WBF、WWF在籍時
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「レックス・ルガー」の記事における「WBF、WWF在籍時」の解説
ルガーはWWFと契約した。しかし、WCWとの契約期間を残したまま移籍した為、プロレスの試合に出場することはできなかった。WWFは、契約満了までの間、ルガーをWWF傘下のボディビル団体WBFのスターとして売り出すことにした。しかし、バイク事故で負傷してしまい、復帰できないままWBFそのものが閉鎖されてしまった。 1993年、WCWとの契約期間満了を待って、ルガーはプロレスラーとしてWWFに出場した。その際、入場時に鏡を持ち込み、自分の肉体美を誇示する「ナルシシスト」のギミックが与えられた。 WWF上層部はハルク・ホーガンらが第一線を退いた後の団体のエース格としてルガーに白羽の矢を立て、同年7月、ヨコズナをボディスラムで投げたことをきっかけに、「オール・アメリカン」にギミックチェンジした。直後、2ヶ月かけてアメリカ大陸を大型バスで横断し、各地の子供達と交流する「レックス・エキスプレス」なるキャンペーンも実施。入場曲やコスチュームもアメリカを強く意識した物へと変化した。同年8月、サマースラムにてヨコズナの持つWWF王座に挑戦し、リングアウト勝ちしたが、タイトルマッチの規定により王座獲得はならなかった。 1994年1月、ロイヤルランブルにて、ヨコズナの持つWWF王座への挑戦権を賭けた時間差バトルロイヤルに出場し、ブレット・ハートと同体で転落し、両者優勝となった。 1994年3月、レッスルマニアXにてヨコズナに挑戦するも、レフェリーを務めたカート・ヘニングの不可解な裁定によりまたもや王座獲得ならず。同日、ブレット・ハートがヨコズナに勝利し、WWF王座はブレット・ハートの手に渡ることとなった。そして、その後は低迷が続き、王座獲得を期待していたファンの関心も次第に薄れていった。 1995年9月、ルガーはWWFを退団した。
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