2017-10-18(Wed)
必要なのは「党」?それとも「結社」? それが問題だ
厳密な学術的な定義ではありません。
言葉のイメージで違いをわかってもらいたいと思って、党と結社という言葉を選びました。
どっちが良いとか悪いとかの意味もありません。
政治結社というと、すごく禍々しい印象がありますが、そういう意味ではなく、政党との違いを強調したいのです。
つまり、政治結社は、一定の思想信条や信仰にもとづき、あるべき政治や社会の姿を共有して目指していく集団という意味です。
英語で言うと association
すぐわかるのは、共産党と公明党は政治結社です。
社民党も、まあ政治結社でしょうし、日本の心なんかもそういうこと。
では、党とは何かというと、一定の階層や集団の利害を代表する集団です。
party はパート、つまり社会の中の部分を代表するのであって、社会全体の利益を主張するものではありません。
政治の党(政党)の代表選手は、紛れもなく自民党です。
維新もそうですね。
党のスゴいのは、必ずしも共通の思想やあるべき社会像を共有する必要がない ということです。
当面の利害が一致すれば、躊躇なく歩調を合わせ、ひとつの集団として行動します。
では、かつての民主党とか民進党はどうだったのでしょうか。
かなり幅広い思想の持ち主がいましたから、党(party)のように見えますが、実態は複数の結社(association)の寄り合い所帯のままだったと言えるのではないでしょうか。
そこが自民党とのちがいで、民主党が二大政党の担い手になれなかった最大の原因です。
自民党のように、当面の利害でがっちり歩調をあわせることができず、もっと先の話でアーだコーだと内紛を繰り返し、首相候補だった小沢氏の(政治的な)手足を縛り上げ、ついには追放してしまいました。
それは民進党になっても変わらず、自民党にかわる力強さ(=えげつなさ)を備えることはできず、支持率は低迷してままでした。
あのまま解散総選挙になり、小池サギに遇わなかったとしても、結局惨敗していたことでしょう。
■
では、野党が結社のままでは、どうしてもバラバラのままなのでしょうか。
いえ、それを解決するための方策が、例の「オリーブの木」だったはずです。
米国や英国のような二大政党制では、民主党・共和党も労働党・保守党 どちらもまぎれもなく「党」です。
しかし、ドイツ、フランス、スペインなどは、二大政党制ではありません。
詳しくは知りませんが、おそらく結社的な集団がたくさんあって、そのいくつかが、時と場合によって連立を組んで政権をとっています。
その組み合わせは、自民党と公明党のように固定されておらず、ケースバイケースで選挙ごとに変わります。下記はドイツの例です。
(1949年から2013年までの各党の得票率の変動。グラフの中ほどに書かれているのはその時の政権与党 wikipediaより)
真ん中の政権政党の組み合わせだけ見れば、ころころ変わっているのがわかります。
このようなワリキリができれば、無理に党にならずとも、結社連合で政権交代を繰り返していくことができます。野合当然!何が悪いの?という政治のあり方です。
日本の大間違いは、結社のままで二大政党を目指したことです。
小選挙区を導入した時点で、二大政党になるか、欧州型の結社連立をやるか、どちらかしかなかったにもかかわらず、思想心情的に「結社」のままで、二大政党を目指してしまった。これが小沢一郎さんの戦略の蹉跌です。
■
今回の総選挙において起きたことは、希望の党という大きな野合集団ができかけて潰された、ということです。
作りかけたのも壊したのも小池百合子です。
安倍政権を打倒するという、ただそれだけを目的にした、超野合集団を、前原は作ろうとし、小池もおそらく最初はそのつもりだったのでしょう。
しかし、小池の目的は自分が首相になることですから、どうやらそこまでは届きそうにないとわかった時点で、一気にチャブダイをひっくり返しました。「さらさら」「排除」です。
せっかくできかけた野合集団=政党を、踏み絵を踏ませることで結社にしてしまいました。
結果、結社の寄り合い所帯だった民進党が、2つの結社に分かれたという、何の面白くもない結果になりました。
もともと心情的に結社だった人たちは、大喜びで立憲民主党を大歓迎していますが、野合をいやがる結社である限りは、マックス50議席程度の少数野党であり続けるしかありません。
本当に大喜びしているのは、安倍晋三と加計孝太郎です。
投開票日の翌日、23日には加計学園の獣医学部の許認可を出すと言われています。禊ぎはすんだ、というわけです。
安倍晋三は小池百合子には足を向けて寝られないでしょう。(そこから、色々想像は膨らみますが、今日は語りません)
今回のことから私たちが学ばなければならないのは、政権交代をする気ならば、積極的に野合しなければならないということです。
つまり、はじめから当面の利害でつながる政党になるか、結社同士の野合(連立)をケースバイケースで組み替えていくか、です。
なぜなら、社会は多様だからです。過半数の利害を忠実に代表するなんてことはできません。一定の階層の中にも多種多様の思想信条があります。
だったら、それを無理矢理にまとめ上げるのではなく、当面の政策課題の一致で「野合」することのほうが、ずっと民主主義なのではないでしょうか?
野合を批判するのは、全体主義です。
政党でも結社連立でも、どっちでもいいと思います。ただ、日本人の政治のスタンダードは自民党ですから、本当は自民党型の政党がもうひとつできることが、わかりやすいだろうとは思います。
その意味で、前原がやろうとしたこと自体は、私は間違っていなかったと思っています。結果はマンマとだまされて、最悪の事態になってしまいましたが。
問題はこれからです。
立憲と希望の支持者が、自民党のことを忘れて批判合戦をやっているような現状を見ていると、道は遠いなと感じます。
具体的なことは選挙が終わってみないとわかりませんが、今日書いたことを、よくよく頭に刻んで、これからのことを考えたいと思っています。
■お知らせ■
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言葉のイメージで違いをわかってもらいたいと思って、党と結社という言葉を選びました。
どっちが良いとか悪いとかの意味もありません。
政治結社というと、すごく禍々しい印象がありますが、そういう意味ではなく、政党との違いを強調したいのです。
つまり、政治結社は、一定の思想信条や信仰にもとづき、あるべき政治や社会の姿を共有して目指していく集団という意味です。
英語で言うと association
すぐわかるのは、共産党と公明党は政治結社です。
社民党も、まあ政治結社でしょうし、日本の心なんかもそういうこと。
では、党とは何かというと、一定の階層や集団の利害を代表する集団です。
party はパート、つまり社会の中の部分を代表するのであって、社会全体の利益を主張するものではありません。
政治の党(政党)の代表選手は、紛れもなく自民党です。
維新もそうですね。
党のスゴいのは、必ずしも共通の思想やあるべき社会像を共有する必要がない ということです。
当面の利害が一致すれば、躊躇なく歩調を合わせ、ひとつの集団として行動します。
では、かつての民主党とか民進党はどうだったのでしょうか。
かなり幅広い思想の持ち主がいましたから、党(party)のように見えますが、実態は複数の結社(association)の寄り合い所帯のままだったと言えるのではないでしょうか。
そこが自民党とのちがいで、民主党が二大政党の担い手になれなかった最大の原因です。
自民党のように、当面の利害でがっちり歩調をあわせることができず、もっと先の話でアーだコーだと内紛を繰り返し、首相候補だった小沢氏の(政治的な)手足を縛り上げ、ついには追放してしまいました。
それは民進党になっても変わらず、自民党にかわる力強さ(=えげつなさ)を備えることはできず、支持率は低迷してままでした。
あのまま解散総選挙になり、小池サギに遇わなかったとしても、結局惨敗していたことでしょう。
■
では、野党が結社のままでは、どうしてもバラバラのままなのでしょうか。
いえ、それを解決するための方策が、例の「オリーブの木」だったはずです。
米国や英国のような二大政党制では、民主党・共和党も労働党・保守党 どちらもまぎれもなく「党」です。
しかし、ドイツ、フランス、スペインなどは、二大政党制ではありません。
詳しくは知りませんが、おそらく結社的な集団がたくさんあって、そのいくつかが、時と場合によって連立を組んで政権をとっています。
その組み合わせは、自民党と公明党のように固定されておらず、ケースバイケースで選挙ごとに変わります。下記はドイツの例です。
(1949年から2013年までの各党の得票率の変動。グラフの中ほどに書かれているのはその時の政権与党 wikipediaより)
真ん中の政権政党の組み合わせだけ見れば、ころころ変わっているのがわかります。
このようなワリキリができれば、無理に党にならずとも、結社連合で政権交代を繰り返していくことができます。野合当然!何が悪いの?という政治のあり方です。
日本の大間違いは、結社のままで二大政党を目指したことです。
小選挙区を導入した時点で、二大政党になるか、欧州型の結社連立をやるか、どちらかしかなかったにもかかわらず、思想心情的に「結社」のままで、二大政党を目指してしまった。これが小沢一郎さんの戦略の蹉跌です。
■
今回の総選挙において起きたことは、希望の党という大きな野合集団ができかけて潰された、ということです。
作りかけたのも壊したのも小池百合子です。
安倍政権を打倒するという、ただそれだけを目的にした、超野合集団を、前原は作ろうとし、小池もおそらく最初はそのつもりだったのでしょう。
しかし、小池の目的は自分が首相になることですから、どうやらそこまでは届きそうにないとわかった時点で、一気にチャブダイをひっくり返しました。「さらさら」「排除」です。
せっかくできかけた野合集団=政党を、踏み絵を踏ませることで結社にしてしまいました。
結果、結社の寄り合い所帯だった民進党が、2つの結社に分かれたという、何の面白くもない結果になりました。
もともと心情的に結社だった人たちは、大喜びで立憲民主党を大歓迎していますが、野合をいやがる結社である限りは、マックス50議席程度の少数野党であり続けるしかありません。
本当に大喜びしているのは、安倍晋三と加計孝太郎です。
投開票日の翌日、23日には加計学園の獣医学部の許認可を出すと言われています。禊ぎはすんだ、というわけです。
安倍晋三は小池百合子には足を向けて寝られないでしょう。(そこから、色々想像は膨らみますが、今日は語りません)
今回のことから私たちが学ばなければならないのは、政権交代をする気ならば、積極的に野合しなければならないということです。
つまり、はじめから当面の利害でつながる政党になるか、結社同士の野合(連立)をケースバイケースで組み替えていくか、です。
なぜなら、社会は多様だからです。過半数の利害を忠実に代表するなんてことはできません。一定の階層の中にも多種多様の思想信条があります。
だったら、それを無理矢理にまとめ上げるのではなく、当面の政策課題の一致で「野合」することのほうが、ずっと民主主義なのではないでしょうか?
野合を批判するのは、全体主義です。
政党でも結社連立でも、どっちでもいいと思います。ただ、日本人の政治のスタンダードは自民党ですから、本当は自民党型の政党がもうひとつできることが、わかりやすいだろうとは思います。
その意味で、前原がやろうとしたこと自体は、私は間違っていなかったと思っています。結果はマンマとだまされて、最悪の事態になってしまいましたが。
問題はこれからです。
立憲と希望の支持者が、自民党のことを忘れて批判合戦をやっているような現状を見ていると、道は遠いなと感じます。
具体的なことは選挙が終わってみないとわかりませんが、今日書いたことを、よくよく頭に刻んで、これからのことを考えたいと思っています。
■お知らせ■
●10/18(水)の予定
— 服部良一 (@hattori_ryoichi) 2017年10月17日
7:00~JR茨木駅西口
8:00~JR茨木駅東口 応援弁士:辻元清美さん
※途中から西口に移動します。
16:30~イオン南側(中津町18-1)スポット
茨木市内を10か所以上スポット演説して回ります!
見かけたら応援よろしくお願いします。 pic.twitter.com/OQ2BN1nTsG
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