1975
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「ウィリアムズ・FW04」の記事における「1975」の解説
1975年シーズンの序盤3戦でフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズはまだFWを使用しており、新しいFW04はスペイングランプリまで準備ができていなかった。最初は1台しか製作されておらず、シーズンの残りは旧型のFW03と共に投入された。ウィリアムズのチーム予算は低く、他チームから中古タイヤを購入することさえあった。 デビュー戦となったスペイングランプリで、FW04はアルトゥーロ・メルツァリオがドライブした。メルツァリオのチームメイトとなったのは若手のイギリス人ドライバーのトニー・ブライズで、ブライズはこの1戦でのみFW03をドライブした。予選でメルツァリオは25位、ブライズは18位となり、メルツァリオはモンジュイック・サーキットのガードレールが適切に固定されていないことに抗議してレースから撤退した。決勝ではロルフ・シュトメレンがドライブするヒル・GH1のリアウィングが走行中に外れ、シュトメレン車は観客席に飛び込み5名が死亡するという大事故が起きた。ブライズは7位で完走した。モナコではジャック・ラフィットがチームに復帰、メルツァリオに代わってFW04をドライブし、メルツァリオはFW03をドライブした。このレースではラフィットが予選19位、メルツァリオが予選20位で両名とも予選落ちし、決勝は18台で行われた。ベルギーではラフィットがFW04で予選17位となったが、決勝ではギアボックストラブルでリタイアとなった。スウェーデンではラフィットがフォーミュラ2に出場するため再び欠場となり、メルツァリオはチームを離脱したためダミアン・マギーとイアン・シェクターが起用された。シェクターはFW04で予選20位となったが、決勝ではタイヤトラブルでクラッシュ、リタイアとなった。 ラフィットはシーズンの残り全てでFW04をドライブしたが、FW03は各戦ごとにペイドライバーがドライブした。オランダでラフィットは15番グリッドがらスタートしたが、エンジントラブルでリタイアした。フランスでは予選16位、決勝は11位となり、これがFW04初の完走となった。イギリスでは予選19位、決勝はギアボックストラブルで早々にリタイアとなった。 チームの運命はドイツグランプリで改善された。このレースでラフィットは予選15位となる。決勝では何台かのマシンが機械トラブルやアクシデントで脱落していったが、ラフィットはレース終盤にトム・プライスを抜いて2位に入り、チームは6ポイントを獲得した。しかし続くオーストリアではラフィットは予選を12位で通過したが、決勝はハンドリングの問題でリタイアとなった。ノンタイトル戦のスイスグランプリでは予選13位、決勝は10位となっている。第13戦のイタリアグランプリでは予選18位、決勝はギアボックストラブルでリタイアとなった。 シーズン最終戦のアメリカグランプリまでに2台目のFW04が製作され、2台が投入されたが両方ともスタートできなかった。ラフィットは予選21位となったが体調の問題でスタートできなかった。レラ・ロンバルディは新造されたシャシーをドライブし予選24位であったが、イグニッションの問題を抱えスタートできなかった。ウィリアムズはこのシーズン6ポイントを獲得しコンストラクターズランキング9位となった。ポイントは全てラフィットがドイツで獲得した物であった。
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1975
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エンバシー・ヒルはローラ・T371(後にヒル・GH1と改名)の準備ができていなかったため、ヒルとシュトメレンはシーズン序盤2戦でT370を走らせた。開幕戦のアルゼンチンでシュトメレンは予選19位、ヒルは予選21位となり、決勝ではシュトメレン13位、ヒルは10位となった。ブラジルではヒルが予選20位、シュトメレンが予選23位となり、決勝はヒルが12位、シュトメレンが14位となった。 第3戦南アフリカではシュトメレンが新型のT371をドライブし、ヒルはT370を使用した。しかし実際にはプラクティスのアクシデントでヒルは予選落ちしている。スペインでは2台のGH1が準備され、(この頃T371からGH1に改名された)T370は使用されなかった。第5戦モナコはヒルのみがエントリーし、予選でGH1とT370の両方を使用したが予選を通過することはできなかった。ヒルはその後現役から引退し、T370は使用されなくなった。シーズン残りはスペアカーとして用意されたが、使用されることは無かった。
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1975
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ロジャー・ペンスキーは1975年にPC1でフルシーズン参戦を計画したが、ペンスキー・チームにとっては難しいシーズンであり、ダナヒューにとっては悲惨なシーズンとなった。 1975年開幕戦はアルゼンチングランプリで、ダナヒューは7位に終わった。第2戦ブラジルグランプリではダナヒューはハンドリングトラブルでリタイアとなった。南アフリカグランプリは8位となった。スペイングランプリではダナヒューはヘスケスのアラン・ジョーンズと共に、ティレルのジョディ・シェクターがまき散らしたオイルにのってクラッシュしリタイアとなった。モナコグランプリではアクシデントでリタイアとなっている。ベルギーグランプリではアクシデントの後レースを放棄している。ベルギーグランプリでは11位となっている。第7戦スウェーデングランプリでは5位となり、ポイントを獲得した。次戦のオランダグランプリでダナヒューは8位に終わった。フランスグランプリではトランスミッションのトラブルでリタイアとなった。 PC1の投入はフランスグランプリで終了し、ペンスキーは続く3戦をマーチ・751で戦った。ダナヒューはオーストリアグランプリの最終プラクティスセッションで大クラッシュし、重度の脳震盪を負った。彼はサーキットですぐに意識を回復したが、病院で意識を失った。脳への圧力を和らげるための緊急手術は成功せず、彼はこの怪我が原因で死亡した。この事故ではトラックマーシャルも死亡している。 ペンスキーはイタリアグランプリを欠場し、アメリカグランプリに出場することを決めた。アメリカグランプリでは新しい車、ペンスキー・PC3がマーチに代わって投入され、ドライバーはジョン・ワトソンが起用された。ワトソンはプラクティスと予選でPC3を使用し12番手となったが、技術的問題のため決勝ではスペアマシンのPC1を使用しなければならなかった。ワトソンはPC1をドライブして決勝は9位となった。 チーム・ペンスキーは1975年に2ポイントを獲得した。
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1975
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1975年開幕戦のアルゼンチンGPでアンドレッティはトランスミッションのトラブルでリタイアした。ファイアストンがレース活動から撤退したため、チームはブラジルグランプリ前にタイヤをグッドイヤーに変更したが、レースは7位に終わった。第3戦の南アフリカグランプリでアンドレッティは残り8周というところでトランスミッションのトラブルで車を止めたが、17位で完走扱いとなった。スペイングランプリでアンドレッティはスタート時にマーチのヴィットリオ・ブランビラと接触、そのままニキ・ラウダのフェラーリの後部に衝突し、ラウダはチームメイトのクレイ・レガツォーニに接触した。ラウダはリタイアとなったが、レガツォーニはピットインした。最初のコーナーの混乱が解決した後、ヘスケスのジェームズ・ハントが先頭に立った。アンドレッティは2位を走行していた。ハントが6周目にリタイアし、アンドレッティが先頭に立ったが、その後サスペンションのトラブルでリタイアとなった。第5戦モナコグランプリではアンドレッティはピットインした際にオイル漏れのため火災が生じ、リタイアとなった。チームとアンドレッティはインディ500に出場したため続くベルギーグランプリを欠場した。第7戦のスウェーデングランプリでは4位に入る。チームは再びアメリカでのレースを優先し、オランダグランプリを欠場した。第9戦のフランスグランプリでは5位に入る。イギリスグランプリでは12位、ドイツグランプリでは10位となった。その後は3戦連続でリタイアとなる。オーストリアグランプリではスピン、イタリアグランプリではクラッシュ、アメリカグランプリではサスペンショントラブルであった。 チームはこの年5ポイントを獲得し、コンストラクターズランキング10位となった。
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