へいじょう‐きょう〔ヘイジヤウキヤウ〕【平城京】
読み方:へいじょうきょう
《「へいぜいきょう」とも》元明天皇の和銅3年(710)藤原京から遷都し、桓武天皇の延暦3年(784)長岡京に遷都するまでの間の都。現在の奈良市市街から西南方にあたる。東西約4.3キロ、南北約4.8キロ。唐の都長安をモデルとしたもので、中央を南北に走る朱雀大路(すざくおおじ)によって左京・右京に二分し、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画した。ならのみやこ。
へいぜい‐きょう〔‐キヤウ〕【平城京】
読み方:へいぜいきょう
⇒へいじょうきょう(平城京)
平城京
平城京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 10:31 UTC 版)
現在基壇のみが残る。朝堂院の正門。朱雀門の真北にあり、そこから会昌門跡、大極殿が見える。規模は朱雀門より小さく、平安神宮神宮の応天門と同じくらいである。(旧跡を示すの碑などは無い。)
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「平城京」の例文・使い方・用例・文例
- 平城京と平安京の市街区画
- 平城京
- 平城京という,日本の古代の都
- 朱雀大路という,平安京と平城京の中を通る道路
- 平城京の新たな遺跡が見つかる
- 平城京は,奈良時代に日本の都だった。
- これまで,九(く)条(じょう)大(おお)路(じ)が平城京の南端であると考えられていた。
- その道路は平城京の道路とほぼ同じくらいの幅である。
- 平城京は東西4.3キロ,南北4.8キロだと考えられていた。
- 新しい道路跡が発見されたことで,平城京の地図はほぼ100年ぶりに描き換えられる必要があるかもしれない。
- 2010年は日本の古都,奈良平城京の遷都1300周年にあたる。
- それらの地震の正確な時期は不明だが,研究者は地層を調べ,最初の地震は710年に都が平城京に移された後に起こったと結論づけた。
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