絵画と夜景
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与謝蕪村 『夜色楼台図』 - 『夜色楼台雪万家図』ともいう。18世紀後半の作。国宝。雪雲を孕むどんよりとした夜空と東山連峰を背景に、しんしんと雪降り積もる京の都の花街を描いた水彩画。日本で最初に描かれたパノラマ夜景図。■右の画像。 歌川広重 『東海道五十三次 蒲原』 - 天保3-5年(1833-35年)の作。名所浮世絵。広重が描く数多くの夜景の中で特に代表的な一作。現在では「蒲原 夜之雪」「蒲原 夜之景」などとも呼ばれる。■右の画像。 歌川広重 『近江八景 石山秋月』 - 天保5年(1834年)頃の作。画題は、比良の山々に連なる岩山の山腹に建つ湖畔の古刹・石山寺と、その上に冴え渡る秋の月。■下段に画像あり。 歌川広重 『名所江戸百景 猿わか町よるの景』 - 安政3-5年(1856-58年)の作。猿若町三座(当地にある芝居小屋3座)を擁する江戸市中・猿若町(現在の東京都台東区浅草6丁目付近)の夜の賑わいと、秋の夜空に浮かぶ満月。■下段に画像あり。 葛飾応為 『吉原格子先之図』 - 天保後期-嘉永7年(1840-54年)頃の作。吉原遊廓を主題とした肉筆浮世絵。父の北斎は夜景を多くは描かなかったが、娘の応為は好んで描いた。それというのも、応為は女性を描くのを得意とし、情念や悲哀などといったものを表すのに夜の景が相応しかったからであろう。『吉原格子先之図』では、廓格子で仕切られた張見世の内と外を光と影で対比させ、明るく照らされた見た目には華やかな遊女たちと影絵のような姿で品定めする遊客たちを描き出している。影を描かないことが旧来の日本美術の特徴であったが、西洋美術に触れる機会に恵まれていたであろう彼女の作品には、光と影を活かした表現が多い。 小林清親 『両国花火之図』 小林清親 『御茶水蛍』 小林清親 『両国花火之図』 - 1880年(明治13年)作。名所浮世絵。明治時代になると浮世絵にも西洋美術の影響がいよいよ強く現れ、光と影のコントラストを強調した作風が人気を博すようになる。光線画は光と影で情感に訴える浮世絵の一分野で、清親が創始した。このような表現形態に夕景や夜景は欠かせない。『両国花火之図』は、両国の花火(隅田川花火大会の前身)を主題とした光線画であるが、花火そのものは閃光が強すぎてほとんど見えず、船遊びしながら見物する画面手前の人々がシルエットとして浮かび上がる。■右の画像。 小林清親 『御茶水蛍』 - 1880年(明治13年)作。名所浮世絵。お茶の水の夜景を描いた一図で、蛍の飛び交う夏の夜の神田川を1艘の屋根船がゆく。■右の画像。 小倉柳村 『湯島之景』 - 1880年(明治13年)作。名所浮世絵。 井上安治 『駿河町夜景』 - 1881-89年(明治14-22年)頃の作。名所浮世絵。光線画と夜景を売りにした浮世絵師・井上安治の作品。 フィンセント・ファン・ゴッホ 『星月夜』 - 1889年の作。油彩画。フィンセントは精神病院の部屋の窓から見える夜明け前の村の風景を描いたが、画面には記憶の中の風景もコラージュされている。■下段に画像あり。 歌川広重 『近江八景 石山秋月』 歌川広重 『名所江戸百景 猿わか町よるの景』 フィンセント・ファン・ゴッホ 『星月夜』
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