番組の放映
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「マイケル・ジャクソン裁判」の記事における「番組の放映」の解説
「マイケル・ジャクソンの真実 〜緊急独占放送 密着240日〜」も参照 この事件は2003年2月3日、英国で放映されたテレビ番組「Living with Michael jackson(邦題:マイケル・ジャクソンの真実 〜緊急独占放送 密着240日〜)」において、英国人記者のマーティン・バシールによる8ヵ月密着取材放送で、ジャクソンに寄り添うヒスパニック系の少年ギャヴィン・ヴェンチュラ=アルヴィーゾウ(Gavin Ventura-Arvizo, 1989年12月 - )が映っていたことに端を発した。 この少年は癌にかかり腫瘍を除去する手術で腎臓と脾臓、副腎を失ったが、結果的に完治した少年であった。彼は自分の中学校のクラスにおいてしばしば無作法にふるまったことを認め、そしてしばしば宿題をすることができなかった事を認めた。2000年に彼は癌と診断されており、2000年以降は両親が離婚するなど様々な困難にぶつかった。2005年2月までは、公式には法廷およびマスメディアでは「ジョン・ドウ」(「名無し」を表す仮名)として報告されたが、彼のフルネームはインターネットの至るところで既出となっていた。 ギャヴィンが後に言うには、彼はそれが世界中で放送されるということを認識していなかったという。この放映の後に彼は友人らからからかわれていた。彼の母は「自分の息子をフィルムに映す事をバシールに許可を与えていなかった、そして放映までそれに気づいていなかった」と主張した。ドキュメンタリーにおいてはマコーレー・カルキンを含む多くの少年がジャクソンのベッドにおいて眠ったとされた。だが、この件に関しては犯罪ではなかったと考えられている。 このことに関してジャクソンは、「子供たちが一緒に寝たがる。僕が部屋に招き入れたわけではなく、子供たちが『今夜ここで寝てもいい?』って聞いてくるんだ。僕は『親の承諾があるならいいよ』って」「たくさんの子供たちとは寝たことはあるけど、一人の子供と同じベッドに寝たことはないよ。皆さんは“ベッド”って言うときすぐに性的なことを考えるけど、そうじゃない。子供たちを優しく包んであげて、音楽をかけて、お話を読んであげたりする。暖炉に火をつけて、温かいミルクをあげたり、クッキーをあげたり、子供にはとても楽しいことなんだ。」と述べる。 このドキュメンタリーがイギリスで放映された後、フロリダに滞在していたジャクソンは、ギャヴィンの母にフロリダに来て息子に会うよう要請した。想定上は記者会見のためであった。母は家族全員が行くという条件を用意した。ジャクソンはそれに同意し、家族は自家用機でジャクソンの下に飛んだ。だが記者会見は行われなかった。この3日間の訪問の間に、問題のドキュメンタリーは米国で放映された。そのため家族は「ジャクソンが彼らに番組を見ないよう圧力をかけた」と主張した。 ギャヴィンと彼の家族が帰宅したとき、ジャクソンは飛行機にいた。ジャクソンは母親に民間航空便を使うように要請していた。しかし母親はジャクソンが同じ飛行機にいると主張した。家族はジャクソンがギャヴィンにアルコールを与えたと主張した。彼らがカリフォルニアに戻った後、その一家は2月7日~11日まで再びネバーランドに留まった。母親はこの最中に「監禁されていた」と主張した。 アメリカにおける放送を見た学校関係者を名乗る精神科医がこの件を通報した。通報した理由は「いい大人が子供と一緒に遊んでいるのはおかしいのではないか」というものであった。ロサンゼルス福祉局員はその通報をもとに2月14日から27日まで少年と家族を聴取した。ところが彼らは当初はジャクソンは犯罪を犯していないと述べており、むしろマイケルに対して好意的な証言が多かった。母親は「息子はマイケルと同じ部屋で寝たがベッドを共にはせず、マイケルは床で寝ていた」と証言していた。これらの証言の記録ビデオは後に「テープ818」と言われた。この証言があったため、3月にはSB郡保安官らは「犯罪性なし」として捜査を打ち切った。
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