海外への出稼ぎ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:41 UTC 版)
「アリー・アブドゥッラー・サーレハの政策」の記事における「海外への出稼ぎ」の解説
イエメンにおいて、海外のイエメン人労働者からの送金は外国からの経済援助、天然ガス・石油産業と並んで重要な外貨獲得手段である。そしてその規模は、外国からの経済援助の総額を大きく上回っている。 イエメン人の海外への出稼ぎが増加したのは1970年代のことだ。当時旧北イエメンでは内戦が終結し、軍隊から戻って仕事を求める若者が大量に発生したが、彼らを受け入れる雇用口は国内には無かった。一方、隣国のサウジアラビアを始めとする産油国は社会インフラの建設・整備を中心とした経済開発が始まっていた。国内には仕事が無いイエメン人と、経済開発を進めたいが肉体労働者の数が足りない湾岸諸国の利害が一致し、大規模なイエメン人の湾岸諸国への出稼ぎが始まったのである。この出稼ぎブームにあたりサウジアラビア政府は、イエメン人労働者に対して、サウジアラビアで働くにあたり必要な雇用証明書の免除を認め、国境周辺に住むイエメン人のパスポート無しでの出入国も許可するなど、様々な特権を与えた。 海外への出稼ぎが増加したことにより、1990年には個人間だけで約15億ドルもの金額が海外からイエメンに送金された(World Bank 2019)。これは同年のGDP比で約26%に上る数字である。しかし、第三節でも述べたように翌年の湾岸危機の際、サウジアラビアを中心とする湾岸諸国は国内で働いていたイエメン人を追放し、サウジアラビアは与えていた特権も取り消したため、海外のイエメン人労働者数と海外からの送金額は激減した。それでもなお1991年の送金額は約10億ドルに上り、GDP比で17%を占めている(World Bank 2019)。その後の送金額は小幅ながら増加していき、2010年には1990年を超える額まで回復した。 イエメン政府が政策としてこの海外への出稼ぎに何らかの支援をしている様子は見受けられなかった。むしろ、政府が国内に十分な雇用の需要を創出できなかったことにより、海外への出稼ぎと海外からの送金額がここまで大きくなったといえるのではないだろうか。また、政府が関わらないからこそ、15億ドルもの金額がサーレハ大統領の管理下に置かれることなくイエメン国民の手に直接届くのである。「海外への出稼ぎは何世紀にもわたってイエメンの文化と経済に不可欠な要素であり続け、国外からの送金によって、イエメン人はイエメンで暮らし続けることができている」と言われている。
※この「海外への出稼ぎ」の解説は、「アリー・アブドゥッラー・サーレハの政策」の解説の一部です。
「海外への出稼ぎ」を含む「アリー・アブドゥッラー・サーレハの政策」の記事については、「アリー・アブドゥッラー・サーレハの政策」の概要を参照ください。
- 海外への出稼ぎのページへのリンク