明らかに生まれつき右手が無かったり脳みそがぶっ壊れてたりした場合は、「哀れみを向けるべき対象」と認定されることで社会に居場所が生まれる(といっても動物園の動物と似たようなポジションではあるが)。
でも発達障害のような軽度な社会不適合障害は単なる「人格破綻者」としかみなされない。
生まれつき社会の敵であり、死ぬまで社会の敵であり続けるのならば、それは生まれてきたことそのものが罪であるという他ない。
自閉症スペクトラム系の病気の何が最も辛いかといえばここなのではないだろうか?
理解されるされないという辛さがどこから生まれるかと言えば、それは「いわれなき罪により裁かれ続けることの苦痛」である。
だが、その罪は冤罪ではない。
脳みそがクルクルパーでIQが30しかないから人を殺したのならば裁かれない。
しかし自閉傾向によって生まれるストレスや社会との折り合いの悪さが、他社に対する暴力や社会への損害として現れたとき、それが裁きを逃れることはない。
つまり、社会は自閉症もどきであることを免罪符としては扱わず、それと同時にその存在そのものを罪とみなして「排除によく似ているが実際は違うというレッテルを貼り付けただけの排除」を繰り返していく。
人間社会に置いて何が罪かを決める権利が人間にあるのなら、発達障害の人間が生まれてきたことは間違いなく「罪」である。
そうでないなら何故彼らが日々裁かれなければならないのか?
発達障害の辛さの最も大きい所はここだと私は考える。
主観って言うか妄想ないしは戯言では。
むずかしい 生きる苦しみはいろいろあるからな。 本人たちがどうしてほしいか?ということと何ができるかのすりあわせで 申し訳ないがそれは政治家さんたちのお役目だとおもう。 正...
いわゆる非モテオタクだが 誹謗中傷はものすごい それこそ女酔わせてレイプするんじゃねーか?ぐらいなな。 でも非モテといわれるくらいおんなっけがないわけで なんつーかな。
映画「シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢」とか見ると泣けてくる