日本人選手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:47 UTC 版)
佐々木明 2003年ワールドカップウェンゲン回転競技にて日本人最高位タイ2位獲得。日本人5人目の第1シード。2005年3月に志賀高原で開催されたW杯2連戦で、2位表彰台および6位入賞したことで、日本人2人目のトップ7入り 皆川賢太郎 2006年トリノ五輪回転競技で、日本勢で50年ぶりに4位入賞。W杯回転で日本人4人目の第1シード入り 湯浅直樹 2006年トリノ五輪回転競技で7位入賞 猪谷千春 1956年コルティナダンペッツォ五輪回転競技で、日本人初の銀メダル。これは日本人冬季五輪最初のメダルでもあった。2009年までIOC副会長。 海和俊宏 1955年4月 山形県生まれ。1977年スイスのサン・アントンで開かれたW杯男子回転で7位に入賞。タイム差は1秒僅か。このレースをきっかけに日本人として初めてW杯で世界の第1シード入りを果たす。主な成績はW杯:1977年サン・アントン男子回転7位、1978年オーベル・スタウェン男子回転5位、1981年サン・アントン男子回転10位、世界選手権1978年ガルミッシュ・パルテンキルヘン7位、1982年シュラドミング12位、五輪:1984年サラエボ12位 児玉修 1956年9月 長野県生まれ 1980年(当時)西ドイツのレングリースで行われたワールドカップ男子回転第2戦、日本人で初めてW杯回転競技で優勝者とのタイム差で1秒を切った。児玉選手は日本製のスキー(小賀坂スキー)をはいて世界を戦った。このレースで日本製のスキー板が世界に通用することを証明したレースであった。 岡部哲也 W杯で日本人2人目の第1シード入りを果たし、初めて表彰台(2位)に上った選手 木村公宣 W杯で日本人3人目の第1シード入りを果たし、日本人最初のトップ7入りを果たした名スラローマー。03年引退。98年に種目別総合・回転5位。W杯最高位は98年のスイス・ベイソナツ回転の3位。W杯の入賞回数は50回を数える。 川端絵美 日本人女子で初めてW杯の表彰台に上った選手
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「日本人選手」の例文・使い方・用例・文例
- 日本人選手を応援するためにすぐにロンドンに行きたい。
- あなたは、日本人選手は、どの種目でメダルをとると思いますか
- オリンピックで、日本人選手は、どの種目でメダルをとると思いますか
- さまざまな競技でたくさんの日本人選手が、一生懸命努力してきた
- 松井選手は,日本人選手として最高額の支払いを受けることになる。
- また1人,日本人選手がメジャーリーグでデビューを果たした。
- 松井選手は,月間最優秀新人賞を獲得する3人目の日本人選手になった。
- 3人の日本人選手が大リーグオールスター戦に出場
- 7月15日,シカゴで大リーグオールスター戦が行われ,アメリカンリーグから日本人選手3人が試合に参加した。
- 彼女はまた,「最後の1キロの間でさえも,私の後ろの,他の日本人選手が追いつくのではと恐ろしかった。」と語った。
- 彼はNBAの登録メンバーに入った史上初の日本人選手となった。
- それらは,アテネ五輪でメダルを獲得した京子選手の活躍と,他の日本人選手が獲得した多くのメダルを,私たちに思い出させてくれる。
- 鈴木イチロー選手は,今年その試合に出場した唯一の日本人選手だった。
- 彼は大リーグのオールスター戦で打点を記録した最初の日本人選手となった。
- 「それはメジャーで日本人選手が挑戦していないポジションだ。」と彼は加えた。
- スピードスケートの加藤条(じょう)治(じ)選手(20)は,おそらく日本人選手の中で最もトリノ冬季五輪で金メダルを取る可能性が高いだろう。
- 日本人選手は一生懸命競っている。
- 日本人選手が十分に実力を発揮し,最高のレベルで競技を行うことを期待しよう。
- また,ソルトレークシティーでは,日本人選手は27種目で上位8位以内に入ったが,トリノでは,その数は21種目まで減少した。
- 城島選手は2本目のホームランを打ち,大リーグでの最初の2試合それぞれでホームランを打った初めての日本人選手となった。
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