2009-12-04

学歴」って・・・

ちょっと目からウロコだったので増田メモ。解ってる人には百も承知なんだろうから恥ずかしいけど、知らなかった人の目に留まればと。

学歴って、あくまでもその学歴を持つ個人のステータスというか頭の良さというか努力できるキャパというか、そんな尺度に使うものだと思っていた。みんな必死に頑張ったり、浪人したり、場合によっては裏口からとか、受験失敗して鬱になっちゃったり、自殺しちゃったり、学歴1つの為にもう必死になる。それだけ学歴って個人にとって大切。自慢したり見栄張ったりといった事にも使われる。

けど、学歴って、いざその学歴を使おうとする時、他人に公的に評価されるとき、その学歴を持つ個人そのものの事なんてどうでもよくなっちゃうんだなという事を気付かされた。例えば東大を出た人間がいたとして、その人間そのものを評価するというよりも、東大に入る為の様々な環境を維持してきた両親の子供だということ、実家地方であれば、少なくとも4年間は都内で勉強しつつ生活を維持させる事をしてきた、させる事が出来た両親の子供だということ。

そして、そのような両親の子供達が友人であり、大学時代はその友人達の中で暮らしてきた事、そういう意味で"固い"人材である事が大きな要素であって、本人がどれだけ頭が良いとかどれだけ努力できるかという話はワリとどうでもいい。

頭の良さとか努力できる根性とかってものは、数値化出来ない。偏差値などではますますどうでもよくなってしまう。優れた環境で生まれ育ってきた。という事に価値がある。

もちろん、家が貧乏だけど、歯を食いしばって生活費や学費を稼いで、奨学金気合と根性で受験を勝ち抜いてきた人もいると思う。だけどそれが東大だとしたら、そこらへんの努力とか地頭の良さとかはどうでもよくて、優れた環境で生まれ育ってきた人間として扱われるようになる。

東大じゃなくても、いわゆる良い大学であればあるほど、そのような評価をされる。優れた環境で育ってきた頭の良い人間として評価される。そういう評価をされるのが解っている人達こそ、頑張って必死に子供に良い教育を受けさせる。

一方、あまり宜しくない大学卒業した学生に対する評価は燦々たるモノだ。たんに勉強が出来ないというだけではなく、その両親が教育意味が解っていない、両親がバカ、金が無い、知性が低い、といった感じになる。そういう両親を持つ子供が集まった大学で過ごしてきた学生達。そういう親に教育されてきた子供達という事になる。勉強が出来ないから、そういう大学にいるのではなく、親の教育の問題で、そういう大学に入学してしまうという感じに見られる。

学歴は、たんに個人の能力を示すものでは無い。その個人の両親や家族の育ちや資産までも推し量れるステータスだったのだ。

なんで必死で良い大学に入ろうとしている連中がたくさんいるのが解ったような気がした。

そういう見方が世の中にある事を知らなかった。

まあ良い大学に入れば必ずしも幸せに繋がるとは限らない世の中ではあるけれど・・・なんて言われてるけど、ホントに一流の大学卒業している人達は職に困らないんだよね。本人の能力はどうあれ、優れた環境で育った頭の良い人間である事が評価されていて、そういう人達卒業してからも勝者集団を作って、どんどんと増殖している。そういう人達だから、搾取出来る芽を見つけるのも得意。学歴なんてくだらねえ!と言ってる人達をうまく搾取してやっていく。

学歴社会」という言葉に込められている意味が年齢を重ねるにつれて理解出来てくる。学歴なんてクソクラエと言ってた青春時代は本当に青かったんだなあ・・・

大人はクソばかり、ウソつき、社会ウンコ、世の中なんか酷いところだなどとロックに歌っていたが、いつのまにやら自分社会を引っ張らなければならない世代になっていた。いつまで社会のせいにすればいいんだろう。このままじゃ世の中や他人のせいにしながら死んでいくだけだ。まさに夕刊フジを読みながら老いぼれていくのだ。

あーほんと、教育ってのは大切なんだな。

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