2016-09-14(Wed)
憲法フェス@大阪を終えて
憲法フェス@大阪が終わった。
7月の選挙直後に、全国10箇所というアイディアから始まり、大阪は実行委員会を作ってバックアップするということを決め、走り始めた。
その直後、三宅洋平氏と安倍昭恵のお食事会のFBアップがあり、私は踏み出した一歩目の足が絡まって転倒した。
いわば顔面を地べたに直撃したような状態で、何故なんだろうと考えて、私なりに整理をした。
そうか、三宅さんという人は、敵VS味方という構図で考えないのか。敵という概念がないのだ。
なるほど、私とは違うけれども、そういう発想もあるよな、と気を取り直し、はじめの実行委員会を行った。
と、その直後、こんどは安倍昭恵を高江のテントに連れて行ったというニュースが。これにはもう、頭を抱えた。
高江の現場と言うことは、お食事会のような個人の問題では済まない。私が実行委員会に誘いたいと思っていた人たちのなかでも、かなりの批判が出るだろう、ということは容易に想像が付いた。
正直言えば、もうやめようかと思った。
フェス自体は、実行委員会があろうとなかろうと、それなりの形でできる実力は三宅事務所は持っているのだから、ここで無理をして関西の溝を広げることはないのでは、と何度も考えた。
しかし、何のために実行委員会を作ろうと考えたのか。それは、これまで様々な運動に関わってきた人たちと、Taro's net や三宅氏のファンのような、かなり層のちがう人たちの出会う場を作りたかったからだ。憲法改正の国民投票という、確実にやってくる試練に向けて、大きな網を作りたかったからに他ならない。
であるならば、やはりここは「納得してないけど、いっしょにやる」というスタンスをとり続けるしかない、と思った。
大きな構図で見るならば、新しい発想のやり方に、旧弊な活動家が文句をつけている、と見えるのは仕方ない部分はある。
とくに、批判にさらされている三宅さんたち新しい世代の当事者の目には、そう映るだろう。
だから、彼らは批判に対して決して譲ろうとしない。なんとか理解してもらおうという姿勢ではなく、「何が悪いの?」という批判者から見れば開き直りともとれる姿勢になり、溝は深まる一方だった。
私が望んだ新旧の間の橋は、新の側からも旧の側からも、望まれていなかった。
主観的には望んでいたかもしれないが、「分かってほしいけど、分からないなら要らない」というのでは望んでいたとは言えないからだ。
私に見える範囲でも、積極的な支持はすくなく、「なんで一緒にやるのか」という意見は多かった。
たぶん、一番多かったのは、「無視」だったように思う。
それはイジメの無視ではなく、それなりに運動の場数を踏んでいる人たちは溝を広げることを避け、今回は無視するという判断をしたように思う。同時に、三宅氏の行動が投げかけた問題、つまり「敵vs味方」という構図でいいのか? という問題はまったく深まることなく流れてしまった。
救いだったのは、私に向かって口に出して批判をした人たちの多くは、むしろ私と同じように「納得はしないけど、いっしょにやる」という判断で、ボランティアに入ってくれたり、参加者として来てくれたりした。
もちろん、「太郎さんがやるなら手伝う」、ということは大きかった。
そんなこんなで、私が当初考えていたような、大きな枠組みは作れなかった。
また、安倍昭恵のことなどとは別に、当面かなり無理のあることだということも、やってみて実感したところもある。
なので、心身の疲労は十分すぎるほどだったけれども、私自身にあまりやりきった感はない。
さあて、これからどうしよう、という感じだ。
一方で、三宅事務所の個性的な面々と少しでも話ができたのはよかったと思う。
高尾さん始め、フェスを仕切るスタッフの人たちには、私たち旧人類は大いに学ばなければならない。
もちろん、無理をして真似をするのではないが、「まず楽しませる」という姿勢とスキルを、私たちも自らのモノにする必要がある。
ここまで書いてきたこととは相反するみたいだけれども、フェスの1日は楽しかった。
20数店舗が並んだマルシェ、地響きのする大阪駅前、長蛇の列をなした夜の部。裏方に忙しくて中身に触れる時間のほとんどとれなかった私でも、なんだか楽しいなあと感じた。
これは、いわゆる集会やデモでは、かつて感じたことのなかった感覚だ。大事にしたい。
そうそう、ひとつだけ自慢をしておこう。
JR大阪駅御堂筋北口 での街宣は、史上初! (向かい側からでなく駅側乗りつけは)
ロケハンから曾根崎署での交渉までをやってみて、なかなかハードルが高かったけれども、なんとか道路使用許可をとりつけた。
前例ができたので、今後につながるのではないかと期待している。
こんな感じで、私の中でもぜんぜん総括なんてできていないが、これから参加した人たちの意見をいろいろ聞いてみて、もう少し考えを煮詰めたいとおもう。
まずは、一つの区切りとして、書き留めておきたい。
山本太郎さん、三宅洋平さん、それぞれの事務所の皆さん、実行委員やボランティアの皆さん、ありがとうございました。
7月の選挙直後に、全国10箇所というアイディアから始まり、大阪は実行委員会を作ってバックアップするということを決め、走り始めた。
その直後、三宅洋平氏と安倍昭恵のお食事会のFBアップがあり、私は踏み出した一歩目の足が絡まって転倒した。
いわば顔面を地べたに直撃したような状態で、何故なんだろうと考えて、私なりに整理をした。
そうか、三宅さんという人は、敵VS味方という構図で考えないのか。敵という概念がないのだ。
なるほど、私とは違うけれども、そういう発想もあるよな、と気を取り直し、はじめの実行委員会を行った。
と、その直後、こんどは安倍昭恵を高江のテントに連れて行ったというニュースが。これにはもう、頭を抱えた。
高江の現場と言うことは、お食事会のような個人の問題では済まない。私が実行委員会に誘いたいと思っていた人たちのなかでも、かなりの批判が出るだろう、ということは容易に想像が付いた。
正直言えば、もうやめようかと思った。
フェス自体は、実行委員会があろうとなかろうと、それなりの形でできる実力は三宅事務所は持っているのだから、ここで無理をして関西の溝を広げることはないのでは、と何度も考えた。
しかし、何のために実行委員会を作ろうと考えたのか。それは、これまで様々な運動に関わってきた人たちと、Taro's net や三宅氏のファンのような、かなり層のちがう人たちの出会う場を作りたかったからだ。憲法改正の国民投票という、確実にやってくる試練に向けて、大きな網を作りたかったからに他ならない。
であるならば、やはりここは「納得してないけど、いっしょにやる」というスタンスをとり続けるしかない、と思った。
大きな構図で見るならば、新しい発想のやり方に、旧弊な活動家が文句をつけている、と見えるのは仕方ない部分はある。
とくに、批判にさらされている三宅さんたち新しい世代の当事者の目には、そう映るだろう。
だから、彼らは批判に対して決して譲ろうとしない。なんとか理解してもらおうという姿勢ではなく、「何が悪いの?」という批判者から見れば開き直りともとれる姿勢になり、溝は深まる一方だった。
私が望んだ新旧の間の橋は、新の側からも旧の側からも、望まれていなかった。
主観的には望んでいたかもしれないが、「分かってほしいけど、分からないなら要らない」というのでは望んでいたとは言えないからだ。
私に見える範囲でも、積極的な支持はすくなく、「なんで一緒にやるのか」という意見は多かった。
たぶん、一番多かったのは、「無視」だったように思う。
それはイジメの無視ではなく、それなりに運動の場数を踏んでいる人たちは溝を広げることを避け、今回は無視するという判断をしたように思う。同時に、三宅氏の行動が投げかけた問題、つまり「敵vs味方」という構図でいいのか? という問題はまったく深まることなく流れてしまった。
救いだったのは、私に向かって口に出して批判をした人たちの多くは、むしろ私と同じように「納得はしないけど、いっしょにやる」という判断で、ボランティアに入ってくれたり、参加者として来てくれたりした。
もちろん、「太郎さんがやるなら手伝う」、ということは大きかった。
そんなこんなで、私が当初考えていたような、大きな枠組みは作れなかった。
また、安倍昭恵のことなどとは別に、当面かなり無理のあることだということも、やってみて実感したところもある。
なので、心身の疲労は十分すぎるほどだったけれども、私自身にあまりやりきった感はない。
さあて、これからどうしよう、という感じだ。
一方で、三宅事務所の個性的な面々と少しでも話ができたのはよかったと思う。
高尾さん始め、フェスを仕切るスタッフの人たちには、私たち旧人類は大いに学ばなければならない。
もちろん、無理をして真似をするのではないが、「まず楽しませる」という姿勢とスキルを、私たちも自らのモノにする必要がある。
ここまで書いてきたこととは相反するみたいだけれども、フェスの1日は楽しかった。
20数店舗が並んだマルシェ、地響きのする大阪駅前、長蛇の列をなした夜の部。裏方に忙しくて中身に触れる時間のほとんどとれなかった私でも、なんだか楽しいなあと感じた。
これは、いわゆる集会やデモでは、かつて感じたことのなかった感覚だ。大事にしたい。
そうそう、ひとつだけ自慢をしておこう。
JR大阪駅御堂筋北口 での街宣は、史上初! (向かい側からでなく駅側乗りつけは)
ロケハンから曾根崎署での交渉までをやってみて、なかなかハードルが高かったけれども、なんとか道路使用許可をとりつけた。
前例ができたので、今後につながるのではないかと期待している。
こんな感じで、私の中でもぜんぜん総括なんてできていないが、これから参加した人たちの意見をいろいろ聞いてみて、もう少し考えを煮詰めたいとおもう。
まずは、一つの区切りとして、書き留めておきたい。
山本太郎さん、三宅洋平さん、それぞれの事務所の皆さん、実行委員やボランティアの皆さん、ありがとうございました。
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