1967
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/15 14:17 UTC 版)
P115はオランダグランプリで初登場したが(ブラバム・BT24、ロータス・49も初登場した。)、実走したのはドイツグランプリであった。スチュワートはニュルブルクリンクを得意にしており、予選で8:15.2というタイムをたたき出し、3番手に付けた。スタート直後に7位に後退したスチュワートは、5周目までに3位に浮上したが、チームメイトのスペンスがドライブしたP83同様ディファレンシャルにトラブルが生じリタイアとなった。 続くカナダグランプリでスチュワートは予選9位となった。ウェットコンディションの決勝ではうまくスタートし、直前にいたブルース・マクラーレンとジャック・ブラバムを追い越した。スチュワートは2位争いを繰り広げたがスリップしてコースアウト、車はダメージが無かったものの、泥がスロットルに詰まって固着し、65周目にリタイアとなった。 イタリアグランプリでスチュワートは7番手、サードローとなり、ポールシッターのジム・クラークから一台挟んで後に付けた。決勝では7周目で5位に付けていたがガードレールに接触、ピットストップ後にダメージを確認してコースに復帰したが、45周目にエンジントラブルでリタイアした。 アメリカグランプリでスチュワートは予選10位となり、マクラーレンのM5Aと並んだが、これはBRM製V12エンジンを搭載していた。スチュワートはレースの大半でブレーキの不調に苦しめられ、72周目に燃料噴射システムのトラブルでリタイアした。 メキシコグランプリはスチュワートにとってBRMでの最後のレースであった。2年にわたって多くの問題を抱えたH16エンジンで戦ったスチュワートは、1968年シーズンをケン・ティレルの新チームで戦うことに決めていた。予選で12位となったスチュワートは、決勝は24周目にエンジントラブルでリタイアした。
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「1967」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は1967年製のフォードのファーストバック車を所有している。
- こぎつね座でパルサーが発見されたのは1967年のことだ。
- 小説は1943年に、そして、再び1967年に映画化された;私は後のものより以前のバージョンを好む
- アラブーイスラエル間の緊張は1967年6月に短期戦に突入した
- 6日戦争の後の1967年に形成された限定的人気のテロ組織
- 1967年にアル・ファタハと分裂するが、現在アル・ファタハとの緊密な関係がある急進派のパレスチナ人のテロリストのグループ
- 1967年から1974年までギリシャを統治した暫定軍事政権に反対するために1971年にギリシャで形成された極左テロリスト集団
- 英国の政治家、労働党の指導者で、英国で社会福祉制度を設けた(1883年−1967年)
- 英国の物理学者で、(1931年にアーネスト・ウォルトンとともに)原子を最初に分離させた(1897年−1967年)
- ロシアの小説家(1891年−1967年)
- 米国の生化学者(ポーランド生まれ)で、いくつかの病気が食事性欠乏症によって引き起こされることを示し、化学に関する『ビタミン』という用語を新たに作った(1884年−1967年)
- 米国のフォークシンガーでソングライター(1912年−1967年)
- チェコスロバキアの化学者で、ポーラログラフィーを開発した(1890年−1967年)
- 米国の作家(1902年−1967年)
- 英国の音声学者(1881年−1967年)
- オーストリアの化学者で、カロチノイドとビタミンの研究をした(1900年−1967年)
- 英国の映画女優(1913年−1967年)
- 米国の雑誌社(1898年−1967年)
- ベルギーの超現実主義者画家(1898年−1967年)
- 英国の詩人(1878年−1967年)
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