2016-12-27(Tue)
「反共」というオバケ
マルクスの時代には 共産主義というオバケがヨーロッパを跋扈していたらしいが、戦後の日本では反共というオバケが幅をきかせている。
反共とは、あえてフルネームにすれば 反共産主義 ということなのだろうが、反共を唱える人の数%も共産主義を知っている人はいないように見受けられる。知らないモノに「反」も何もあったものではないので、実質は 反共産主義 ではなく、反共は反共というひとつのイデオロギーであるらしい。
もちろん、戦後よりも戦中のほうが激烈な反共があり、小林多喜二の拷問死をあげるまでもなく、アカと言われれば命が危なかった。
戦中の反共は、オバケなどではなく、実態のハッキリした特高であり憲兵であり、目に見える拷問だった。
それに比べると、戦後の反共は、自由平等平和の憲法の下での反共だからこそ、オバケたる所以がある。
戦後の反共にも、前半と後半がある。
およその話、1970年頃までが前半であり、それ以降が後半と言えよう。
前半は、オバケと言っても実体が伴っていた。つまり、共産主義革命が実現してしまうかもしれないというリアリティがそれなりにあったので、反共は あきらかにそうした「脅威」に対するアンチという面があった。
しかし、1970年代半ば以降、日本で共産主義革命が実現するかも、と真剣に考える人はごくごく少数になった。当然ながら、反共もその意味が変わり、反共産主義ですらない、ただの反共、まさにオバケになったのだ。
ただし、戦後の反共オバケの出生は、戦後前期、日本国憲法と講和条約とともに生まれてきたという点は見逃せない。
最初の反共オバケは、マッカーサーと吉田茂の共作である。
まさに、自由平等平和の反共であり、別名、永続的植民地化のための反共オバケである。
日本の敗戦時に、ファシズムを打倒して権力を握ったのは共産主義ではなくマッカーサーでありその僕としての吉田茂であった。
そして、隣の中国で共産主義革命が同時進行していくなかで、超リアリティを持って彼らは「反共」を徹底し、反共反ファシズムこそが、戦後日本の基本路線として位置づけられた。
ファシズムと共産主義という二つの「悪鬼」を押さえつける巨人として、アメリカは君臨し、それに徹底従属することで「自由平等平和」を守るという路線を吉田茂は日本の政治に植え付けた。
この基本路線は、70年以上たった今も基本は変わらない。
反共オバケの第二世代は、1960年ごろに生まれた。(私と同世代だ)
労働組合が総評から同盟が分裂し、社会党から民社党が分裂した。これらこそが、反共オバケ第二世代である。
戦後革命の危機は過ぎたとはいえ、今度は60年安保闘争が燃えさかってきた。
当時は、今とは比べものにならないほど労働組合も強く、多くの日本人も安保を破棄して独立平和を願う声は大きかった。
吉田茂が敷いた、対米従属による戦後民主主義がほころび始めていた。
この当時もまだ共産主義革命のリアリティは今ほど希薄ではなかっただろうが、そうした本来の反共よりも、「反共」を支配の道具として使うというオバケ性がより強くなっていたのが、第二世代の特徴だ。
総評と社会党という、安保闘争のナショナルセンターを分裂させ、「反共」のスローガンを米国からの独立を潰すために利用した。
もちろん、その創設資金はCIAから提供されていたことが2006年になってアメリカ国務省の外交資料集に公開された。
その意味でも、自民党と民社党は兄弟であった。
こうした誕生のいわれからもわかるように、民社党や同盟の最優先の思想は、労働者の権利とか平和とかではなく、反共である。
共産主義の何が悪いというような理屈はなくて、共産党や共産主義に見えるモノを敵視することが、何よりも最優先なのである。
「革新」とか「リベラル」などを、反共を経て親米に至るコースに作り替えたのが、反共オバケ第二世代であり、ここまでは、あるていど共産主義という実体との関係をもつ前半ということになる。
第三世代は、1980年代の新自由主義の日本上陸を経て、1990年頃に生まれている。
1998年 総評と同盟が合併して連合が誕生
1993年 非自民の細川内閣成立
1994年 村山内閣の日米安保肯定(事実上の社会党崩壊)
1998年 民主党の成立(民社党・同盟系を糾合)
この過程は、55年体制の終焉であり、革新勢力の崩壊であった。
55年体制の打破を目指した小沢一郎氏は従米の戦後民主主義の象徴たる社会党を潰すことが、日本の独立の一歩であると考えていたのだろうが、現実は違う方向に動き始めた。
新生党が、社会党の組合や住民運動に相当する国民の間のネットワークを持っていれば、小沢氏の狙いは実現したかもしれない。
しかし、社会党崩壊でおきたことは、民の声を拾う組織の崩壊であった。
それは、社会党自身の方向性とは別に、下から突き上げる民の力が個々バラバラに散乱する結果となった。
第二世代までは、反共の自民、反共の民社(同盟)だけが選択肢ではなかった。隠れ従米の疑惑が濃厚ではあるが、社会党はそいういう選択肢になってきたことは間違いない。その選択肢すらなくなってしまったのが、第三世代の反共オバケである。
反共オバケに、国全体がドップリ包み込まれたということだ。
現在もいまだ第三世代の反共オバケが政権中枢から労働組合まで好き放題に飛び回っている。
今は民進党という名前にかわっているが、かつて民社党が反共を最優先の党是にしたエキスは、今の民進党にそのまま受け継がれている。
実質的に総評が同盟に乗っ取られたかたちの連合が、自民党よりも共産党を100倍憎むのは当然といえば当然なのである。
ただ、第三世代オバケにほころびは生じ始めている。
まず、当の共産党の変化である。
共産党がガチガチの石頭であることが、「反共」の存在を支えてきたのだが、ご存じような路線変更で、「反共」が支持を得られにくくなっている。
民進党の得票が共産党の2倍に及ばないことがそれを証明している。
また、今となっては共産主義革命がおきると感じている人は、ほぼいなくなったということもある。
共産党支持者ですら、共産党が共産主義をめざしていると思っていない。
そんな中で「反共」って何なのか、昔を知るお年寄りはともかく、最近の人たちには理解不能な生き物になりつつある。
やっとオバケの尻尾が見えてきたのだ。
これまで書いてきたように、日本の「反共」は反共産主義ではない。
反独立であり、反「反米」である。
その実体が透けて見え始めてきた。
日本の独立を真剣に考える時が、やっとめぐってきたということだ。
敵もほころび始めているが、味方もボロボロ、というのが冷静な現状だ。
やっと時がめぐってきた時には、立つべき同志も組織もほとんどいない。
それでも、これまでは「敵」だった反戦平和と自主独立が、「平和独立」という看板に少しずつ目線を投げかけつつある。
まだリアリティに欠けるけれども、この路線をしっかりと作りあげることが、反共オバケを棺桶に戻すことになるだろう。
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反共とは、あえてフルネームにすれば 反共産主義 ということなのだろうが、反共を唱える人の数%も共産主義を知っている人はいないように見受けられる。知らないモノに「反」も何もあったものではないので、実質は 反共産主義 ではなく、反共は反共というひとつのイデオロギーであるらしい。
もちろん、戦後よりも戦中のほうが激烈な反共があり、小林多喜二の拷問死をあげるまでもなく、アカと言われれば命が危なかった。
戦中の反共は、オバケなどではなく、実態のハッキリした特高であり憲兵であり、目に見える拷問だった。
それに比べると、戦後の反共は、自由平等平和の憲法の下での反共だからこそ、オバケたる所以がある。
戦後の反共にも、前半と後半がある。
およその話、1970年頃までが前半であり、それ以降が後半と言えよう。
前半は、オバケと言っても実体が伴っていた。つまり、共産主義革命が実現してしまうかもしれないというリアリティがそれなりにあったので、反共は あきらかにそうした「脅威」に対するアンチという面があった。
しかし、1970年代半ば以降、日本で共産主義革命が実現するかも、と真剣に考える人はごくごく少数になった。当然ながら、反共もその意味が変わり、反共産主義ですらない、ただの反共、まさにオバケになったのだ。
ただし、戦後の反共オバケの出生は、戦後前期、日本国憲法と講和条約とともに生まれてきたという点は見逃せない。
最初の反共オバケは、マッカーサーと吉田茂の共作である。
まさに、自由平等平和の反共であり、別名、永続的植民地化のための反共オバケである。
日本の敗戦時に、ファシズムを打倒して権力を握ったのは共産主義ではなくマッカーサーでありその僕としての吉田茂であった。
そして、隣の中国で共産主義革命が同時進行していくなかで、超リアリティを持って彼らは「反共」を徹底し、反共反ファシズムこそが、戦後日本の基本路線として位置づけられた。
ファシズムと共産主義という二つの「悪鬼」を押さえつける巨人として、アメリカは君臨し、それに徹底従属することで「自由平等平和」を守るという路線を吉田茂は日本の政治に植え付けた。
この基本路線は、70年以上たった今も基本は変わらない。
反共オバケの第二世代は、1960年ごろに生まれた。(私と同世代だ)
労働組合が総評から同盟が分裂し、社会党から民社党が分裂した。これらこそが、反共オバケ第二世代である。
戦後革命の危機は過ぎたとはいえ、今度は60年安保闘争が燃えさかってきた。
当時は、今とは比べものにならないほど労働組合も強く、多くの日本人も安保を破棄して独立平和を願う声は大きかった。
吉田茂が敷いた、対米従属による戦後民主主義がほころび始めていた。
この当時もまだ共産主義革命のリアリティは今ほど希薄ではなかっただろうが、そうした本来の反共よりも、「反共」を支配の道具として使うというオバケ性がより強くなっていたのが、第二世代の特徴だ。
総評と社会党という、安保闘争のナショナルセンターを分裂させ、「反共」のスローガンを米国からの独立を潰すために利用した。
もちろん、その創設資金はCIAから提供されていたことが2006年になってアメリカ国務省の外交資料集に公開された。
その意味でも、自民党と民社党は兄弟であった。
こうした誕生のいわれからもわかるように、民社党や同盟の最優先の思想は、労働者の権利とか平和とかではなく、反共である。
共産主義の何が悪いというような理屈はなくて、共産党や共産主義に見えるモノを敵視することが、何よりも最優先なのである。
「革新」とか「リベラル」などを、反共を経て親米に至るコースに作り替えたのが、反共オバケ第二世代であり、ここまでは、あるていど共産主義という実体との関係をもつ前半ということになる。
第三世代は、1980年代の新自由主義の日本上陸を経て、1990年頃に生まれている。
1998年 総評と同盟が合併して連合が誕生
1993年 非自民の細川内閣成立
1994年 村山内閣の日米安保肯定(事実上の社会党崩壊)
1998年 民主党の成立(民社党・同盟系を糾合)
この過程は、55年体制の終焉であり、革新勢力の崩壊であった。
55年体制の打破を目指した小沢一郎氏は従米の戦後民主主義の象徴たる社会党を潰すことが、日本の独立の一歩であると考えていたのだろうが、現実は違う方向に動き始めた。
新生党が、社会党の組合や住民運動に相当する国民の間のネットワークを持っていれば、小沢氏の狙いは実現したかもしれない。
しかし、社会党崩壊でおきたことは、民の声を拾う組織の崩壊であった。
それは、社会党自身の方向性とは別に、下から突き上げる民の力が個々バラバラに散乱する結果となった。
第二世代までは、反共の自民、反共の民社(同盟)だけが選択肢ではなかった。隠れ従米の疑惑が濃厚ではあるが、社会党はそいういう選択肢になってきたことは間違いない。その選択肢すらなくなってしまったのが、第三世代の反共オバケである。
反共オバケに、国全体がドップリ包み込まれたということだ。
現在もいまだ第三世代の反共オバケが政権中枢から労働組合まで好き放題に飛び回っている。
今は民進党という名前にかわっているが、かつて民社党が反共を最優先の党是にしたエキスは、今の民進党にそのまま受け継がれている。
実質的に総評が同盟に乗っ取られたかたちの連合が、自民党よりも共産党を100倍憎むのは当然といえば当然なのである。
ただ、第三世代オバケにほころびは生じ始めている。
まず、当の共産党の変化である。
共産党がガチガチの石頭であることが、「反共」の存在を支えてきたのだが、ご存じような路線変更で、「反共」が支持を得られにくくなっている。
民進党の得票が共産党の2倍に及ばないことがそれを証明している。
また、今となっては共産主義革命がおきると感じている人は、ほぼいなくなったということもある。
共産党支持者ですら、共産党が共産主義をめざしていると思っていない。
そんな中で「反共」って何なのか、昔を知るお年寄りはともかく、最近の人たちには理解不能な生き物になりつつある。
やっとオバケの尻尾が見えてきたのだ。
これまで書いてきたように、日本の「反共」は反共産主義ではない。
反独立であり、反「反米」である。
その実体が透けて見え始めてきた。
日本の独立を真剣に考える時が、やっとめぐってきたということだ。
敵もほころび始めているが、味方もボロボロ、というのが冷静な現状だ。
やっと時がめぐってきた時には、立つべき同志も組織もほとんどいない。
それでも、これまでは「敵」だった反戦平和と自主独立が、「平和独立」という看板に少しずつ目線を投げかけつつある。
まだリアリティに欠けるけれども、この路線をしっかりと作りあげることが、反共オバケを棺桶に戻すことになるだろう。
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