榎本流
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米長の次に角頭の歩を突いた戦法を用いたのが榎本というアマチュア棋士が後手番で用いたもので、加藤治郎他『将棋戦法大事典』(大修館書店、1985年)によると、▲7六歩に△2四歩と、榎本流なら4手目の△2四歩を2手目に早めていることが判明する。なぜならこのあと先手が▲2六歩なら、後手は△3四歩。この局面は前掲とすっかり同じとなるからである。 これについては、この戦法が他流試合には格好の心理戦法の側面があり(後述)、2手目と4手目の角頭の歩突きでは、どちらがより大きく相手の感情を動かすかということを示している。 角頭の歩を突く時期は、坂田は初手から数えて3手目。米長流も早くて3手目。初手から数えてわずか3手目か4手目に、いきなり奇手が現われているが、先手での角頭歩は、榎本流のように相手が角道をあけてないことで角交換が不能なため、仮に、阪田流向かい飛車(坂田流向かい飛車)で1手目に上手△2四歩なら、下手に▲2六歩と突かれてたちまち不利になるし、米長流も初手▲8六歩では後手に△8四歩と突かれて、同様に形勢を悪化させてしまう。いくら早い方が相手を驚かすからといっても、先手でいきなり初手角頭の歩を突くことはできない。 加藤が榎本流角頭歩突き戦法の存在を知ったのが1967(昭和42)年の正月で、これを当時の将棋連盟の機関誌「将棋世界」同年の九月号、同十月号に発表する。これは同年八月の末、元祖である榎本から手紙を頂いて本人からの解説を掲載した。榎本によると、「阪田流、角頭歩突き戦法は香落で角道をあけると角の素抜きにあうため仕方なく指した手ですが、私の場合は相手を有利と楽観させてのち、一挙に終盤戦に持ってゆく烈しいねらいを秘めている積極戦法なのです」「序盤戦で二手目に△2四歩と突かれ、相手がこれに向ってこないようでは、おそれていると笑われてもしかたがないのです。△2四歩と突くときは考えては効果がありません。△2四歩としてから相手の表情をそれとなく観察すると、眼は二倍ぐらい開かれ首をひねり、気味悪そうに考えています。なかには突き違えたのだろうと、△2四歩をわざわざ△3四歩と直してくれる親切な人もいたくらいで、序盤の間合いのとり方には大変苦労するのです。」とし、間合いをはかる、相手の表情で心の動きをキャッチするなど、心理戦手法まで解説。また手紙で解説されるまで、榎本流の手順も▲7六歩△3四歩▲2六歩△2四歩のように、角頭の歩突きを四手目と考えていたが、榎本の手紙の解説によって、角頭歩突きは▲7六歩△2四歩と二手目と判明する。正確には先手が初手に▲7六歩と角道をあけた場合は、後手(榎本流)は二手目に△2四歩と突く、先手が初手に▲2六歩と飛先の歩を突いた場合に、後手は一応△3四歩とし、先手の▲7六歩を待って四手目にはじめて△2四歩と突く、である。 また榎本は「先手が意を決して▲2六歩と指してきたら、次の手をすぐに指してはいけません。早く指すと返って警戒されてダメです。いかにも困ったような渋い顔をして1分ぐらい考える振りをしなければ効果がでません。△3四歩▲2五歩△同歩▲同飛と進んだとき、少し時間をかけなければならないのです。なぜなら時間をかけるほど、相手の表情がゆるんでくるからです。その顔も△8八角成▲同銀△3三桂と進むと多少は締まります。が、そのうち、と金ができることがわかるので、それほどには締まらないのです。」と、時間の使い方、渋い顔の演技、相手の表情の観察など、心盤両面の秘技も公開している。 榎本氏が文中で「と金ができるので」と指摘したのは、▲2一飛成△2二飛▲同竜△同銀、もしくは▲2三飛成△2二飛▲2四歩△2三飛▲同歩成△4五桂の局面である。 またこの戦法で榎本は随分と戦ったようであるが、△同銀の局面にはほとんどならないという。「それは先手の有利さが大方消えてなくなる感じがするためでないかと思います。で、大体は△4五桂と跳ねる局面へと進みます。初手から数えてわずかに十六手目ですが、これからはもう終盤戦です。後手はと金を作られていますが、先手の居玉と歩切れが傷手で、後手の攻めやすい局面です。」ほかに、1五角と攻めてくる場合もあるが、これは以下▲1五角△4四角▲7七銀△1四歩▲2四角△2二飛となり、「先手が不利になります。」 そして榎本は「形勢混沌としていますが、私のもっとも好きな局面でほとんど勝っています。先手が一番ひっかかり易いのは早逃げの▲6八玉です」以下▲6八玉△2五飛▲2四飛△5七桂成▲同玉△3五角。▲4八玉なら△2四角▲同と△2九飛成。▲4六角なら△2四角▲同角△6二玉。で両方とも後手がたしかに優勢になることになる。さらに「▲6八玉のほかに、▲3三角や▲2一飛と攻めてくる人もあります。が、いずれの場合も△6二玉と上がって、後手がほとんど必勝となります。いままでの経験では、両局面以下三十手ないし五十手ぐらいの短手数で勝負が決まっています」という。 榎本は将棋世界掲載年の五月中旬に日本将棋連盟の道場で、プロ棋士に香落で試みてみたという。また加藤はこの榎本流超珍戦法の存在を教えられてからしばらくして大内延介に本戦法を示したところ、大内は「実は数年前、真剣にこの戦法を研究したことがあるのです」と告白した。同時に、いろいろな変化を逆に示したという。
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