たいせき‐じ【大石寺】
大石寺
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大石寺(たいせきじ)は、日蓮正宗総本山の寺院である。宗祖は日蓮。正応3年10月12日(1290年11月15日)、第二祖(開祖)日興によって開創された。寺号の大石寺は地名の大石ヶ原(おおいしがはら)に由来する。開基檀那は南条時光。
注釈
- ^ なお、(宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 202)には「敬台院は、〔大石寺第17世〕日精に帰依し(略)細草檀林を設立し」とあり、(日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 702)には、『富士要学全集』第8巻所収「細草檀林資料」を典拠として、「大石寺末寺法詔寺の顕寿院日感〔は〕(略)資金を(略)敬台院(略)に仰ぎ」とある。
出典
- ^ 『宗旨建立と750年の法灯』 P.91
- ^ 執行海秀 1952, p. 151.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 201.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 202-ただし、大石寺が細草檀林を創設したことのみ。
- ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 702.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 208–219-ただし、法難があったことのみ。
- ^ 榎木境道 2007, pp. 450–454-ただし、本書p.453には、本門宗への改称が許された1889年(明治32年)時点での興門派は「大石寺を除く」ともある。また、1872年(明治5年)日蓮宗→1874年(明治7年)勝劣派→1876年(明治9年)興門派へと変遷したこと、1899年(明治32年)興門派が本門宗と称したこと、1900年(明治33年)独立したことのみ。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 230–231-ただし、1876年(明治9年)に日蓮宗興門派と称することになったこと、1900年(明治33年)に日蓮宗富士派と公称したこと、1912年(明治45年)に日蓮正宗と改称したことのみ。
- ^ 斎藤昭俊 1988, p. 458-ただし、日興門流が1876年(明治9年)に独立して日蓮宗興門派と称したこと、1899年(明治32年)に本門宗と改称したことのみ。
- ^ 木村勝行 1995, pp. 61–62-ただし、管長就任関係、日蓮宗富士派を結成したときの末寺数、現在も日蓮正宗であることを除く。
- ^ 「明治末期の六壷(宗務院入口)」の写真による(『宗旨建立と750年の法灯』 P.93)。
- ^ 富士宮市内指定文化財等一覧
大石寺(宗門が主催で執行)
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「宗祖日蓮大聖人御大会」の記事における「大石寺(宗門が主催で執行)」の解説
11月20日 御開扉 お練り(法主を中心とした行列が境内を練り歩くこと。)この行列は御影堂前の石畳の上で歩みをとめる。すると御影堂で待機していた助番僧が法主のもとに向かって説法を願いに向かう。これは法華経に説かれる「三止三請」をあらわすものである。その後、出仕太鼓が鳴り、出仕鈴が鳴り出すと同時にマイクで唱題が始まり、参列者一同の唱題の中、一行は御影堂西側を回り、裏向拝(うらごはい)より入堂。御影堂内陣に入った法主は上行座に座る。このとき、法主に高座説法を願いに僧侶(主に大石寺執事がその役を務める)が伺い、数度にわたり法具を受け取り、高座に設える。これは「右撓三匝(うにょうさんそう)」の意義を顕し、『如来寿量品』の「三請三誡・重誡重請」の格式をもって登高座を願う儀式である。 この後、御本尊の側から南面に設えられた高座に法主が登高座し、唱題が止み、寿量品自我偈を読誦する。 読経・唱題 法主による寿量品説法 三々九度 ここでは特別に醸造された濁り酒が用意され、日蓮と弟子達が杯を交わす姿を表す。小杯、中杯、大杯の順に酌み交わされるが、実に厳正な雰囲気である。このあと御茶番の僧侶より「お菓子頂戴」「お流れ頂戴」の声がかかり、参詣の信徒にもお菓子とお流れが許される。一切の儀式終了の後、最後に「おたーちー」と声がかかり、退座鈴と同時に再びマイクで唱題が始まり、裏向拝から退堂した法主らの行列は、入堂時とは逆に御影堂東側を回り、往路を大坊へと戻る。 11月21日 勤行衆会(丑寅勤行) 正当会出仕太鼓、出仕鈴(鳴りだすと同時に献膳開始まで唱題) 法主入場 献膳 読経(方便品、寿量品長行) 申状捧読日有上人申状(総監(総監欠席の場合は重役)) 立正安国論(法主) 日蓮大聖人申状(宿屋入道許御状)(重役(総監か重役のどちらかが欠席の場合は大石寺主任理事)) 日興上人申状(主に大石寺主任理事、以下の申状は大石寺執事ら塔中坊の一部の住職が捧読) 日目上人申状 日道上人申状 日行上人申状 読経(寿量品自我偈) 引題目(五遍) 観念文 題目三唱 退座鈴(鳴りだすと同時に唱題) 法主退場 お花くずしのお経(方便品・自我偈・唱題、導師・総監(重役の場合あり)) 布教講演 以上が大まかな流れである。 また、日蓮の遠忌にあたる年は初会・中会・終会・附会と1週間ほどかけて法要が行われ、上記の他に 御生骨内拝(御開扉終了後引き続き) 御経行(自我偈訓読・行道散華)、論義式 三師塔墓参 等の行事が行われる。
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