吉舎町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 06:52 UTC 版)
きさちょう 吉舎町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
辻のヒガンバナ群生地 | |||||
| |||||
廃止日 | 2004年4月1日 | ||||
廃止理由 | 新設合併 三次市、甲奴町、吉舎町、君田村、作木村、布野村、三良坂町、三和町→三次市 | ||||
現在の自治体 | 三次市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方、山陽地方 中国・四国地方 | ||||
都道府県 | 広島県 | ||||
郡 | 双三郡 | ||||
市町村コード | 34584-9 | ||||
面積 | 84.07 km2 | ||||
総人口 | 5,101人 (2004年3月31日) | ||||
隣接自治体 | 三次市、甲奴郡甲奴町、甲奴郡総領町、世羅郡世羅町、世羅郡世羅西町、双三郡三良坂町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | ウメ | ||||
吉舎町役場 | |||||
所在地 | 〒729-4295 広島県三次市吉舎町吉舎368 | ||||
座標 | 北緯34度43分10秒 東経132度59分35秒 / 北緯34.7195度 東経132.99306度座標: 北緯34度43分10秒 東経132度59分35秒 / 北緯34.7195度 東経132.99306度 | ||||
特記事項 | 町役場のデータは三次市役所吉舎支所のものである。 | ||||
ウィキプロジェクト |
2004年4月1日に三次市と甲奴郡甲奴町、双三郡の全6町村(吉舎・三良坂・三和各町および君田・作木・布野各村)が新設合併して改めて三次市が設置されたことに伴い廃止した。
地名の由来
后妃の私有部民、「私部」(きさいちべ)に由来し、さらには承久の乱で隠岐へ配流途中の後鳥羽上皇が「吉(よ)き舎(やど)りかな」と言われたことがあげられている(後鳥羽伝説)[1]。
「御叡慮(えいりょ)に相叶(かない)候や、吉(よ)き舎(やど)りと宣言在(あ)らせられ侯。それより吉舎村と追々村名唱替(となえかえ)侯由」(吉舎村国郡志)
沿革
- 1889年4月1日 - 市町村制施行。吉舎町域では、三谿郡吉舎村(吉舎村・敷地村・矢井村・矢野地村・三玉村・安田村・海田原村が合併)と八幡村(丸田村・檜山村・吉舎川之内村・辻村・雲通村・清網村が合併)、甲奴郡上川村が成立した。
- 1898年10月1日 - 三谿・三次両郡が統合して双三郡が成立したことに伴い、吉舎・八幡両村は双三郡の村となる。
- 1920年10月1日 - 吉舎村が町制施行して吉舎町(初代)になる。
- 1953年2月11日 - 吉舎町(初代)と八幡村が新設合併して吉舎町(2代)が成立する。
- 1955年3月31日 - 甲奴郡上川村の一部(知和地区の全域と太郎丸・安田両地区の各一部)を編入する。
※甲奴郡上川村の残部は甲奴郡甲奴町に編入。
- 1955年11月3日 - 知和地区の一部を三良坂町に割譲する。
- 1957年1月10日 - 世羅郡世羅町徳市の一部を編入する。
- 1961年4月1日 - 甲奴郡甲奴町宇賀の一部を編入する。
- 2004年4月1日 - 三次市と甲奴郡甲奴町、双三郡の全町村の新設合併による新・三次市成立に伴い、廃止する。
歴代町長
- 元廣和亨 - 2004年まで
地理
河川
- 馬洗川 - 江の川支流。
山
- 水呑山(標高557.2m)
- 撫臼山(標高522.8m)
- 富士山(とみしやま、標高471.4m)
名所・旧跡
- 吉舎いこいの森キャンプ場
- ロードサイドミュージアムXa104(きさいちまるよん)
- 美術館あーとあい・きさ
- とみしの里
- 南天山城跡
大字(2004年3月31日当時のデータ)
- 雲通(うずい)
- 海田原(かいだはら)
- 上安田(かみやすだ)
- 吉舎(きさ)
- 吉舎川之内(きさかわのうち)
- 清綱(きよつな)
- 敷地(しきじ)
- 知和(ちわ)
- 辻(つじ)
- 徳市(とくいち)
- 檜(ひのき)
- 丸田(まるだ)
- 三玉(みたま)
- 矢井(やい)
- 安田(やすだ)
- 矢野地(やのち)
交通(2004年3月31日当時のデータ)
鉄道
道路
- 国道
- 主要地方道
- 一般県道
教育(2004年3月31日当時のデータ)
- 小学校
- 吉舎町立吉舎小学校
- 吉舎町立安田小学校
- 吉舎町立八幡小学校
- 吉舎町立八幡小学校徳市分校
- 中学校
- 吉舎町立吉舎中学校
- 高等学校
吉舎町出身の有名人
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 吉舎町のページへのリンク