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標高560m 比髙300m 主な遺構:堀切・竪堀 アクセス 久世市街から目木川に沿って北上。樫東の交差点を右... 標高560m 比髙300m 主な遺構:堀切・竪堀 アクセス 久世市街から目木川に沿って北上。樫東の交差点を右折し、さらに4kmほど進むと目木川の北に江森集落がある。集落からさらに北へ、小川に沿った道を進む。林道終点からは左手上方の尾根を目指してひたすら藪こぎ。尾根にたどり着いたら尾根伝いに進めばいい。奧深い山だから地図・コンパスは必携。 二つ山城が中世の文書に登場するのは天正8年(1580)11月のこと。当時、毛利輝元は宇喜多軍の攻勢によって落城の危機に瀕していた祝山城を救援するため、美作国高田城に着陣していた。輝元は高田城から余野の二つ山付近に出向いて見分し、小早川隆景に高仙城の普請を命じたことが11月23日付小早川隆景書状で次のように記されている。 一 この表の儀、去る四日高田より、二山近辺まで輝元御山陣に成られ、所々山見など仰せ付けられ、先ず以て岩屋尾頸に高仙一城取り付けられ候、普請