城砦都市
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デンマーク王クリスチャン3世は1549年、地方官吏であったペーデル・スクラーム(Peder Skram)に命じ、ランズクルーナに城を築き城砦で固めた。築城に10年余りを要したシータデッレット(Citadellet)城は、今でもなおランズクルーナのシンボルになっている。 1658年、スウェーデンとデンマークの間にロスキレの和議が結ばれた後、城砦はその形を変える。内堀の内側に沿って堤防が築かれ、城の外側には4つの稜堡(りょうほ)が作られた。更に外側には外堀も設けられた。この改修により、4つの稜堡と外堀により、シータデッレットはちょうど四角形になった。この城砦は、当時北欧で最も近代的な形であった。 1663年に、ランズクルーナは、スコーネの首都となった。しかし1675年にスコーネ戦争が勃発すると、栄光の時代はすぐに終わりを迎えてしまう。4年間の戦争により、ランズクルーナは荒廃してしまった。スコーネ知事のヨハン・ギッレンスティーエナ(Johan Gyllenstierna)により壮大な再建計画が持ち上がったが、彼の急死により計画は実現されなかった。
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城砦都市
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コンウィ城と旧市街を取り巻く城壁はエドワード1世の命令を受け、王がウェールズの貴族(en)征服に乗り出した1283年から1289年頃に築かれた。城壁が完成すると、14世紀にその内側にまず最初に教会群が建った。それ以前からの建造物は城壁の東南側に残る壁と塔の遺構で、大サウェリン(英語版)とその孫息子の末代公サウェリンの宮殿・宮城(llys)があったと考えられる。岩の斜面に立ち付属の塔にアプスがある点、ウェールズ独得の4つ窓をほどこしてある点を見ると、イングランド人が建てた城壁と容易に識別できる。建造時期は13世紀初頭に始まり、大サウェリンが手がけた御殿(llysoedd)として最も特徴を残している。 城壁に囲まれた旧市街生まれの人には「ジャックドー」Jackdaws というあだ名がある。城壁に巣をかけるカラスの仲間がいるからで、2011年に解散するまでコンウィ旧市街に「ジャックドーの会」という親睦組織があった。 コンウィには1841年時点で1358人が暮らしていた。
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