受領系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 06:19 UTC 版)
平安中期に律令制が解体すると、中央政府は国司に地方支配の権限を大幅に委譲する。強大な権限を与えられた国司のトップである守(親王任国では介)は受領と呼ばれ、中央官司・貴族・寺社に一定の税額を納入すれば余剰分は全て手に入れることが可能となり、莫大な財を築くようになった。院政期には受領功過定が形骸化して成功(御所・御願寺を造営する見返りに新たな官職を与える)・重任(同じ国の受領に再び任じられる)が一般的となり、院への財力奉仕を繰り返すことで収入の多い国を長期に渡って歴任する受領が現れる。代表的な家系は、末茂流(顕季・長実・家保)、道隆流(師信・基隆・忠隆)、良門流(隆時・清隆)の藤原氏、高階氏(為家・為章)、伊勢平氏(正盛・忠盛)である。 彼らは院の家政機関・院庁の四位別当に名を連ねて経済面で院を支えたが、多くは従三位非参議止まりで議政官には加えられず、政治的な発言力を有することはなかった。白河法皇が崩御すると藤原宗忠は「法皇の御時、初めて出来の事」として、「受領功、万石、万疋進上の事」(受領功として米一万石、絹一万疋もの莫大な財を進上する)、「十余歳の人、受領と成す事」(幼少の受領の出現)、「三十余国定任の事」(30ヶ国以上が院分国となり、院近臣が任じられる)、「我が身より始めて子三、四人に至り、同時に受領と成す事」(一家で父子兄弟が並んで受領となる)、「神社・仏寺・封家・納官、諸国の吏全く弁済せざる事」(受領が神社・仏寺・諸家に納める封物、中央官司に納める官物を全く弁済しない)を列挙し、院近臣受領の行状を非難している(『中右記』)。
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