著述方法とは? わかりやすく解説

著述方法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 23:33 UTC 版)

霊界物語」の記事における「著述方法」の解説

1921年大正10年10月18日から『霊界物語』は著された。王仁三郎30分ほど睡眠目覚める横たわったままある種のトランス状態口述し選抜した信者筆録させるという形で著述された。主な口述筆録者は谷口雅春加藤明子桜井重雄、東尾吉雄など。筆録者の内崎照代は、わからない部分聞き返すと「文章カイコの糸のようにスルスルスルスルと出てくるので、途中で止められると糸が切れるようになるんじゃ」と叱られたと回想している。 村上重良は「王仁三郎才能エネルギー人間離れしている」と評する第1巻10月18-26日で完成し12月30日教団出版局から刊行された。1922年大正11年)に5-46巻を、1923年大正12年7月までに47-65巻を完成させた。1924年大正13年2月責付出獄中に植芝盛平たちを率いて日本脱出モンゴル赴いた時には流石に中断となった。この冒険直前書かれた第64巻はキリストエルサレム再臨する展開であり、王仁三郎は「スサノヲの神の踏みてし足跡辿り世人治め行くかな」と詠っている。一方で冒険モンゴル独立運動計画そのもの失敗張作霖により処刑されかけるなど危機を乗り越えて10月帰国した11月釈放される口述再開し1926年大正15年5月22日72完成7月1日までに特別編入蒙記」が完成した発刊ペース平均1月に1冊ほどで、1929年昭和4年4月72巻が発刊となった口述暫く中断するものの、王仁三郎各巻の細かい修正加筆行った1933年昭和8年10月4日(旧8月15日)〜翌年8月15日7381巻「天祥地瑞」が書かれた。それまで物語楽な姿勢口述していたが、天祥地瑞は緊張した雰囲気の中で行われ亀岡では聖壇用いられた。この篇は一章を一時間程で口述する筆記者が復唱して王仁三郎ミス修正休憩時間を取ると筆記者が変更して1日3-6章を完成させたという。その後昭和9〜10年王仁三郎自身の手によって全巻校正がされた。

※この「著述方法」の解説は、「霊界物語」の解説の一部です。
「著述方法」を含む「霊界物語」の記事については、「霊界物語」の概要を参照ください。

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