竹簡
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竹簡(ちくかん)は、おもに東洋において紙の発明、普及以前に書写の材料として使われたもので、竹で出来た札(簡)を竹簡(ちくかん)と呼び、木で作られたものは木簡(もっかん)といい。両者を合わせて簡牘 (かんどく)とした。[1]ただし、中国で用いられたのは竹簡が多いので、竹簡を竹簡と木簡の総称の簡牘の意味で用いる場合も多い。
- ^ 簡牘(カンドク)とは? 意味や使い方(コトバンク)
- ^ a b c d 陳偉 2016
- ^ 冨谷 2012 広辞苑の説明は不適当。
- ^ “簡牘”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 2016年4月6日閲覧。
- ^ 馬場基「009 竹簡について」『奈良文化財研究所学報』第100冊、国立文化財機構 奈良文化財研究所、2021年3月、255-269頁、CRID 1050569302457035008、hdl:11177/9472。
- ^ 三上喜孝「[研究ノート 韓国出土の文書木簡 : 「牒」木簡と「前白」木簡を中心に]」『国立歴史民俗博物館研究報告』第224巻、国立歴史民俗博物館、2021年3月、149-159頁、CRID 1050573243540934016、ISSN 0286-7400。
竹簡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 14:35 UTC 版)
1号墓の竹簡は隷書体(一部は小篆体)で書かれた全2,063字の「遣策」(副葬品目録)だった。散乱していた竹簡は復元の結果、副食品、調味料、酒類・糧食、漆器・土器・化粧用具・衣類、楽器・竹器、木製と土製の明器、の順に大体なっていたと考えられている。遣策の内容と実際の副葬品を対照したところ、殆どが合致した。それ故この遣策は副葬品の名称同定にきわめて役立ち、これによって初めて名称と形態が一致した漢代の器物も多い。また漢初の社会経済、農業生産、生活習慣を研究する上で貴重な資料となっている。 3号墓の遣策の内容は大部分が1号墓のものと一致するが、車騎・楽舞・従者、彼らが所持する武器・儀杖・楽器などの内容も含まれる点が異なり、それらは3号墓に副葬されていた木俑や棺両側の帛画の内容とおおよそ対照できる。また食品・衣類・各種器具についても1号墓に無いものが多く書かれている。医書簡は2巻からなり、そのうちの1巻は『黄帝内経』の内容に近く養生について述べ、別の1巻は房中術について述べている。
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