正倉院文書
読み方:ショウソウインモンジョ(shousouinmonjo)
正倉院文書
正倉院文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 02:35 UTC 版)
正倉院の中倉に納められている文書を正倉院文書という。戸籍などの律令国家の公文書が反故として東大寺に渡り、その紙背を東大寺は記録紙などに利用した。『装潢手実』、『正倉院万葉仮名文書』など数多くの紙背文書がある。 装潢手実 紙背文書後で書かれた文書文書名装潢手実(そうこうしゅじつ) 韓藍花歌(からあいのはなのうた) 概説写経所で、1000部の『法華経』を書写した際、写経生や装潢生などが、各自の書写、または装釘した写経の枚数を記して提出した手実(伝票)のうちの1通である。 写経所の仕事に倦んだ筆者が手遊びに書いた短歌の落書きである。詳細は、韓藍花歌切。 年代天平勝宝元年(749年)8月28日 751年頃 筆者不明 不明 所蔵正倉院文書・続々修第5帙第2巻 大きさ縦27.6cm×横16.1cm 正倉院万葉仮名文書(「和可夜之奈比乃(わがやしなひの)…」) 紙背文書後で書かれた文書文書名正倉院万葉仮名文書 造石山寺所食物用帳(ぞういしやまでらしょしょくもつようちょう) 概説詳細は正倉院万葉仮名文書を参照。 石山寺造営に従事する工夫の給食帳簿。 年代不明 天平宝字6年(762年)1月 筆者不明 不明 所蔵正倉院文書・続修別集第48巻 大きさ縦29.4cm×横52.4cm 正倉院万葉仮名文書(「布多止己呂乃(ふたところの)…」) 紙背文書後で書かれた文書文書名正倉院万葉仮名文書 造石山寺公文案(ぞういしやまでらくもんあん) 概説詳細は正倉院万葉仮名文書を参照。 石山寺造営の公文書の控え。 年代不明 天平宝字6年(762年)1月30日と2月1日 筆者不明 不明 所蔵正倉院文書・続修別集第48巻 大きさ縦29.1cm×横30cm
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