中宮職
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中宮職(ちゅうぐうしき)は、律令制において中務省に属して后妃に関わる事務などを扱う役所。元来は、すべての后妃の世話を行うために設置されたが後には皇后と中宮、皇太后などとの並立によりそれぞれに太皇太后宮職、皇太后宮職、皇后宮職と専属の職が置かれる。
構成
構成は上から記述
- 中宮亮(すけ)は定員1名。位階は従五位下。
- 中宮権亮(ごんのすけ)は定員1名。位階は従五位下。
- 中宮大進(たいじょう、「たいしん」ともいう)は定員1名。位階は従六位上。
- 中宮少進(しょうじょう、「しょうしん」ともいう)は定員2名。位階は従六位下。
- 中宮権少進(ごんのしょうじょう、「ごんのしょうしん」ともいう)は定員1名。位階は従六位下。
少属の下に「史生」(しせい)→「職掌」(しきしょう)→「使部」(しぶ)→「直丁」(じきちょう)の下級職員と「侍長」(さむらいのおさ)→「侍」(さむらい)の警備職員および「女孺」(にょじゅ)の女官が存在する。職掌・侍長・侍は平安時代中期に設置されていた令外官である。
関連項目
中宮職
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以下は、中務省に属し中宮についての事務を司った中宮職の職員。 中宮大夫(1319 - 1324):西園寺実衡(1264 - 1315) - 禧子の年上の甥 中宮大夫(1324 - 1327):花山院師賢(文貞公、1301 - 1332) 中宮大夫(1328 - 1333):三条実忠(1304 - 1347) 中宮権大夫(1319 - 1324):花山院師賢 中宮権大夫(1326 - 1333):徳大寺公清(1312 - 1360) - 『太平記』では、後醍醐第一皇子尊良親王と御匣殿の恋愛伝説に、公清をモデルとしたと思われる人物が登場 元弘3年(1333年)の建武政権に短期間置かれた皇太后宮職では、三条実忠と徳大寺公清が続投した。
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