大洞貝塚とは? わかりやすく解説

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大洞貝塚

名称: 大洞貝塚
ふりがな おおほらかいづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 岩手県
市区町村 大船渡市
管理団体
指定年月日 2001.08.13(平成13.08.13)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文:  東北地方北部太平洋岸には変化に富んだ雄大なリアス式海岸発達し,特に三陸海岸豊かな漁場としても有名で,その中央部大船渡湾位置する大船渡湾北方内陸向かって大きく湾入し,自然の良港漁場となっている。その沿岸には16カ所の縄文時代貝塚分布し湾口東岸の浦貝塚西岸下船渡貝塚昭和9年史跡指定されるなど,この地域貝塚密集地としても全国知られている。
 本貝塚は,湾奥東岸位置する縄文時代晩期貝塚であり,後ノ入川形成した扇状地南東から舌状張り出した標高31mの丘陵中心に立地する貝層は,舌状台地の北と南の緩斜面それぞれ2ヵ所ずつ分布している。大正14年東北帝国大学発掘調査し,各地点の貝塚A・A',B,Cとアルファベット順命名されそれぞれから出土した土器標識にして縄文時代晩期全般編年を示す大洞B,B-CC1C2,A,A'式と呼ぶ土器の諸型式設定された。この諸型式は,東北地方から北海道南部中心に広く分布し,この遺跡標識遺跡となっている。また,貝塚良好に保存され優れた骨角器多く食料残滓出土し,この地域漁労実態をよく示している。
 大船渡市教育委員会は,本貝塚重要性認識し遺跡の保存目的平成6年度から範囲性格確認するための発掘調査継続して実施してきた。
 本貝塚は,南北緩斜面貝塚形成され台地頂部東側墓域があり,西側貝塚囲まれ居住域広がっていたと推定される。それらを中心にして,さらに広い範囲晩期遺物包含されている。貝層は,厚いところで1m近く発達する。B地点貝塚分析結果では貝類圧倒的にアサリ多くほ乳類はニホンジカ・イノシシを主体とし,魚類カレイ科・アイナメ・サバ属・マフグ科・スズキの順に多くの骨が発見され鳥類はガンカモ科・ウ科などがわずかに知られる
 出土遺物は,晩期中心とした多く土器石鏃石錐石匙などの石器釣り針,骨鏃,組み合わせ式を含めたヤス類,燕尾形などの銛頭類,骨篦などが出土したまた,石鏃装着の根挟み穿孔されたヒト切歯ヒスイ製などの玉類,土偶ボタン土製品なども発見されている。
 本貝塚は,東北地方北部太平洋岸に発達した大船渡湾貝塚群を代表して当時生業,生活の内容典型的に示すと共に学史的にも縄文時代代表する遺跡であり,きわめて重要である。よって史跡指定して保護図ろうとするものである

大洞貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/02 16:45 UTC 版)

大洞貝塚
大洞貝塚
Location in Japan
大洞貝塚 (日本)
所在地 日本 岩手県大船渡市
座標 北緯39度04分01秒 東経141度44分40秒 / 北緯39.06694度 東経141.74444度 / 39.06694; 141.74444
標高 31 m (102 ft)
面積 20,000 sq.m.
歴史
時代 縄文時代
追加情報
発掘期間 1925, 2002
関係考古学者 東北大学

大洞貝塚(おおほらかいづか)は、岩手県大船渡市赤崎町字大洞にある縄文時代晩期の貝塚2001年(平成13年)8月13日に国の史跡に指定されている[1]

概要

東北地方北部の太平洋岸には変化に富んだ雄大なリアス式海岸が発達し、特に三陸海岸は豊かな漁場としても有名で、その中央部に大船渡湾が位置する。

大船渡湾は北方の内陸に向かって大きく湾入し、自然の良港・漁場となっている。その沿岸には16カ所の縄文時代の貝塚が分布し、湾口部東岸の蛸の浦貝塚と西岸の下船渡貝塚は1934年(昭和9年)に史跡指定されるなど、この地域は貝塚密集地としても全国に知られている。本貝塚は、湾奥の東岸に位置する縄文時代晩期の貝塚であり、後ノ入川が形成した扇状地の南東から舌状に張り出した標高31メートルの丘陵を中心に立地する。貝層舌状台地の北と南の緩斜面にそれぞれ2ヵ所ずつ分布している[2]

1925年(大正14年)に東北帝国大学発掘調査し、各地点の貝塚はA、A'、B、Cとアルファベット順に命名され,それぞれから出土した土器を標識にして縄文時代晩期全般の編年を示す大洞B、B-C、C1、C2、A、A'式と呼ぶ土器の諸型式が設定された。この諸型式は、東北地方から北海道南部を中心に広く分布し、この遺跡が標式遺跡となっている。また、貝塚は良好に保存され、優れた骨角器や多くの食料残滓が出土し、この地域の漁労の実態をよく示している[2]。 大船渡市教育委員会は,本貝塚の重要性を認識し,遺跡の保存を目的に1994年(平成6年)度から範囲・性格を確認するための発掘調査を継続して実施してきた[2]

本貝塚は、南北緩斜面に貝塚が形成され、台地頂部の東側に墓域があり、西側の貝塚に囲まれて居住域が広がっていたと推定される。それらを中心にして、さらに広い範囲に晩期の遺物が包含されている。貝層は厚いところで1メートル近くに発達する。B地点貝塚の分析結果では貝類は圧倒的にアサリが多く、ほ乳類はニホンジカ・イノシシを主体とし,魚類はカレイ科アイナメサバ属・マフグ科・スズキの順に多くの骨が発見され、鳥類はガンカモ科・ウ科などがわずかに知られる。

出土遺物は、晩期を中心とした多くの土器、石鏃・石錐・石匙などの石器、釣り針、骨鏃、組み合わせ式を含めたヤス類、燕尾形などの銛頭類、骨篦などが出土した。また、石鏃装着の根挟み、穿孔されたヒトの切歯、ヒスイ製などの玉類、土偶、ボタン状土製品なども発見されている[2]。 本貝塚は、東北地方北部の太平洋岸に発達した大船渡湾貝塚群を代表して当時の生業、生活の内容を典型的に示すと共に学史的にも縄文時代を代表する遺跡であり、きわめて重要である。よって史跡に指定して保護を図ろうとするものである[2][3]

脚注

  1. ^ 大洞貝塚(いわての文化情報大事典)岩手県文化スポーツ部文化振興課
  2. ^ a b c d e 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2020年10月31日閲覧。 (初版から現在の版まで一部改変あり)
  3. ^ 文化遺産データベース”. bunka.nii.ac.jp. 2020年10月31日閲覧。



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