国鉄から
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:56 UTC 版)
「小田急電鉄の鉄道車両」の記事における「国鉄から」の解説
1800形を始め、戦時中・終戦後の混乱期においては輸送力の確保のため、多くの国鉄17m車・20m車が応援のために入線し、大きな役割を果たしただけでなく、後の20m車導入の基礎となっている。 1944年(東海道本線の代替輸送の準備)東海道本線の代替輸送の可能性の確認のため、5月にオロフ21700が入線し、地上側に必要な工事がなされた。 9月にC58形またはEF10形牽引のロネ3両+ハネ1両、その後モハ40形+クヤ16形+サハ25形+モハ50形が入線したほか、EB10形も入線した記録がある。 1945年(輸送力確保のための応援)空襲により東海道本線・京浜東北線が不通になったため、5月25日から中野電車区のモハ30形とクハ65形のMTTMの4連が入線し、新宿 - 藤沢間の準急に使用された。なお、このときは国鉄の運転士が運転している。 8月に神奈川県内の旧日本軍の撤収の応援のため、中野電車区から3両編成2本が入線し、中野出庫・新宿 - 小田原間の運行・小田原入庫、小田原出庫・新宿 - 小田原間の運行・中野入庫の運用につき、数日後には中野出庫・新宿 - 藤沢間の運行・中野入庫の運用のためにもう1編成が入線した。この運用は1946年1月まで続けられた。車両はモハ30形、モハ50形、クハ55形、サハ25形などによるMTMの3連で、クハ55は小田急線での20m車の初めての本格使用である。 9月には2両編成2本が入線し、新宿 - 稲田登戸間を中心に使用された。これは約1週間ごとに検査のために中野に帰区する以外は小田急線内にとどまる運用であった。こちらは11月末まで続けられ、車両はモハ30形、モハ31形、モハ50形、クハ55形、クハ65形のほか鋼体化改造のクハ79012が1800形より先に63系として初めて入線している。 上記の応援が国鉄側の車両不足により中止となったため、12月には旧青梅鉄道のモハ104、503とクハ2、1003が入線したが状態が悪く、井の頭線でデハ1700形のクハとして1946年11月まで使用し、井の頭線の小田急車を一部戻している。 1947年(南武線輸送力増強)南武線の車両限界の拡大工事が終わり国鉄電車が入線できるようになるまでの間、国鉄電車を小田急に入線させ、その代わりに小田急の電車を南武線に貸し出した。小田急からは1600形5両と1300形1両を貸し出し、その代わりとしてモハ50123+クハ65142、モハ50026+クハ65079、モハ50010+クハ65146の6両が1947年5月末に入線し、途中でモハ50123とモハ50010を返却、モハ31016とモハ60077を借り入れた。1947年10月末で終了したが、モハ60077は運用中に衝突により破損したため、経堂工場にて修理した後、同年11月23日に返却した。 1948年(旧南武鉄道車およびサハ25の借用)8月には廃車予定の木造サハ25形を借用し、1600形の付随車として12月まで使用した。 1950年(米軍の特殊輸送の応援)夏季輸送および在日米軍の特殊輸送の応援のため、8月にモハ63とクハ65のMTMの3連2本を中野電車区から借用した。
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