柏樹書院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 21:42 UTC 版)
室町時代から続く有職故実の学塾で、日本文化大学の前身である。式胤は、第22代当主である。自身の死後、息子の第一が第23代当主として引き継ぎ、第一の死後、その息子の親繼が第24代当主として引き継いだ。敗戦後、柏樹書院は教養学の学校として復興。しかし、親繼は日本の伝統・文化・秩序が失われていることに喪失を危惧しヨーロッパへ留学。帰国後、東京大学で歴史、日本大学で政治、中央大学で法律を学んだ。その後、柏樹書院の精神を受け継ぎ、日本本来の道徳的伝統と伝統・叡智・美風を継承し次代を背負う優秀な人材を育成する目的で、「手作り教育・徹底した少人数教育」を教育方針に、日本文化大学の建学に生涯を捧げた。尚、1987年(昭和62年)に親繼が他界した後、弟の親正が日本文化大学の学長に就任したが、1995年(平成7年)以降は一家が学長を務めることはなく、佐々木秀雄、杉田博、大森義夫 (官僚)、遠藤豊孝が学長を務め、現在に至る。
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