捕虜交換とは? わかりやすく解説

捕虜交換

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 09:55 UTC 版)

ザルイート事件」の記事における「捕虜交換」の解説

2008年6月29日イスラエル政府賛成22反対3の多数決ヒズボラとの捕虜交換を認可する。この事業3段階に分けて実施された。 第1段階1986年10月16日アマルによって捕らえられ1988年5月以降消息伝えられていないイスラエル空軍パイロット、ロン・アラッドに関する情報ヒズボラ提出。妻のタミ・アラッドは彼の写真捕囚時に書いたとされる文書などの所持品受け取る。これを受けてイスラエル側は、1982年第1次レバノン紛争時に行方不明となった外交官ら4名のイラン人に関する情報ヒズボラ提出。それによると、4名はすでに死亡しており、遺体埋葬した場所には墓標立てられているという。しかし、遺体掘り起しには応じなかったためにイラン側が反発、4名の生存イスラエル国内での監禁主張した。なお、ロン・アラッドの生死に関しては、2008年6月30日国連通じてイスラエルにその死亡伝えられている。 第2段階:サミール・クンタルほか4名の囚人イスラエル釈放、さらにヒズボラテロリスト遺体197体を引き渡す。その引き換えヒズボラ側からゴールドワッサーとレゲヴの遺体引き渡されることになったのだが、それが実行移される瞬間になるまで両名安否に関する情報明らかにされなかった。 第3段階:パレスティナ民族対す敬意イスラエル表明し、その地位確認する。その証として数名囚人釈放された。また、囚人数の算定身元確認イスラエルによって行われた。 この事業是非について、つまり存命中の捕虜ならともかく、遺体返還のために囚人(とくにサミール・クンタル)を釈放したことについては、その損得勘定をも含めてイスラエル国内では激論交わされた。 賛成派の側は、遺体のために高い対価払ってしまったとはいえ、ロン・アラッドのようなケースを当たり前のこととし繰りさせないためにも、この事業有益であったとする見解主張。彼らによれば、現在行方不明兵士として扱われているイスラエル兵のなかにはテロ組織捕虜になっている者も多く、彼らには祖国からの救済の手差し伸べられていない。つまりこの事業国家国民をも含む)に対し国家には自国兵を保護する道義的責任があることを再確認させ、いかなる対価払ってでも兵士救済する義務があることを示したというのである。 これに対して反対派は、今回事業によって残した愚かな前例今後与え影響危惧している。つまり、遺体買い取るために殺人犯をも含む囚人支払うというこの上ない不公平な取引は、生存者には生存者死者には死者という捕虜交換における不文律犯したことになるのだが、この不文律こそが、テロリストにとっては、最低限捕虜生命保護せねばならないという義務を自らに課す動機付けになっていたというのである。 もっとも、国家安全保障大し寄与しない事業要点被害者2名の死を国家受け入れか否かにあったであったとはいえ現状打開することなく継続した場合こうむるであろう被害者家族精神的苦痛、とくに夫を失いながら法的さらには道義的)に婚姻関係解消できない状態にあるまだ若いゴールドワッサー夫人将来考慮すれば、止むを得ない判断であったともいわれている。 2008年7月15日ヒズボラから提出されたロン・アラッドに関する資料が不十分であったにもかかわらず国防相ベンヤミン・ベン・エリエゼルいわく「広範囲塗りつぶされたもの」)、イスラエルは一旦停止していた事業再開させる(第2段階に入る)。 翌16日イスラエルレバノンの間にある唯一の検問所であるローシュ・ハ=ニクラーにて両国間における捕虜交換が行われる。上記のように被害者2名の死はヒズボラ側からは公式に伝えられていなかったため、被害者家族いちるの望みつないでこの日に臨んだ作業は朝からはじめられたのだが、現地ではヒズボラ配下にあるテレビ局アル=マナルが中継行っており、その映像イスラエル国内でも視聴することができた。その中継において、テレビ局リポーターヒズボラメンバー国防軍兵士について尋ねたところ、そのメンバー指図をしてカメラをとある方向に向けさせた。次の瞬間画面映されたのは、被害者遺体収められたふたつの黒塗りであった。つまり、この瞬間になってはじめて両名の死が白日の下に晒されのである。しかも、この中継における演出が、あたかも被害者2名のうち、少なくとも1名は生存しているかと思わせるような内容だったため、視聴者受けた衝撃計り知れないものとなり、その非人道的野蛮な手法非難集まったその後、2名の遺体追悼式典のためアッコ近郊にあるゴラニ旅団第1旅団)の駐屯地シュラガに搬送された。 翌17日追悼式典には数万人の参列者が訪れた一方レバノンでは、この日が祝日になることがあらかじめ布告されており、各地祝賀行事開かれていた)。2名の遺体それぞれの故郷、すなわちゴールドワッサーナハリヤ軍用墓地へ、レゲヴはハイファ軍用墓地搬送され、そこで埋葬された。なお、両名遺体帰還したさい、国防軍から2名に対して辞令が発せられ、ゴールドワッサー曹長特務曹長へ、レゲヴ1等軍曹曹長それぞれ昇進している。 2008年8月6日イスラエル数名囚人釈放第3段階の実施)。

※この「捕虜交換」の解説は、「ザルイート事件」の解説の一部です。
「捕虜交換」を含む「ザルイート事件」の記事については、「ザルイート事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「捕虜交換」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「捕虜交換」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「捕虜交換」の関連用語

1
カーテル船 デジタル大辞泉
70% |||||










捕虜交換のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



捕虜交換のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのザルイート事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS