平基親とは? わかりやすく解説

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平基親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/01 14:30 UTC 版)

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平基親
時代 平安時代後期 - 鎌倉時代前期
生誕 仁平元年(1151年
死没 不明
官位 従三位兵部卿
主君 二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇
平徳子
氏族 桓武平氏高棟
父母 父:平親範、母:高階泰重娘
兄弟 基親、俊親、仙範、信親、吉田定経
親守、親房、親長、藤原親兼室、
北条重時継室
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平 基親(たいら の もとちか)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿桓武平氏高棟流、参議平親範の嫡男。官位従三位兵部卿

経歴

「紺紙金字無量義経(平基親願経)」(治承2年(1178年)、東京国立博物館蔵)

蔵人所雑色・六位蔵人を経て、保元3年(1158年従五位下叙爵出雲守伯耆守と地方官を歴任した後、中宮大進五位蔵人右少弁を兼ね、高倉天皇中宮平徳子に仕えるが、治承三年の政変1179年)で解官となる。この頃、後に『平基親願経』と呼ばれる『法華経』8巻に開経『無量義経』と結経『観普賢経』)を合わせた紺紙金字10巻セットを書写供養しており、現在は東京国立博物館に無量義経[1]、個人蔵の巻第五、フリーア美術館に巻第七[2]MOA美術館に巻第八、センチュリー文化財団に観普賢経[3]がそれぞれ所蔵されている。

寿永2年(1183年)、右少弁に還任すると、文治2年(1186年)に従四位下、文治5年(1189年)には正四位下・左大弁と弁官を務めながら順調に昇進し、建久元年(1190年)、従三位・兵部卿に至る。正治年間に『官職秘抄』を編集。

建永元年(1206年)に出家。浄土宗法然に師事する一方、同族の平光盛らの師となる。『選択本願念仏集』の編纂などにも関わった。

官歴

脚注

参考文献

  • 日本文学研究資料刊行会 『平家物語』 有精堂、1969年
  • 日下力 『平家物語の誕生』 岩波書店、2001年





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