福田・磯崎対談追記 上海・光州・アイコン

先日書いた、福田和也と磯崎新の対談についての、このエントリーに、id:yugi713さんという方が言及してくださってトラックバックを頂いた。建築や美術の分野に関心の深い方で、その観点からあの対談に興味を持たれたとのことなのだが、ぼくとしては対談のなかのその方面の話がちんぷんかんぷんだったので、前回はそういったことには触れず自分の関心のある部分だけを紹介した。
だが、分からないなりに他にも面白いことが述べられている対談だったので、この機会に、話の流れを追いながら少しピックアップしてみたい。


まず対談の始まりは、現在の上海の都市建設の状況をめぐる話。
上海にはいま「奇妙奇天烈な」(磯崎氏)超高層建築が林立する状況になっているらしい。これについて、中国の都市開発や建設に深く関わってきた世界的な建築家磯崎氏が、自説を展開している。
面白いのは、建築におけるデコンストラクティビズムとフランス現代思想におけるデコンストラクション(脱構築)とは別物である、という話。デリダなどのいうデコンストラクションには、磯崎氏も関心があり、それに近い線で仕事をしてきた。しかし、一般に建築界で「デコンストラクティビズム」といわれているものは、「歴史的な要素を現代的に折衷させ再構成する」という歴史折衷主義のことであって、いま上海に出現している奇妙な建築物に見られるのは、かつて世界的に流行ったこの建築スタイルの「なれの果て」だというのが、磯崎氏の意見。
なぜこんなものが今頃上海で大量に出現しているのかというと、アメリカに留学して帰国した中国のエリート官僚や若手建築家たちが、アメリカで見た光景に通俗的に感化されて、自分たちの巨大なモニュメントとして、それらを上海に再現しようとしているからだ。つまり、一種の文化植民地主義の発想(植民地化される方)だということ。
それを、日本文化に好意的であった周作人と、愛国・抗日の兄魯迅(周樹人)との対比になぞらえて、上海のシンポジウムで中国の官僚たちを前に『親米派ばかりで、魯迅のような愛国者はどこにいるんだ』と磯崎氏が一喝した、という話(スゴイです)。
そこから、前回紹介した魯迅と周作人、アメリカと日本、磯崎氏と福田氏のアメリカ文化受容の世代による違い、といった話になっていく。

グローバリズムがアメリカニズムとからみあいながら我々に浸透している時代にどう抵抗するか。単純にクリティカル・リージョナリズムみたいなかたちで、グローバルに対するローカル/リージョンとか、ハイテクに対するローテクを素朴に打ち出してしまうと、これは本当に<頭は魯迅、やってることは周作人>になってしまいます。

この福田氏の発言が、この対談の肝ということになるのだろう。
ここまでの話のなかで面白かったのは、四川省の山奥に毛沢東グッズのコレクターがいて、非常に大がかりな「文革記念館」を作ろうとしているという話。そのなかに「日軍館」といって、中国を侵略した日本軍が敗戦時に捨てていったグッズをコレクションした建物ができるそうで、磯崎氏はその担当になっているそうだ。是非一度行ってみたいものである。
アジアでも、世界的な建築家が参加して、そんな記念館やパビリオンが構想される時代になったのか。


それで思い出したが、武田泰淳が終戦直後に書いた小説『「愛」のかたち』を読んでいたら、上海に居留していて召集され、従軍していた日本兵が、敗戦になって徐州で現地解散(て言うのかな?)となり上海に戻ってくる。それで、しばらくの間は上海で従軍以前と同じような生活をしているのである。中国人のメイドも、そのまま働いている。また、当時上海に「ユダヤ人村」があって、カメラを提げてそこへ見物に行き、「これからは日本人も、ユダヤ人のようにならなければ駄目だ」とか言っている。
これは意外な気がした。武田は、このとき実際上海にいたわけだから、実話に近いのだろう。帰国しようにも船もなかったのだろうが、なんだかのんびりしているようにも見える。歴史のエアポッケトみたいな時間だったのか。


続いて、特に磯崎氏による美術界の現状についての話。すごく面白い話だろうと思うのだが、ぼくはよく分からないのでパス。
そして、磯崎氏がディレクターを辞任したという「横浜トリエンナーレ」という美術展の企画の話。


ところで、トリエンナーレと、ビエンナーレは別物なのか?ビエンナーレには行ったことがある。2000年の光州ビエンナーレ。光州事件20周年ということでシンポジウムがあり、それにまぎれこんで参加して、夜の光州市内を韓国の運動家や学者の人たちと一緒に松明を持って行進したら、沿道の市民が袋に入った生米を手渡してくれた。これは、事件当時を再現する企画だったらしい。あの生米はどうしたんだっけ?
ビエンナーレには、そのシンポジウムの後で行ったのだ。各地域別に膨大な数の作品が展示されていたが、見終わった感想は、トルコや中東から東南アジア・極東まで、アジアには他の地域とは違う共通性がある、という実感だった。それは何かというと、家族主義、集団主義みたいなものの存在だ。これは、欧米の作品にも、南米やアフリカの作品にもあまり感じなかった。アジアの作品には皆それがあり、日本のものにも、よく見てみるとそれがあるのだ。
漠然としたことで、大川周明みたいだが、その時はほんとにそういうふうに感じた。


それで、「横浜トリエンナーレ」の話だが、磯崎氏がやろうとしていたものすごくユニークで大がかりなプランが、かなりくわしく紹介されている。
ここで言われているのは、「21世紀はアイコンの世紀だ」という磯崎氏のテーゼ。いまや、ものやイメージではなく、アイコンが人を動かす時代になってきていると、磯崎氏は分析する。
すごいことを言ってるみたいなんだけど、アイコンがなんのことなのか、ぼくには正確に分からないのが情けない。辞書で引くと、「コンピュータ上に表示される機能を示す絵文字」となっている。それは分かるんだけど、何の略なんだろう?
磯崎氏は、バーミヤンの仏像もNYのワールド・トレード・センターも、それがアイコンである故に破壊されたのだ、と言っている。
企画されていた展覧会のプランも、「テーマではなくてアイコンへ」ということでかんがえられていたそうで、「自然との共生」みたいなテーマをはじめに打ち出すのでなく、各会場ごとにゴジラだとかフランケンシュタインとかのアイコンを飾ってテーマの代わりにする予定であったとのこと。

抽象言語ではない、しかも具象的なフィギュラティフとも違った存在としてのアイコンは今後重要になってくるのではないでしょうか。

                               
こう磯崎氏は述べていて、そういう時代のあり方を浮き彫りにする批評的な展覧会にしたかったらしいのだが、それが理解されずディレクター辞任に至ったとのこと。
いまの世の中は、抽象的な言語でも具象的なイメージでもないものによって、人々が動かされている時代だ、という視点か。そうかも知れない。
卑近なところだとピカチューにドラえもん、タマチャンとかハルウララとか、いや小泉も、ひょっとするとアイコンなのか?だから、「虚言」ばかりでも支持されるのか。
なんだか面白い。