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戦中、中国湖北省などで従軍した旧日本陸軍第39師団の鹿田正夫さん(92)=島根県浜田市在住=。2... 戦中、中国湖北省などで従軍した旧日本陸軍第39師団の鹿田正夫さん(92)=島根県浜田市在住=。2005年に「しんぶん赤旗」連載の「元日本兵が語る『大東亜戦争』の真相」に登場し、1943年12月の「白陽寺攻撃」について証言しました。そのときは中国人被害の実態は不明でしたが、その後、明治学院大学の張宏波准教授(日中関係史)が現地調査をおこない、事件の輪郭が浮かび上がりました。(尾崎吉彦) 白陽寺は、地元では白雲寺と呼ぶ道教の寺院で、湖北省当陽県(現・当陽市)の山あいの村にありました。攻撃は連隊長の「挺進(ていしん)隊はむろんのこと、従わぬ者は女・子ども構わず殺害し、物資を集め、家屋はすべて焼却すべし」との命令でおこなわれました。 連隊長のいう「挺進隊」は、しばしば日本軍の第一線基地を襲撃した軽装備の抗日軍部隊です。日本軍は白陽寺が拠点になっているとみて約1000人の兵士を動員し、寺と周辺の集落
2011/08/15 リンク