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終戦から75年。常見隆哉さん(85)=京都府舞鶴市=は「若い世代に事実を知ってほしい」と、兄・哲也さん... 終戦から75年。常見隆哉さん(85)=京都府舞鶴市=は「若い世代に事実を知ってほしい」と、兄・哲也さんの思い出を語った。 【写真】陸軍海上挺進戦隊が使った攻撃艇の模型 1945年5月、フィリピンのルソン島で兄・哲也が17歳で戦死しました。陸軍海上挺進(ていしん)戦隊に所属し、貧弱なベニヤ板でできた小型の攻撃艇に爆雷を積み、敵船に突撃するのが任務でした。陸軍の水上特攻隊員で「秘密兵器」だったそうです。戦隊は陸軍船舶兵特別幹部候補生などから選抜され、未成年が中心でした。陸海軍で兄のように17歳の若さで戦死した人は少ないと思います。 私と兄は舞鶴で生まれ育ちました。兄は正義感が強く、けんかも強いスポーツマンでした。舞鶴第二中学校(現・東舞鶴高)を出て陸軍船舶兵特別幹部候補生となり、44年4月に陸軍に入隊。家が貧しかったので家計を考え、自ら戦地に赴いたのだと思います。香川県の小豆島や広島県の江田島