片桐且元とは? わかりやすく解説

かたぎり‐かつもと【片桐且元】

読み方:かたぎりかつもと

[1556〜1615]安土桃山から江戸初期武将近江(おうみ)の人。豊臣秀吉仕え賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍一人。秀頼の後見役になったが、大坂の陣では徳川方についた


片桐且元(かたぎり かつもと) 1556~1615

○助作 直盛 直倫 且盛 東市正
◇父:片桐直貞 弟:片桐貞隆 子:片桐采女出雲守孝利、九兵衛、為元
 北近江浅井氏家臣浅井氏滅亡直前にその下を去り羽柴秀吉仕える。賤ヶ岳の戦いでは七本槍一人として武名をあげた。その後朝鮮出征などで功をあげる。また、秀吉検地奉行務め、その行政能力の高さもうかがえる秀吉死後豊臣秀頼後見役として重要な地位にあり、一方で徳川家康信任を受け摂津茨城城主となって豊臣徳川折衝役となった。しかし、方広寺鐘銘事件から豊臣方信任失い大坂城を出る。大坂落城後豊臣見捨てた世の批判を受け、切腹しといわれる

片桐且元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 05:58 UTC 版)

片桐 且元(かたぎり かつもと)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名賤ヶ岳の七本槍の一人。




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片桐且元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:58 UTC 版)

へうげもの」の記事における「片桐且元」の解説

秀吉死後豊臣家支え重臣織部と共に豊徳合体」を目指すが、家康との関係悪化止めることは出来ず大野強硬派大坂城追い出される数寄根っこ理解する甥の貞昌に「織部百ヶ条」を授けると約束し研鑽促した

※この「片桐且元」の解説は、「へうげもの」の解説の一部です。
「片桐且元」を含む「へうげもの」の記事については、「へうげもの」の概要を参照ください。

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