2016-10-12(Wed)
命のナショナルミニマム
国政の役目ってのは何だ?
政治家や政治学者はややこしいことを色々と言うだろう。
でも、国という枠の中で生きていかなければならない一人の人間としては、かなり単純な話だ。
命のナショナルミニマムを保証すること
これに尽きる。
ナショナルミニマムという言葉を検索すると
元々は19世紀後半にイギリスのウェッブ夫妻によって提唱された概念で、日本語では「国民最低限」または「国民生活環境最低基準」とも訳され、その本来の概念は、最低賃金、最長労働時間、衛生安全、義務教育の4つの項目から構成されます。
なんて書いてあるので、ああそれなら憲法25条の
「健康で文化的な最低限度の生活」と同じだな、
と思われがちがけど、私が言いたいのは、もうちょっと広い意味。
どの分野に限らず、国が保証する最小限 みたいなこと。
たとえば私の仕事に関連して言えば、建築基準法できめられた構造強度は、建築構造のナショナルミニマム。
他にも、運転免許は、自動車運転技術のナショナルミニマムとか。
そのやり方が正しいかどうかは別として、専守防衛なんていうのもナショナルミニマムにはいる。
命を国が最低限保証すること
では、命ってなんだ
死んでなければ命か?
死にそうな時に助けるのがミニマムか?
命をまっとうするために必要なことはなにか
古来言われるのは「衣食住」。しかし現代の生活で「衣食住」だけではマトモに生きているとは言いがたい。
衣食住に加えて、医療、教育、子育て、介護、年金、職業、文化芸術、だって必要だ。
あったりまえみたいだけど、こういうミニマムを「どうやって」保証するのかってことを、ちゃんと国民に分かりやすく開陳するのが政治家の役目だ。それを信用してもらえたら、議席が増えて政権が取れる。
バカみたいに当たり前だけど、振り返ればば与党も野党もそれをやっていない。
「希望」は述べているけど、リアルに「どうやって」を語る政党はない。
バカみたいに当たり前のことをしていないのだから、投票率が落ちるのは、あったりまえだ。
それを民度が低いなどと有権者のせいにする政治家は政治家の資格がない。
■
このあったりまえのミニマムのなかで、子育てについて少し書いておく
「子育て」はミニマムに入らない と私は思っている。
こんなことを書くと、おまえは「子ども手当を削って軍事費に回せ」と叫んだ稲田と同じか! と叱られそうだが、少し話を聞いてほしい。
1980年には、専業主婦の世帯が共働きの世帯の1.8倍だった。それがバブル崩壊とともにほぼ同数になり、しばらく拮抗した後に1999年からは一気に共働きが多くなり、2014年には共働きの世帯が専業主婦の世帯の1.6倍を超えている。
共働きが増えた80年代、90年代という時代は、おおくくりで言うならば、新自由主義が日本に侵出し根を下ろした時代だ。
経済は成長しても給料は上がらない時代とも言える。80年代に徐々に給料のアップは鈍くなっていき、90年代に入ると横ばい状態になり、97年をピークにしてあとは下降の一途をたどっている。
まさに、共働き世帯の増加と、軌を一にしている。
ようするに、女性の社会進出とか男女共同参画とかいわれているのは、実は旦那の給料が下がってきたので食うために主婦もやむなく働きに出ているという実態なのだ。
女性が働きやすい環境を作ることは当然ことだが、それとこれとは別問題だ、ということ。
こうした経済事情を背景にして、保育所に通う子どもたちは増え続け、待機児童問題も発生した。
そもそも待機児童についての統計を厚労省がとりはじめたのが1995年だというのだから、やはり問題になり始めたのはこのあたりからってことがわかる。
さらに追い打ちをかけるように、大学の授業料やら教育費がバカ高くなっていく。
もうこうなってくると、子育て問題はもはやミニマムではなく、国を挙げてのバックアップというか、「社会が子どもを育てる」という2009年民主党マニフェストの子ども手当の理念みたいになる。
これはこれでおおいに結構なのだが、おおもとの「お父ちゃんの給料が下がる」という問題を放置したまま、子ども手当だとか、お母ちゃんがパートに行くための保育園だとかばっかに手を尽くすのは、本末転倒だと思うのだ。
で、何が言いたいのかというと、ほとんどの家庭で働き手が一人(お父ちゃんでもお母ちゃんでも)で家族4人くらいが充分に食っていける収入がある状態で、それでも何らかの理由で子育て支援が必要な人が出てくる。そこをカバーする、というのがミニマムのはず。たとえ全ての子どもに2.6万の子ども手当を実現するにしても、その財源を負担すると言う意味でも経済が回っている必要があるし、そのためには全国民が充分に生活できる稼ぎがなくっちゃならない。
ここをないがしろにして、子育て問題を語るのは、お父ちゃんの稼ぎをごっそり抜いている新自由主義の思う壺。
要注意だ。
これからしばらく、気の向くままに「命のナショナルミニマム」について書いていこうと思う。
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政治家や政治学者はややこしいことを色々と言うだろう。
でも、国という枠の中で生きていかなければならない一人の人間としては、かなり単純な話だ。
命のナショナルミニマムを保証すること
これに尽きる。
ナショナルミニマムという言葉を検索すると
元々は19世紀後半にイギリスのウェッブ夫妻によって提唱された概念で、日本語では「国民最低限」または「国民生活環境最低基準」とも訳され、その本来の概念は、最低賃金、最長労働時間、衛生安全、義務教育の4つの項目から構成されます。
なんて書いてあるので、ああそれなら憲法25条の
「健康で文化的な最低限度の生活」と同じだな、
と思われがちがけど、私が言いたいのは、もうちょっと広い意味。
どの分野に限らず、国が保証する最小限 みたいなこと。
たとえば私の仕事に関連して言えば、建築基準法できめられた構造強度は、建築構造のナショナルミニマム。
他にも、運転免許は、自動車運転技術のナショナルミニマムとか。
そのやり方が正しいかどうかは別として、専守防衛なんていうのもナショナルミニマムにはいる。
命を国が最低限保証すること
では、命ってなんだ
死んでなければ命か?
死にそうな時に助けるのがミニマムか?
命をまっとうするために必要なことはなにか
古来言われるのは「衣食住」。しかし現代の生活で「衣食住」だけではマトモに生きているとは言いがたい。
衣食住に加えて、医療、教育、子育て、介護、年金、職業、文化芸術、だって必要だ。
あったりまえみたいだけど、こういうミニマムを「どうやって」保証するのかってことを、ちゃんと国民に分かりやすく開陳するのが政治家の役目だ。それを信用してもらえたら、議席が増えて政権が取れる。
バカみたいに当たり前だけど、振り返ればば与党も野党もそれをやっていない。
「希望」は述べているけど、リアルに「どうやって」を語る政党はない。
バカみたいに当たり前のことをしていないのだから、投票率が落ちるのは、あったりまえだ。
それを民度が低いなどと有権者のせいにする政治家は政治家の資格がない。
■
このあったりまえのミニマムのなかで、子育てについて少し書いておく
「子育て」はミニマムに入らない と私は思っている。
こんなことを書くと、おまえは「子ども手当を削って軍事費に回せ」と叫んだ稲田と同じか! と叱られそうだが、少し話を聞いてほしい。
1980年には、専業主婦の世帯が共働きの世帯の1.8倍だった。それがバブル崩壊とともにほぼ同数になり、しばらく拮抗した後に1999年からは一気に共働きが多くなり、2014年には共働きの世帯が専業主婦の世帯の1.6倍を超えている。
共働きが増えた80年代、90年代という時代は、おおくくりで言うならば、新自由主義が日本に侵出し根を下ろした時代だ。
経済は成長しても給料は上がらない時代とも言える。80年代に徐々に給料のアップは鈍くなっていき、90年代に入ると横ばい状態になり、97年をピークにしてあとは下降の一途をたどっている。
まさに、共働き世帯の増加と、軌を一にしている。
ようするに、女性の社会進出とか男女共同参画とかいわれているのは、実は旦那の給料が下がってきたので食うために主婦もやむなく働きに出ているという実態なのだ。
女性が働きやすい環境を作ることは当然ことだが、それとこれとは別問題だ、ということ。
こうした経済事情を背景にして、保育所に通う子どもたちは増え続け、待機児童問題も発生した。
そもそも待機児童についての統計を厚労省がとりはじめたのが1995年だというのだから、やはり問題になり始めたのはこのあたりからってことがわかる。
さらに追い打ちをかけるように、大学の授業料やら教育費がバカ高くなっていく。
もうこうなってくると、子育て問題はもはやミニマムではなく、国を挙げてのバックアップというか、「社会が子どもを育てる」という2009年民主党マニフェストの子ども手当の理念みたいになる。
これはこれでおおいに結構なのだが、おおもとの「お父ちゃんの給料が下がる」という問題を放置したまま、子ども手当だとか、お母ちゃんがパートに行くための保育園だとかばっかに手を尽くすのは、本末転倒だと思うのだ。
で、何が言いたいのかというと、ほとんどの家庭で働き手が一人(お父ちゃんでもお母ちゃんでも)で家族4人くらいが充分に食っていける収入がある状態で、それでも何らかの理由で子育て支援が必要な人が出てくる。そこをカバーする、というのがミニマムのはず。たとえ全ての子どもに2.6万の子ども手当を実現するにしても、その財源を負担すると言う意味でも経済が回っている必要があるし、そのためには全国民が充分に生活できる稼ぎがなくっちゃならない。
ここをないがしろにして、子育て問題を語るのは、お父ちゃんの稼ぎをごっそり抜いている新自由主義の思う壺。
要注意だ。
これからしばらく、気の向くままに「命のナショナルミニマム」について書いていこうと思う。
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