著述方法
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1921年(大正10年)10月18日から『霊界物語』は著された。王仁三郎は30分ほど睡眠、目覚めると横たわったままある種のトランス状態で口述し、選抜した信者に筆録させるという形で著述された。主な口述筆録者は谷口雅春、加藤明子、桜井重雄、東尾吉雄など。筆録者の内崎照代は、わからない部分を聞き返すと「文章がカイコの糸のようにスルスルスルスルと出てくるので、途中で止められると糸が切れるようになるんじゃ」と叱られたと回想している。 村上重良は「王仁三郎の才能とエネルギーは人間離れしている」と評する。第1巻は10月18-26日で完成し12月30日に教団出版局から刊行された。1922年(大正11年)に5-46巻を、1923年(大正12年)7月までに47-65巻を完成させた。1924年(大正13年)2月、責付出獄中に植芝盛平たちを率いて日本を脱出、モンゴルに赴いた時には流石に中断となった。この冒険の直前に書かれた第64巻はキリストがエルサレムに再臨する展開であり、王仁三郎は「スサノヲの神の踏みてし足跡を 辿りて世人を治め行くかな」と詠っている。一方で冒険とモンゴル独立運動計画そのものは失敗、張作霖により処刑されかけるなど危機を乗り越えて10月に帰国した。11月に釈放されると口述を再開し、1926年(大正15年)5月22日に72巻完成、7月1日までに特別編「入蒙記」が完成した。発刊ペースは平均1月に1冊ほどで、1929年(昭和4年)4月に72巻が発刊となった。口述は暫く中断するものの、王仁三郎は各巻の細かい修正や加筆を行った。 1933年(昭和8年)10月4日(旧8月15日)〜翌年8月15日に73〜81巻「天祥地瑞」が書かれた。それまでの物語は楽な姿勢で口述していたが、天祥地瑞は緊張した雰囲気の中で行われ、亀岡では聖壇も用いられた。この篇は一章を一時間程で口述すると筆記者が復唱して、王仁三郎がミスを修正、休憩時間を取ると筆記者が変更して1日3-6章を完成させたという。その後、昭和9〜10年に王仁三郎自身の手によって全巻の校正がされた。
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