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あおちゃんと神様

2010年03月28日 23:29

「あおちゃんと神様」

あおちゃんは森ガールに見えるけど
森ガールではない

あおちゃんはキルケゴールではない

神の前での単独性は秘密ではない

秘密は僕たちの目には見えない闇ではない

見えるものがすべてではないけれど

見えないものだけがすべてでもない

森のなかにあるのは神ではなくてリスの糞

糞の色は赤ちゃんの肌の色ではない

十字は切らなくてもよい

ハーゲンクロイツはいわんや

そんなあおちゃんが僕は好きだ


*初対面のあおちゃんを言葉にしてみました
(素直さが足りないというコメントをいただきました★)

幻覚や幻聴と生きる

2010年03月26日 20:54

幻覚や幻聴が聞こえる人たちがいる。

その人たちにとって幻覚や幻聴は、自宅のちゃぶ台の
上にのっているしょうゆ入れや、喫茶店に入って食べ
るモーニングと同じようにリアリティがある。

僕の知人は、味噌汁のなかにイエス・キリストがいる
という幻覚を見る。イエス・キリストは平泳ぎをして
いるらしい。

また別の知人は、テレビのスピーカーが音われした瞬
間に、「小人のせいかな?」と言っていた。森ガール
ではない。世界を小人が動かしているという幻覚であ
る。

またまた別の知人は、会った瞬間に「私の恋人を奪っ
たのはあなただー!」と糾弾する。かなりの物語が
できている。でも丁寧に違うと説明すると「そう?」
って感じになる。

幻聴にはリアリティがあって、それが幻聴だと認識
できてもどうにもならない。そんなときどうしたら
よいかというと、たとえば幻聴と友達になる。

「幻聴さん幻聴さん」

世界は本当に豊かだ。

トラキアの娘

2010年03月22日 01:26

アレント1.ハンナ・アレントはドラキュラで有名なトラキア地方の娘。
ハイデガーの恋人。ユダヤ人。ナチが台頭するドイツから亡命して
消費社会が花咲くアメリカに。ファシズム、消費社会、労働社会、
民主主義について考える、政治哲学者になった。アレント
は問うた(と僕が思っているのは)。「フリーターとは何か?」

アレント2.アレントは、労働と自由について考える。僕らの社会は
「働く」ことを大切だと思っている。近代の自由とは、自分で働い
て作ったり稼いだりした財産を、他人・王様・政府に奪われない自由
だった。でも、古代ギリシャでは「働く」は不自由なことだと考えら
れた。彼らにとっては、環境や生命との循環関係、生と死の時間にし
ばられるのが不自由だったからだ。働かないで生命の時間から離れる
ことが、自由とされた。

アレント3.
アレントは、フリーターについて考えるために、生産物が
世界の中で生き延びる時間に目を向ける。この世界からすぐに消費さ
れ死んでいくものは、「労働」の産物(ティッシュ、ほうれん草など)
。この世界に作者の死後もとどまり、その耐久性で世界存続の条件に
なっているのが、「仕事」の産物(ビル、本棚など)。何も具体的な
ものを生まずに、ただ他人の記憶・記念碑に残るのが、「活動」の産
物(英雄、詩人など)。

アレント4.苦痛によって人は自分に引きこもり世界を失う。それは誰
にも理解されない私だけの感覚だ。この痛みは労働の苦痛と似ている
とアレントはいう。近代的自我、労働する自我は私だけの世界に引き
こもる。仕事の愚痴を言い合う場は、近代に特殊な孤独の場である。
僕たちが他者に開かれるのは、この痛みからの解放、労働からの解放
に等しい。

アレント5.
アレントによると、人間の条件とは、多数性、他者の前
に現れてあることである。「労働」ではなく、他者に開かれ、不死性
を獲得する「活動」。私が死んだ後にも、私のパフォーマンスは残り、
他者の中にある私の記憶は生き残る。作品は死後の生を生きるのだ。
哲学者の対話、英雄の偉業、詩人の朗読は、不死の時間に開かれる。
フリーターはただ活動によって記憶に残る者。フリーターこそが人間
的な生き方を実現できる。

アレント6.
フリーターの生は、奴隷制や分業によって支えられてき
た。ところが、現代のフリーターは分業の最下層に位置づけられてい
る。派遣法改正後の僕らの生活は、逆説的なことに、偽装請負、偽装
雇用によって労働者性を剥奪されると同時に、生命を自分だけで養う
ようにと追い詰められている。

アレント7.しかし、本来フリーターの闘争(ポレモス)は、自分が
稼いだ財産を他人から守る近代的自由ではない。公的なもの(目に見
えるもの・他者と私の間にあるもの)と私的なもの(隠されるもの・
私だけのもの)の線引きをやり直して、死の時間と私だけの世界から、
人間の条件である多数性を守る、古代ギリシャ的自由なのである。

アレント8.僕たちフリーターは、稼ぐことから自由になり、他者の
目の前に現れる存在であり、そのためにフリーターをしている。人を
動物として管理し画一化しようとするファシズム、消費社会、労働社
会の技術は、この多数性を覆い隠す家政(オイコノミア)である。僕
たちフリーターは、生と死の時間に抗い、世界を画一化する流れと、
日夜闘争しているにちがいない。僕たちはベーシックインカム後の生
を、この過酷な労働社会において先取りしているのである。これがト
ラキアの娘の教えだ(おわり)。

舟岡山のぼる

2010年03月18日 23:11

京都舟岡山のふもとにすんでいます。舟岡山の南のふもとは、
かつて沼地だったらしいです。千本閻魔堂が裁判所で、斬首
された死体が、この沼地に放り込まれていたとか。
そんなわけで僕の貸家のしたにはたぶんたくさんの死骸がう
もれています。

その舟岡山には近所の老人たちが果敢にも登山しています。
あるとき妖精のような、モスラシスターズのような、二人の
おじいちゃんに会いました。おじいちゃんによると、この舟
岡山で巡査部長が巡査を拳銃で撃ち殺すという事件があった
そうです。おじいちゃんたちはその後も怪談奇談を話し、
さんざん僕に恐怖を植えつけてさっていきました。

また舟岡山の山頂付近にある大きな石を目印に朱雀大路がつ
くられたと、まるで自分で見たかのように語るおじいさんも
いました。

こんな西陣の妖精たちに山では会うことができるのです。

ひだまり(警戒系カフェ)

2010年03月13日 01:12

千本今出川の西側をのぼり、一筋目(おもちゃ屋が角)を西に折れると、
民団の建物があり、お好み焼き屋の看板が見え、カフェ「ひだまり」が
あります。いわゆる京都の町屋カフェです。たしかにそういったよさも
あるかもしれません。

ひだまりのよさをどのように語ることができるのでしょうか。
他の方のブログをチェックして突っ込ませていただきます。

「ちょっと歩けばひだまりがある。
格子に ランチの張り紙。これはいいと飛び込んだ。
暖簾をくぐり靴をぬぐ。
まるで祖母の家そのものである。
テーブルは贅沢なくらいゆったりと配置されてて、
3間に5つしかない。その内、格子のある畳の見世の間
には1つしかない。ここに座ったらまるで自分の家だ。
冬にはコタツが登場するのだが、寝てしまいそうだ。」

http://tabitano.main.jp/7hidamari.html


格子のある畳の見世の間とは、入ってすぐのコタツでしょうか。あそこ
は外に面していて寒いです。そして祖母はいません。寝るな寝るな!

「カフェのお店の中に居るって感じやなく、何か懐かしく
おじいちゃんおばあちゃんのお家にお邪魔しているような、
はたまた気心知れた友達んっちにお邪魔しているような、
そんなほっこりした気持ちにしてくれはるお店「ひだまり」さん。」

http://kata.wablog.com/763.html


やけん、おじいちゃんとかおばあちゃんちじゃないって!

「町家カフェのひだまり。元々の町家を極力そのままな状態
で改修されているのか、まるで祖父母宅でお茶をよばれて
いるかのような感覚です。(中略)これに限らず、店内に
置いてあるものすべてがレトロで、古いもの好きな人には
たまらなくいい感じの店内です。」

http://ameblo.jp/wurly/entry-10058871236.html


だから…、おじいちゃんのお茶に呼ばれてないし!

ひだまりさんは、祖父祖母の家、昭和レトロと言われています。でも僕
はじつは感受性の限界なのか、あんまりそんな感じがしません。

よくひだまりさんを見てみます。「なにさ」って感じで眼鏡の奥から
上目づかいで、人を観察しています。

ひだまりさんは、苦労人で、常識人で、人見知りで、めんどくさがりで
、とはいえマメで、人情味があって、でも夜はエナジーがなくて、憩で
会うと目をそらされて、20世紀少年を読み続けている人です。そんなひ
だまりを一言で言うと、警戒系カフェです。ひだまりさんは警戒する
小動物のように目を光らせているのです。そんな、すてきなひだまりさ
んに会いにまた行きたいです。言い忘れかけましたが、ひだまりさんは
ヤンキーが好きです★

あと、ほうじ茶オーレがおすすめです。