信号設備
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「ニュルンベルク中央駅」の記事における「信号設備」の解説
1900年時点では、約100本の列車に対して転轍機と信号機の操作のために勤務シフトあたり116人の係員が配置されていた。 1907年から1911年にかけて、電気式の信号制御盤が導入された。それ以前は各所で転轍機や信号機を手で転換していた。以前の116人から、電気式信号制御盤導入後は40人の信号扱い手で足りるようになった。運行は、2か所の主信号扱所と12か所の従信号扱所から行われていた。1913年には、1日122本の列車が14の信号扱所に配置された勤務シフトあたり40人の信号扱い手により運行されていた。 1930年から1935年にかけて数多くの変更と改良が行われた。たとえば、安全上の理由によるオーバーラップ信号方式(停止信号の内方にも一定距離の間は他の列車が在線していないことを保証する仕組み)や列車在線時に鎖錠される電気式の番線解放通知装置などが導入された。第二次世界大戦時には、1944年に信号設備が破壊された。一時的に、可搬式の電気機械式連動装置によって代用された。その再建にあたってはさらなる集中化が行われ、4つの信号扱所が廃止された。1968年には初めてSpDrS-60継電連動装置が運用を開始し、一部の主信号扱所を置き換えた。 1983年8月に、全長40 m、高さ21 m、幅11 mの中央信号扱所ビルの工事が開始された。この中央信号扱所は、1988年11月末にNhfという名称で使用開始した。運転指令員とその補佐が、客車の連結作業について連結手の支援を得ながら、駅の西側および東側を管制するようになった。指令する範囲は、西側はフュルトおよびシュヴァイナウ、南側はアイバッハ、東側はドゥーツェントタイヒおよびメーゲルドルフまでである。信号電力の出力は630 kWある。 合計3830万ドイツマルクが投じられた。当時1日あたり800本の営業列車の走行および2900回の入換が行われていた。1970年代に開始された計画では、合理化を行うのみならず計画されていたミュンヘンへの高速線の準備もされていた。新しい信号扱所が運用を開始する直前に、そこからコンピュータ制御されているおよそ100万ドイツマルクを投じた出発案内表示装置が中央ホールにおいて使用開始された。新しい信号扱所に設置されたSpDrS600型連動装置により、およそ70年間使用された信号扱所が廃止となった。1990年代初めのSバーン拡張により、他の3つの信号扱所も廃止となった。不適切な位置に設置され、これ以上拡張することができなくなっていた連動装置が廃止されたことにより、5か所の側線を統合することができた。 こんにち、駅の東西において、運転指令員が列車の走行に対して、また転轍手が入換に対して制御している。さらに番線の変更、車両の連結、運転時隔の調整などを補佐する職員がいる。音声案内と表示装置の制御はDBステーション・アンド・サービスの2人の職員が行っている。これらの職員はすべて中央信号扱所に配置されている。
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信号設備
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「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「信号設備」の解説
最初はホーム内で腕木式信号機、ホーム以外では「ダブル・ディスク信号」を使用していたが、1872年以降は全ての場所で腕木式信号を使用した。また1844年までには原始的な連動装置を使い始めていた。 1856年には従業員のジョン・サクスビーがポイントと信号を手動で連動させる連動装置の特許を取得し、ブリックレイヤーズ・アームズ駅(英語版)で初めて使用された。彼は1860年にヘイワーズ・ヒース近くのキーマー・ジャンクションに最初の完全な連動装置を設置し、そこに小さな作業場を作って個人的な仕事を請け負った。そして会社を辞めて1862年には自身の会社「サクスビー・アンド・ファーマー社」を設立した。それ以降、1880年ごろまでLB&SCRはほぼ全ての信号設備をこの会社に委託していた。 同社のブリックレイヤーズ・アームズ信号場とブライトン信号場にある信号扱所は世界初のものである。1880年以降は自作の装置や請負業者が製作した装置を使用し、徐々に独自の信号扱システムを開発していった。1875年に簡易型連動装置であるアネット・キー(英語版)を発明したJ.E.アネットは、LB&SCRの元従業員であった。 1898年から10年かけてヴィクトリア駅の現代化工事が行われた際にはウィリアム・ロバート・サイクス(英語版)が開発した電気方式を採用し、より信号扱所の小型化に成功した。
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