栄光の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 15:15 UTC 版)
1931年にライトが80歳で没すると、その息子であるウォーレン・ライト・シニアがその運営を引き継いだ。ウォーレンはまず生産品種をサラブレッドへと転換し、のちのカルメットファームの基礎となる体制を形作った。のちの1940年には牧場の規模を1000エーカーに拡張している。 サラブレッド競走での初のステークス勝ちは、1933年に購入した2歳馬Hadagalによるシャンペンステークスであった。牧場に初の生産馬によるステークス競走勝ちをもたらした馬は、1932年生のネリーフラッグという馬であった。ウォーレンは友人であるジョン・D・ヘルツの勧めにより、プリークネスステークス優勝馬である牝馬ネリーモスを購入、これにアメリカンフラッグの種を付けた。この配合によって生まれた牝馬がネリーフラッグで、メイトロンステークスなどに勝ったほか、1934年のアメリカ最優秀2歳牝馬の称号を手にしている。 このウォーレンの代で導入された種牡馬に、牧場の基礎種牡馬となったイギリス産のブレニム、そしてカルメットファームの勝負服でブルーグラスステークスを優勝したブルリーがいた。ともに1936年に購入された馬である。 1950年にウォーレンが死去すると、その遺産を妻であったルシール・パーカー・ライトが引き継いだ。このウォーレンとルシールの時代にカルメットファームは栄華を極め、ブレニムからはワーラウェイ、またブルリーからはサイテーションと2頭のアメリカ三冠馬を出し、さらにニューヨーク牝馬三冠馬デヴォナデール、ティムタムやフォワードパスといったケンタッキーダービー優勝馬などを毎年のように輩出した。2009年現在までに、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂選定されたカルメットファームの競走馬は11頭にのぼる。 カルメットファームと非常に深い繋がりのある調教師に、ベン・ジョーンズの名が挙がる。1940年に初めてベンの厩舎にカルメットファームの馬が預けられ、以後ワーラウェイやトワイライトティアーなどの名馬が競走馬となっていった。1948年にはカルメットファームのゼネラルマネージャーに就任し、以後調教師業は息子のホレース・ジョーンズに受け継がれ、その後もカルメットファームの競走馬を調教している。
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