほどカオスではない。なんというのか、バーゲンにやってくる人々の間には、戦士の黙契みたいな規律がある。乱暴ではあっても一定の約束事は守るといったような。だから、混乱していてもだらしなくはない。だってそれじゃ獲物が獲れないもの。

 もうひとつ申し添えるなら、いわゆる「ミニバン」と呼ばれるクルマから降りてくる人々のたたずまいが、ひときわ自堕落であるように見える。ええ。そうです。そういうふうに私の目には見えます。

 偏見?
 そうかもしれない。
 でも、そう見えるのだから仕方が無い。
 いや、ミニバンが悪いのではない。
 ミニバンに乗る人々は、多人数でクルマに乗っているケースが多い。
 だから、クルマから降りて来る時の排出感が、それだけ濃厚である、と。そういうことかもしれない。

 でも、それだけではない。
 たぶん、ミニバンは、セダンやクーペといったエクステリア重視のよそ行きのクルマと違って、より「内向き」の思想を宿したクルマで、だから、ミニバンの中の人たちは、セダンから降りてくる人たちに比べて、より「外界」を意識していない。そういう事情があるような気がする。

 サービスエリアの駐車場に集うクルマのうちに、ミニバンの比率が目に見えて増えだしたのは、平成にはいってからのことだ。特に、二十一世紀にはいってからは、セダンやクーペといった「普通の」(←と、私たち旧世代の人間がそう思っている)クルマの方がむしろ珍しくなっている。

 そうなのだ。荷物が一杯積めて、乗り降りが楽で、マルチな利用形態に対応することのできるミニバンがスタンダードになってからこっち、クルマに関する基本的なマナーが、変化した、と、そういうことなのである。善し悪しは別にして。

 だから、私のような、古い時代の人間、すなわちクルマに対して身構えていた世代の人間は、部屋着の感覚をそのまま路上に持ち出してしまうミニバン時代のドライバーやナビゲーターの姿に、違和感を禁じ得ない。

「おいおい」

 と、私は思う。

「パジャマで降りてくるのは、いくらなんでもあんまりなんじゃないのか?」

 と。

 私が子供だった頃、自動車を持てる家は、少数派だった。
 クラスのうちのほんの幾人かの恵まれた家の子供だけが、自家用車で旅行に出かける特権を持っていた。そういう時代だったのだ。
 
 大人になってからしばらくしても、そういう時代が続いた。クルマは依然として、高級で、おしゃれで、非日常で、陶然とさせる何かだった。

 さすがに、1980年代を過ぎると、クルマそのものが特別な乗り物である時代は過ぎ去っていた。
 でも、やっぱりまだ、クルマに乗るということは、晴れがましいことで、心浮き立つ経験だったのである。特に都市に住む若い男の子たちにとっては。

 だから、クルマに乗る時、昭和の若者は、むしろ着飾ったものだった。
 それだけ、「よそ行き」の気分で、われわれは運転席に座ったのである。
 でなくても、ドライブは、おしゃれをして臨む、特別な機会だった。

 ん?
 ドライブを知らない?
 なるほど。

 もしかしたら、「ドライブ」というこの言葉自体、既に死語であるのかもしれない。だって、一家に二台だって珍しくもない現代において、自動車を運転することは、少しも特別な体験ではないはずだから。
 運転は、日常的な動作で、自動車は移動の手段に過ぎない。よろしい。了解した。ドライブは死んだ。リトル・レッド・コルベットも、ビュイック・マッケーンも死んだ。
 死語にはなっていなくても、「ドライブ」は、もはや、「夢」や、「異世界」のイメージを宿したロマンチックな言葉ではない。ただの四文字言葉だ。

 わたくしども昭和の若者は、クルマに乗ってそこいらへんを走り回るだけのことを、「ドライブ」と呼んで、特別視していた。

 うん。懐かしい時代だ。
 私は、自由にできるクルマを持っている少数派の大学生で、おかげで、様々な場所で有利な立場に立つことができた。そうだとも。帰れるものなら帰りたいものだ。あの輝かしい時代に。そして、同じ機会が巡ってきたのなら、今度こそ、手を伸ばせば届いたはずの……とか、未練たらしい話をするのはやめよう。臆病だった過去は取り返しがつかない。貧しかった時間や恵まれなかった経験は、後になっていくらでも挽回できる。が、臆病さゆえに失ったものは、絶対に取り戻すことができない。

 行き先は、どこでもかまわなかった。
 大切なのは、クルマに乗っているという事実ないしは状態で、だから、われわれが行き先に選んだのは、三浦海岸の突堤や羽田空港の駐車場みたいな、象徴的な「場所」だった。つまり、ドライブの主眼は、目的地にではなく、クルマに乗っているという過程そのものにあったのである。
 
 海岸に着く。
 フロントガラスの向こうには太平洋が広がっている。
 波が寄せ、波が返し、その向こうの水平線には、ヨットの帆が走っている。
 それら全部を十五分ぐらい眺めて、それでおしまい。あとは帰途だ。カセットテープを裏返して、帰り道用の音楽を流して、また走りはじめる。それがわれわれの時代のドライブだった。

 そういうふうにドライブが特別であった時代、クルマは、乗り手の人格の延長でもあった。
 人格というより、単に虚栄心の延長であったのかもしれない。
 資産と可処分所得の表象。あるいは趣味と美意識の外部的反映。
 いずれにしても、クルマ選びは、自己表現の一端だった。
 さよう。おそらく、われわれは勘違いをしていた。
 
 だから、クルマ好きの若い男たちは、狭くて乗り心地が悪くて、燃費が最悪でも、スタイルの良い、押し出しのきくクルマを選んだ。より低い構えの、より速い、できればセクシーなクルマを。ヘッドクリアランスとか、ニースペースだとか、そういう述語は知らなかった。そのくせ、ただの排気音をエキゾーストノートと呼んだりして悦にいっていた。愚かな消費者。わたくしどもは、大企業のマーケティング部が夢に見るような理想的なカスタマーだった。
 
 自動車のエクステリアにセクシーさや美意識を期待し、エンブレムとナンバープレートから「車格」や「グレード」を読み取っていたわれわれは、バブルの気分にやられていたのだと思う。

 でなくても、高度成長期以来のスノッブな上昇志向に囚われていた。だからこそ、われわれはクルマにありもしない夢や物語を仮託していたのだ。

 で、それらの、20世紀のクルマの夢は、平成の大不況を経て、ミニバンに着地した。
 ミニバンの魅力は居住性と利便性と実用性――ということはつまり、クルマは、めぐりめぐって鍋釜やテーブルと同じような、日常の道具の仲間入りを果たしたわけだ。

 クルマは、エクステリア(外観)よりも、インテリア(居住性)を重視する方向に進化した。
 ということは、外に向けた顔であることをやめて、内向きの部屋のようなもの、あるいは内と外を隔てる「壁」に似たものに変わったわけだ。
 
 無論、これは、悪いことではない。
 クルマ選びの基準が「虚栄心」から「実用」にシフトしたのであるとすれば、それは歓迎すべき変化だし、消費者の成熟と言うこともできるからだ。

 ……いや、成熟というのは、たぶん勘違いだ。
 あるいは買いかぶり。われわれはそんなに賢くない。

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