2010-12-20(Mon)
郊外楽園プロジェクト
このところ、あまり良くないことが連続して起きる。進行中の仕事は予期せぬトラブルで進行が遅れ、新規の仕事はなかなかスタートラインにたどり着かず、挙げ句の果ては、納車して次の日にクルマがエンコしてJAFのお世話になった。まあ、クルマは超古いのを普通に古いのへ乗り換えたのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだけれど。
それにしても、ここ数ヶ月、どうもスカッとしない。
これはきっと、自分らしさを無くしているからだろうと思い至った。
自分のミッションを忘れて、日々に忙殺されると、だんだん歯車が噛み合わなくなって、良からぬことばかりおきるようになる、というパターンだ。
で、ここでひとつ是非ともやりたいことの試論を書いてみることにした。
******************
郊外(ニュータウン)の盛衰
前世紀の100年間で、郊外は生まれ、育ち、隆盛を極め、そして衰退していった。
今、郊外の「ニュー」タウンを歩いても、ここがかつて輝きを放ち憧憬の的であったことを知るよすがはない。
20世紀初頭の近代化から1960年代の高度経済成長まで、都市に集中した人口があふれ出し、郊外は成長し続けた。計画的・人工的に造られた街は、ニュータウンと呼ばれ成長の世紀を象徴し、明るい未来を約束してくれた。
その一方で、郊外は都市へ通うためのベッドタウンとして都市に従属し、「職住近接」や「都市と農村の融合」などの理想は忘れ去られた。自立できない街としてひたすら拡大を続けた。
経済成長の終焉と人口の減少が始まる前世紀の後半になると、そのツケは顕著に現れた。あこがれてニュータウンに住んだ世代は70歳をこえ、無味乾燥な人口街は新たな住民を獲得できない。
過疎と高齢化は、田舎だけの問題ではなくなった。かつて輝いていたあのニュータウンにも押し寄せている。
ニュータウンの定義
私が考える郊外(ニュータウン)の定義はこうだ。
①都市に通勤することを前提にしている
②一定の規模の住宅地が計画的に造られている
③各敷地は庭が取れる程度の広さが確保されている
最寄りの都市(職場)まで2時間以上かかるようでは、郊外とは言えない。せいぜい10軒程度であったり、庭の一つもない狭小敷地では、ミニ開発であってニュータウンではない。
これだけ見れば、なぜ過疎化が進むのかは分からない。非常に良好な住環境に見えるからだ。
なにがニュータウンを凋落させたのか
もともと都市からあふれ出した人々の受け皿であった郊外は、人口が減少し経済が成長しなくなった段階で、衰退の運命は明らかだった。
住宅の数が世帯数を上回り、都市に隣接して閉鎖された工場跡地に次々とマンションが建ち並ぶ。若い夫婦はカッコイイマンションに夢中になり、不動産業界はややこしくも古ぼけたニュータウンのことなど忘れ去った。
驚きの地価下落
こうして郊外はうち捨てられ、地価も下がり続けた。たとえば西宮市の甲子園と名塩を比較してみる。1980年→1989年→2010年の公示価格の推移を、1980年の名塩(茶園町)を1として、消費者物価係数を考慮すると、次のようになる。
甲子園 3.4 → 12.8 → 3.9
名 塩 1.0 → 1.8 → 0.7
このように、一目瞭然だ。これは他の郊外ニュータウンにもほぼ当てはまる。茶園町の地価は現在20万円/坪程度だが、同じ名塩でももう少し離れると10万円以下で、5万円という場所もある。
他に選択肢があるとは言え、ここまでの地価下落にはもう一つ別の理由があるように思われる。すなわち、街全体にただようドンヨリとした停滞感である。活気や風情が感じられない。
しかし、逆に考えれば、利便性や環境面では破格に安く手に入るということでもある。これを、ダメ物件と考えるかチャンスと考えるか、が分かれ道だ。
郊外の再発見
郊外のニュータウンは今、新たな可能性を持ちながらダメ物件として不動産業界の片隅でひっそりと眠っている。不動産業界ばかりか、リノベーションやコンバージョンに熱心な建築家からも、あまりにつまらない街という理由で黙殺されている。
しかし、そんなつまらない郊外ニュータウンを生き返らせる方法がある。キーワードは、擁壁、菜園、コミュニティ そして通勤だ。
トトロの住む街に
ニュータウンを視覚的に支配しているのは擁壁だ。コンクリートや間知石の高い壁が、視界の半分を占めている。この擁壁が無くなり、低い石積みとなだらかな緑の斜面になれば、そこはまるで別荘地のような風情が醸し出させる。
数少ないながらそのような住宅地もあり、歩いていると今にもトトロが出てきそうな雰囲気がある。不細工な擁壁を破壊し、塀やフェンスはもちろん作らず、斜面に木や草や野菜を植えるだけで、無味乾燥なニュータウンは生き返る。
もちろん、いきなり街全体をそのように作り替えることはできないが、少しずつ実例ができていけば街は徐々に変わりはじめる。あるいは、もとから擁壁のない街を活性化し、モデルケースにするという方法もある。
キッチンガーデンタウン(KGT)
カッコイイマンションでは絶対に真似できないのが、本格的な菜園だ。かつてのベッドタウンは、キッチンガーデンコミュニティ(KGT)としてその中心機能を変化させ、生まれ変わる。
KGCの中心は言うまでもなく菜園。10~20坪の菜園スペースが確保できれば、自分たちの食べる分+αが収穫できる。お米と肉以外は、半自給できる。
70坪程度の敷地があれば、少々斜面地でも最低10坪くらいの菜園は確保できる。10坪(20畳)と言えば、初心者であれば持て余すほどの広さだ。
もしもっと広い菜園を希望する場合は、ニュータウン周辺部の農村に溢れている耕作放棄地を貸してもらうことも考えたい。
菜園から広がるコミュニティー
菜園を活かすためには、二つの機能がKGTには必要だ。一つは栽培指導。まったく初めての時はなかなか最初の一歩が踏み出せない。また、少しできるようになると、より巧く栽培できるようになりたいと思う。そのサポートをしてくれる人が欲しい。
二つ目は交換市場。他品種栽培を心がけても、だいたい一時期に同じものがたくさんできすぎる。それをKGTの中や、あるいは外に向けて交換したり安価に分けたりする仕組みが必要だ。
こうした機能を担うNPOを組織する。市民農園などで長年経験を積んできた人や、住宅地の周辺の農家の方などに「師匠」になってもらう。また、ガレージセールの要領で、時間のある人が持ち回りで交換市場を主催する。
ときには、新規居住を希望する人たち向けの見学会や屋外食事会などもできたら面白い。成約できれば、不動産業者や建築業者からNPOに一定の手数料を支払って、NPOの運営費とする。
また、菜園にとどまらず、もっと広い意味でのロハスコミュニティへと発展していく出発点にもなり得る。人と人の有機的なつながりは、予定調和でない様々な可能性を秘めている。
今の仕事は続けたままで
田舎暮らしに憧れる人は多い。けれども、そう簡単に決断できないのは、仕事をやめる訳にいかないからだ。年金や遺産があって、働かなくても食べていける人以外は、仕事を続けることは絶対条件になる。だから、KGTは通勤可能な場所でなければならない。
家から職場までドアトゥードアで1時間半までを許容範囲として考えれば、場所の選択肢は多い。自家用車が不可欠だとか、小学校が近くにないとか、条件付きの場所もあるけれども、中には駅から徒歩圏内というようなところもある。
現金収入は絶対に必要なので、仕事は続ける一方で、仕事から解放されることも考えたい。精神的にも経済的にも会社に依存してしまわない生き方。KGCでの生活が第一で、会社の仕事は収入のためと割り切れること。無理をしなくてもやっていける程度の住宅ローンと、そこそこ自給できる菜園があれば、出世のためにストレスを貯め込む必要もない。
お金は使うものであって使われるものではない ということを実感できる生活を実現したい。
まずは始めよう
KGTの特筆すべきところは、とても簡単に始められるということ。大規模な開発工事も必要ない。コーポラティブのように最初からメンバーを集める必要もない。ひとりからでも始めることができる。
一番簡単なのは、擁壁がなく良い雰囲気のニュータウン(オールドタウン)に70~100坪くらいの土地を購入し、簡素な家を建て、30坪くらいの庭で菜園を始めること。土地と建物で2500万~3000万で充分。マンションを買うよりも安い。
もっと安くあげるには、既存の建物を耐震改修し、きれいにリノベーションする。これならば、2000万でも可能。
最初のひとりが始めたKGTは、バーズアイプロジェクトがバックアップする。希望者をどんどん紹介することで、点から線へ、線から面へとコミュニティーを広げていく。
具体的に紹介できる場所は何カ所かあるので、いつでも始められる。
生きている実感を
アメリカでは「食品安全強化法」という法律ができるらしい。安全を強化するのだから結構な話に見えるが、実はとんでもない法律。農地をすべて役人の監視下におき、結果的に農業を根こそぎ大企業に独占させようという意図がある。将来的には家庭菜園まで取り締まりの対象になる可能性もある。
COP10で注目された「生物多様性に配慮したグリーンビジネス」というのもくせ者だ。経験的、伝統的な小農業を駆逐し、大規模ビジネスへと農業を組み込んでいこうとしている。
国と大企業に、食料も生活手段もぜんぶオンブにダッコでいいのだろうか。そこには、生きている実感はあるのだろうか。
自らの手で自然にコミットし、脅威をしのぎつつ恵みを受けることで今日の命を長らえ、明日の命を生む。この経験が、生きているという実感と、生きるための直感を養っていくのではないだろうか。
人間の生活は、一度この関係にリセットした方がいい。リセットして、生きている喜びやときには困難も含めて実感を取り戻す。それが、郊外楽園の楽園たる所以なのである。
******************
こんなKGTを中心にした郊外楽園プロジェクトについて、研究会を始めようと思っています。
自分で実現したい人はもちろん、建築、不動産、園芸・農業、など様々な立場の方の参加を期待します。
是非、ご連絡を。 (info@mei-getsu.com ←小文字で)
にほんブログ村
それにしても、ここ数ヶ月、どうもスカッとしない。
これはきっと、自分らしさを無くしているからだろうと思い至った。
自分のミッションを忘れて、日々に忙殺されると、だんだん歯車が噛み合わなくなって、良からぬことばかりおきるようになる、というパターンだ。
で、ここでひとつ是非ともやりたいことの試論を書いてみることにした。
******************
郊外(ニュータウン)の盛衰
前世紀の100年間で、郊外は生まれ、育ち、隆盛を極め、そして衰退していった。
今、郊外の「ニュー」タウンを歩いても、ここがかつて輝きを放ち憧憬の的であったことを知るよすがはない。
20世紀初頭の近代化から1960年代の高度経済成長まで、都市に集中した人口があふれ出し、郊外は成長し続けた。計画的・人工的に造られた街は、ニュータウンと呼ばれ成長の世紀を象徴し、明るい未来を約束してくれた。
その一方で、郊外は都市へ通うためのベッドタウンとして都市に従属し、「職住近接」や「都市と農村の融合」などの理想は忘れ去られた。自立できない街としてひたすら拡大を続けた。
経済成長の終焉と人口の減少が始まる前世紀の後半になると、そのツケは顕著に現れた。あこがれてニュータウンに住んだ世代は70歳をこえ、無味乾燥な人口街は新たな住民を獲得できない。
過疎と高齢化は、田舎だけの問題ではなくなった。かつて輝いていたあのニュータウンにも押し寄せている。
ニュータウンの定義
私が考える郊外(ニュータウン)の定義はこうだ。
①都市に通勤することを前提にしている
②一定の規模の住宅地が計画的に造られている
③各敷地は庭が取れる程度の広さが確保されている
最寄りの都市(職場)まで2時間以上かかるようでは、郊外とは言えない。せいぜい10軒程度であったり、庭の一つもない狭小敷地では、ミニ開発であってニュータウンではない。
これだけ見れば、なぜ過疎化が進むのかは分からない。非常に良好な住環境に見えるからだ。
なにがニュータウンを凋落させたのか
もともと都市からあふれ出した人々の受け皿であった郊外は、人口が減少し経済が成長しなくなった段階で、衰退の運命は明らかだった。
住宅の数が世帯数を上回り、都市に隣接して閉鎖された工場跡地に次々とマンションが建ち並ぶ。若い夫婦はカッコイイマンションに夢中になり、不動産業界はややこしくも古ぼけたニュータウンのことなど忘れ去った。
驚きの地価下落
こうして郊外はうち捨てられ、地価も下がり続けた。たとえば西宮市の甲子園と名塩を比較してみる。1980年→1989年→2010年の公示価格の推移を、1980年の名塩(茶園町)を1として、消費者物価係数を考慮すると、次のようになる。
甲子園 3.4 → 12.8 → 3.9
名 塩 1.0 → 1.8 → 0.7
このように、一目瞭然だ。これは他の郊外ニュータウンにもほぼ当てはまる。茶園町の地価は現在20万円/坪程度だが、同じ名塩でももう少し離れると10万円以下で、5万円という場所もある。
他に選択肢があるとは言え、ここまでの地価下落にはもう一つ別の理由があるように思われる。すなわち、街全体にただようドンヨリとした停滞感である。活気や風情が感じられない。
しかし、逆に考えれば、利便性や環境面では破格に安く手に入るということでもある。これを、ダメ物件と考えるかチャンスと考えるか、が分かれ道だ。
郊外の再発見
郊外のニュータウンは今、新たな可能性を持ちながらダメ物件として不動産業界の片隅でひっそりと眠っている。不動産業界ばかりか、リノベーションやコンバージョンに熱心な建築家からも、あまりにつまらない街という理由で黙殺されている。
しかし、そんなつまらない郊外ニュータウンを生き返らせる方法がある。キーワードは、擁壁、菜園、コミュニティ そして通勤だ。
トトロの住む街に
ニュータウンを視覚的に支配しているのは擁壁だ。コンクリートや間知石の高い壁が、視界の半分を占めている。この擁壁が無くなり、低い石積みとなだらかな緑の斜面になれば、そこはまるで別荘地のような風情が醸し出させる。
数少ないながらそのような住宅地もあり、歩いていると今にもトトロが出てきそうな雰囲気がある。不細工な擁壁を破壊し、塀やフェンスはもちろん作らず、斜面に木や草や野菜を植えるだけで、無味乾燥なニュータウンは生き返る。
もちろん、いきなり街全体をそのように作り替えることはできないが、少しずつ実例ができていけば街は徐々に変わりはじめる。あるいは、もとから擁壁のない街を活性化し、モデルケースにするという方法もある。
キッチンガーデンタウン(KGT)
カッコイイマンションでは絶対に真似できないのが、本格的な菜園だ。かつてのベッドタウンは、キッチンガーデンコミュニティ(KGT)としてその中心機能を変化させ、生まれ変わる。
KGCの中心は言うまでもなく菜園。10~20坪の菜園スペースが確保できれば、自分たちの食べる分+αが収穫できる。お米と肉以外は、半自給できる。
70坪程度の敷地があれば、少々斜面地でも最低10坪くらいの菜園は確保できる。10坪(20畳)と言えば、初心者であれば持て余すほどの広さだ。
もしもっと広い菜園を希望する場合は、ニュータウン周辺部の農村に溢れている耕作放棄地を貸してもらうことも考えたい。
菜園から広がるコミュニティー
菜園を活かすためには、二つの機能がKGTには必要だ。一つは栽培指導。まったく初めての時はなかなか最初の一歩が踏み出せない。また、少しできるようになると、より巧く栽培できるようになりたいと思う。そのサポートをしてくれる人が欲しい。
二つ目は交換市場。他品種栽培を心がけても、だいたい一時期に同じものがたくさんできすぎる。それをKGTの中や、あるいは外に向けて交換したり安価に分けたりする仕組みが必要だ。
こうした機能を担うNPOを組織する。市民農園などで長年経験を積んできた人や、住宅地の周辺の農家の方などに「師匠」になってもらう。また、ガレージセールの要領で、時間のある人が持ち回りで交換市場を主催する。
ときには、新規居住を希望する人たち向けの見学会や屋外食事会などもできたら面白い。成約できれば、不動産業者や建築業者からNPOに一定の手数料を支払って、NPOの運営費とする。
また、菜園にとどまらず、もっと広い意味でのロハスコミュニティへと発展していく出発点にもなり得る。人と人の有機的なつながりは、予定調和でない様々な可能性を秘めている。
今の仕事は続けたままで
田舎暮らしに憧れる人は多い。けれども、そう簡単に決断できないのは、仕事をやめる訳にいかないからだ。年金や遺産があって、働かなくても食べていける人以外は、仕事を続けることは絶対条件になる。だから、KGTは通勤可能な場所でなければならない。
家から職場までドアトゥードアで1時間半までを許容範囲として考えれば、場所の選択肢は多い。自家用車が不可欠だとか、小学校が近くにないとか、条件付きの場所もあるけれども、中には駅から徒歩圏内というようなところもある。
現金収入は絶対に必要なので、仕事は続ける一方で、仕事から解放されることも考えたい。精神的にも経済的にも会社に依存してしまわない生き方。KGCでの生活が第一で、会社の仕事は収入のためと割り切れること。無理をしなくてもやっていける程度の住宅ローンと、そこそこ自給できる菜園があれば、出世のためにストレスを貯め込む必要もない。
お金は使うものであって使われるものではない ということを実感できる生活を実現したい。
まずは始めよう
KGTの特筆すべきところは、とても簡単に始められるということ。大規模な開発工事も必要ない。コーポラティブのように最初からメンバーを集める必要もない。ひとりからでも始めることができる。
一番簡単なのは、擁壁がなく良い雰囲気のニュータウン(オールドタウン)に70~100坪くらいの土地を購入し、簡素な家を建て、30坪くらいの庭で菜園を始めること。土地と建物で2500万~3000万で充分。マンションを買うよりも安い。
もっと安くあげるには、既存の建物を耐震改修し、きれいにリノベーションする。これならば、2000万でも可能。
最初のひとりが始めたKGTは、バーズアイプロジェクトがバックアップする。希望者をどんどん紹介することで、点から線へ、線から面へとコミュニティーを広げていく。
具体的に紹介できる場所は何カ所かあるので、いつでも始められる。
生きている実感を
アメリカでは「食品安全強化法」という法律ができるらしい。安全を強化するのだから結構な話に見えるが、実はとんでもない法律。農地をすべて役人の監視下におき、結果的に農業を根こそぎ大企業に独占させようという意図がある。将来的には家庭菜園まで取り締まりの対象になる可能性もある。
COP10で注目された「生物多様性に配慮したグリーンビジネス」というのもくせ者だ。経験的、伝統的な小農業を駆逐し、大規模ビジネスへと農業を組み込んでいこうとしている。
国と大企業に、食料も生活手段もぜんぶオンブにダッコでいいのだろうか。そこには、生きている実感はあるのだろうか。
自らの手で自然にコミットし、脅威をしのぎつつ恵みを受けることで今日の命を長らえ、明日の命を生む。この経験が、生きているという実感と、生きるための直感を養っていくのではないだろうか。
人間の生活は、一度この関係にリセットした方がいい。リセットして、生きている喜びやときには困難も含めて実感を取り戻す。それが、郊外楽園の楽園たる所以なのである。
******************
こんなKGTを中心にした郊外楽園プロジェクトについて、研究会を始めようと思っています。
自分で実現したい人はもちろん、建築、不動産、園芸・農業、など様々な立場の方の参加を期待します。
是非、ご連絡を。 (info@mei-getsu.com ←小文字で)
にほんブログ村
- 関連記事
-
- 木の力 土の力 (2014/04/14)
- 一緒にお米作りしませんか (2012/04/16)
- 郊外楽園プロジェクト 再考 & 構造見学会お知らせ (2012/01/26)
- 六甲菜園からチンゲンサイを福島へ送りました (2011/12/05)
- こんな時代の家づくり (2011/10/04)
- 農の力 (2011/07/04)
- 食糧10%エネルギー80%自給 脱原発な家づくり (2011/06/26)
- 郊外楽園計画 畑が始動! いっしょにやりませんか (2011/04/22)
- 今回の大災害の反省から「郊外楽園」を考える【会議日程変更】 (2011/03/23)
- 郊外楽園研究会 第一回会合は盛況でした (2011/02/08)
- 郊外楽園プロジェクト その2 (2011/01/15)
- 郊外楽園プロジェクト (2010/12/20)