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この夏に二度ほど京都に行った。その時のブログに、かつて京都に住んでいて、京都から離れたときに「京... この夏に二度ほど京都に行った。その時のブログに、かつて京都に住んでいて、京都から離れたときに「京都ロス」とでも言うべきヘンな感情に襲われた旨を書いた。京都は辻ごと、区画ごとに歴史が感じられるが、他の地方ではそういう感覚が希薄であることを嘆いたのだ。実際、等持院を訪れたとき は室町時代の雰囲気を、壬生寺を訪ねたとき は幕末の雰囲気を、それぞれ強く感じた。本物の室町時代や幕末のことを知っているはずもないのだが、そんな気がしたということで。 だがそれは私の勘違いであって、人間の暮らしある以上、その土地土地に歴史も文化もあるはずだ。地元でこそ、そうした歴史や文化を見出し大事にすべきだと思った。そんなことを自分に言い聞かせながら、あちこちぶらぶらしている。何のことはない他人から見たらただの散策である。 弊ブログはアフィリエイト広告を利用しています 今回はブログタイトルに掲げた通り、名古屋市千種区の覚
2017/09/14 リンク