表現と様式
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「最後の晩餐 (ガウディンツィオ・フェラーリ)」の記事における「表現と様式」の解説
この『最後の晩餐』で、画家は、最も賞賛されているレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』さえも超える、根本的な革新に取り組んでいる。北方ルネサンス絵画の新たな影響もあり、食卓は水平方向に長く描かれるのではなく、食卓の短い辺が鑑賞者側に向けられている。食卓の周りには使徒たちがひしめき、その空隙の先にあるイエスの姿へと視線が導かれるが、図像学の伝統に従って、その傍らには福音記者ヨハネがイエスの肩にもたれかかって眠っている。視線はさらにその先へ、画面の中軸に配された窓へと導かれ、屋外のピアンタ・チェントラーレ(イタリア語版)(円筒など四方対称の建築物)の眺望が開かれている。画面の周囲には、画面の上段から下段まで様々なところに、食べ物を運ぶ召使いたちが描かれている。色彩は煌びやかで、特に衣装や建築、まだらの大理石による格子模様の床などに、マニエリスムの影響が、ロンバルディア派の自然主義的作風と結びつけられていることが見てとれる。これらは、16世紀後半の対抗宗教改革の流れの中の絵画の先駆けとなった特徴であった。
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表現と様式
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「最後の晩餐 (ペルジーノ)」の記事における「表現と様式」の解説
この大きな作品の中で、イエスと使徒たちは両端が馬蹄形のように曲げられた長テーブルにつき、緑色の仕切り壁を背に長椅子に着座している。その例外は、一般的にそうであるように、イスカリオテのユダであり、ひとりテーブルの手前側に、鑑賞者がテーブルの上にあるものを見えるように横を向く姿勢で描かれている。テーブルの下の木製の段差には、弟子たちの名が書き込まれており、左から、小ヤコブ、フィリポ、大ヤコブ、アンデレ、ペトロ、イエス、ヨハネ、バルトロマイ、マタイ、トマス、熱心党のシモン、タダイと呼ばれるユダとなっている。 床に白い大理石とピンク色のタイルで描かれた幾何学模様は、聖ベルナルディーノ(イタリア語版)を描いたペルジーノの以前の連作『Storie di san Bernardino』から流用されたものである。構図は、ギルランダイオが描いたサン・マルコ教会の『最後の晩餐』(1486年)を踏襲しており、u字型のテーブルの両端に横向きに人物が配され、遠景に建物の外が大きく見えるように空間が開かれている。晩餐の場面の上部には、広いポーチが開けており、現実の食堂の建築の先に、曲線模様をあしらった3対の柱の列が描かれ、その先には、ゲツセマネの祈りの場面が描かれている。丘にまばらに描かれた樹木が細く、背景の地平線の彼方が霞みがかかったように青味を帯びているのは、作者ペルジーノに独特な表現である。 人物や背景、その他の描かれているものが織りなす大きな調和は、鑑賞者の視線を中央の遠景へと導く。この当時ペルジーノは、ポルチコのモチーフを多用しており、『ファーノの祭壇画(イタリア語版)』や『聖ベルナルドゥスの幻視(イタリア語版)』、『ピエタ(イタリア語版)』などにもそれが見られる。 古代の大理石を燃したモチーフとして描かれている画面の縁取りには、聖人たちの顔がいくつか描かれているが、これはフレンツェの伝統的な表現法であり、例えば、フラ・アンジェリコも、『キリスト磔刑図(イタリア語版)』で同様の手法を用いている。
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表現と様式
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「最後の晩餐 (ジョット)」の記事における「表現と様式」の解説
この作品は、ヨハネによる福音書13:21-26の場面を描いている。 イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。 この場面の描き方は、ビザンティン美術の図像学を踏襲しているが、パンを分け与える表現は、ローマの伝統である。 場面は屋内であるが、2面の壁面を除いたような表現によって、内部が見えるようになっており、ジョットは誰がキリストを裏切るのかと不審に思っている使徒たち表情を描いている。食卓についた使徒たちの配置も効果的で、横からやや見下ろすような視点で捕らえられた人びとの姿には重なりもない。黄色い上着を着たイスカリオテのユダは、イエスの間近に座り、イエスと同じ皿に手を伸ばしている。他方でヨハネは、典型的な図像学的表現に従って、イエスにもたれかかって眠っている。 光背は黒く塗りつぶされているが、これは後代になってからランダムに、また、画家の意に反して行なわれたものであり、その後、化学的作用で問題を生じさせることとなった。元々は、光背の描き方には階級的な差が付けられていたとされており、キリストの光背は、浮き彫りのような金箔が施され、十字が赤で描かれているが、使徒たちの光背では金色の絵の具が塗られていただけであり、イスカリオテのユダには光が描かれていない。使徒たちの光背は顔の前に浮いているかのように見える。 中央で背中を向けている使徒の着衣の金色の刺繍など、細部は精緻に描かれており、部屋の建物の屋根を飾るモザイク装飾として2羽の鳥が描かれていることから、連作の次の場面である「弟子の足を洗うキリスト」と同じ場所であることが示されている。部屋の内壁は、当時の土壁のように描かれている。使徒たちの着衣は、様々なパステル色で描かれており、連作の他の場面においても同じ色が一貫しているので、見れば誰かがすぐ判るようになっており、光の効果によって立体的な現実感が強調されている上、ベンチより下は影になるように描かれており、この場面の空間設定が理解されやすいよう配慮されている。 ^ a b c “Das Letzte Abendmahl (um 1306), Giotto di Bondone (1267-1337)”. Bayerische Staatsgemäldesammlungen. 2015年7月14日)閲覧。
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