2010年03月22日 01:26
アレント1.ハンナ・アレントはドラキュラで有名なトラキア地方の娘。
ハイデガーの恋人。ユダヤ人。ナチが台頭するドイツから亡命して
消費社会が花咲くアメリカに。ファシズム、消費社会、労働社会、
民主主義について考える、政治哲学者になった。アレント
は問うた(と僕が思っているのは)。「フリーターとは何か?」
アレント2.アレントは、労働と自由について考える。僕らの社会は
「働く」ことを大切だと思っている。近代の自由とは、自分で働い
て作ったり稼いだりした財産を、他人・王様・政府に奪われない自由
だった。でも、古代ギリシャでは「働く」は不自由なことだと考えら
れた。彼らにとっては、環境や生命との循環関係、生と死の時間にし
ばられるのが不自由だったからだ。働かないで生命の時間から離れる
ことが、自由とされた。
アレント3.アレントは、フリーターについて考えるために、生産物が
世界の中で生き延びる時間に目を向ける。この世界からすぐに消費さ
れ死んでいくものは、「労働」の産物(ティッシュ、ほうれん草など)
。この世界に作者の死後もとどまり、その耐久性で世界存続の条件に
なっているのが、「仕事」の産物(ビル、本棚など)。何も具体的な
ものを生まずに、ただ他人の記憶・記念碑に残るのが、「活動」の産
物(英雄、詩人など)。
アレント4.苦痛によって人は自分に引きこもり世界を失う。それは誰
にも理解されない私だけの感覚だ。この痛みは労働の苦痛と似ている
とアレントはいう。近代的自我、労働する自我は私だけの世界に引き
こもる。仕事の愚痴を言い合う場は、近代に特殊な孤独の場である。
僕たちが他者に開かれるのは、この痛みからの解放、労働からの解放
に等しい。
アレント5.アレントによると、人間の条件とは、多数性、他者の前
に現れてあることである。「労働」ではなく、他者に開かれ、不死性
を獲得する「活動」。私が死んだ後にも、私のパフォーマンスは残り、
他者の中にある私の記憶は生き残る。作品は死後の生を生きるのだ。
哲学者の対話、英雄の偉業、詩人の朗読は、不死の時間に開かれる。
フリーターはただ活動によって記憶に残る者。フリーターこそが人間
的な生き方を実現できる。
アレント6.フリーターの生は、奴隷制や分業によって支えられてき
た。ところが、現代のフリーターは分業の最下層に位置づけられてい
る。派遣法改正後の僕らの生活は、逆説的なことに、偽装請負、偽装
雇用によって労働者性を剥奪されると同時に、生命を自分だけで養う
ようにと追い詰められている。
アレント7.しかし、本来フリーターの闘争(ポレモス)は、自分が
稼いだ財産を他人から守る近代的自由ではない。公的なもの(目に見
えるもの・他者と私の間にあるもの)と私的なもの(隠されるもの・
私だけのもの)の線引きをやり直して、死の時間と私だけの世界から、
人間の条件である多数性を守る、古代ギリシャ的自由なのである。
アレント8.僕たちフリーターは、稼ぐことから自由になり、他者の
目の前に現れる存在であり、そのためにフリーターをしている。人を
動物として管理し画一化しようとするファシズム、消費社会、労働社
会の技術は、この多数性を覆い隠す家政(オイコノミア)である。僕
たちフリーターは、生と死の時間に抗い、世界を画一化する流れと、
日夜闘争しているにちがいない。僕たちはベーシックインカム後の生
を、この過酷な労働社会において先取りしているのである。これがト
ラキアの娘の教えだ(おわり)。
ハイデガーの恋人。ユダヤ人。ナチが台頭するドイツから亡命して
消費社会が花咲くアメリカに。ファシズム、消費社会、労働社会、
民主主義について考える、政治哲学者になった。アレント
は問うた(と僕が思っているのは)。「フリーターとは何か?」
アレント2.アレントは、労働と自由について考える。僕らの社会は
「働く」ことを大切だと思っている。近代の自由とは、自分で働い
て作ったり稼いだりした財産を、他人・王様・政府に奪われない自由
だった。でも、古代ギリシャでは「働く」は不自由なことだと考えら
れた。彼らにとっては、環境や生命との循環関係、生と死の時間にし
ばられるのが不自由だったからだ。働かないで生命の時間から離れる
ことが、自由とされた。
アレント3.アレントは、フリーターについて考えるために、生産物が
世界の中で生き延びる時間に目を向ける。この世界からすぐに消費さ
れ死んでいくものは、「労働」の産物(ティッシュ、ほうれん草など)
。この世界に作者の死後もとどまり、その耐久性で世界存続の条件に
なっているのが、「仕事」の産物(ビル、本棚など)。何も具体的な
ものを生まずに、ただ他人の記憶・記念碑に残るのが、「活動」の産
物(英雄、詩人など)。
アレント4.苦痛によって人は自分に引きこもり世界を失う。それは誰
にも理解されない私だけの感覚だ。この痛みは労働の苦痛と似ている
とアレントはいう。近代的自我、労働する自我は私だけの世界に引き
こもる。仕事の愚痴を言い合う場は、近代に特殊な孤独の場である。
僕たちが他者に開かれるのは、この痛みからの解放、労働からの解放
に等しい。
アレント5.アレントによると、人間の条件とは、多数性、他者の前
に現れてあることである。「労働」ではなく、他者に開かれ、不死性
を獲得する「活動」。私が死んだ後にも、私のパフォーマンスは残り、
他者の中にある私の記憶は生き残る。作品は死後の生を生きるのだ。
哲学者の対話、英雄の偉業、詩人の朗読は、不死の時間に開かれる。
フリーターはただ活動によって記憶に残る者。フリーターこそが人間
的な生き方を実現できる。
アレント6.フリーターの生は、奴隷制や分業によって支えられてき
た。ところが、現代のフリーターは分業の最下層に位置づけられてい
る。派遣法改正後の僕らの生活は、逆説的なことに、偽装請負、偽装
雇用によって労働者性を剥奪されると同時に、生命を自分だけで養う
ようにと追い詰められている。
アレント7.しかし、本来フリーターの闘争(ポレモス)は、自分が
稼いだ財産を他人から守る近代的自由ではない。公的なもの(目に見
えるもの・他者と私の間にあるもの)と私的なもの(隠されるもの・
私だけのもの)の線引きをやり直して、死の時間と私だけの世界から、
人間の条件である多数性を守る、古代ギリシャ的自由なのである。
アレント8.僕たちフリーターは、稼ぐことから自由になり、他者の
目の前に現れる存在であり、そのためにフリーターをしている。人を
動物として管理し画一化しようとするファシズム、消費社会、労働社
会の技術は、この多数性を覆い隠す家政(オイコノミア)である。僕
たちフリーターは、生と死の時間に抗い、世界を画一化する流れと、
日夜闘争しているにちがいない。僕たちはベーシックインカム後の生
を、この過酷な労働社会において先取りしているのである。これがト
ラキアの娘の教えだ(おわり)。
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