2011年05月09日 22:53
プラトン『饗宴』を電車の中でだらだら読破。二日連続の飲み会。有名人がたくさん。ソクラテスが招かれる。飲みのあてにと、有名人たちが右回りで愛について語り、エロス神を賛美する。途中でソクラテスの自称恋人のアルキビアデスが乱入。嫉妬に狂いながらソクラテスをせめる。アルキビアデスはエロス神賛美に替えて新しいゲームをはじめる。自分の隣にいる人を賛美するという遊び。アルキビアデスは大好きで憎々しいソクラテスを賛美する。アルキビアデスの所有欲をソクラテスがするりと交わして物語は終わる。
この対話編は愛についてのテキストとしてよく知られている。前提として、古代ギリシャでは同性愛、とくに男性間での少年愛がよく行われていた。また、愛することは、たんなる肉体的欲望ではなく、善の構想、政治的行為と明確に結び付けられていた。善く愛するものが善く支配するものであると。
並みいる有名人の語り手たちはエロス神をとにかく由緒正しい生まれをもっていて美しいと賛美する。しかし、ソクラテスのエロス神賛美は逆で、エロス神は見た目は醜くく、神でさえないという。完全な存在と不完全な人間の中間の存在、ダイモーン(精霊)なのだという。エロスは神々のように永遠にして一の存在ではない。しかしその中間的性質ゆえに、永遠の存在を欲望する/させる。ソクラテスによると、生殖行為は永遠の存在に触れる行為である。永遠の存在のクローンを生み散らさせる。その際たるものが少年愛である。
少年は大人の知恵に触れて、自らの中に善・美・永遠のクローンを植えつけられる。そして名を同じくしながら、新陳代謝によって人が別のものになるのと同じように、永遠のクローンを植えつけられることで、日に日に別なるものへ生成変化していくのだという。ちなみにソクラテスの語りは、ディオティマという謎の姉ちゃんから聞いた話であり、ソクラテス自身も彼女から永遠のクローンを植え付けられ、少年たちにそれを植え付けている=生殖行為を行っているという形式をとっている。さらに、この対話編自体が参加者からの伝聞なのである。クローンは増殖する。
この対話編がとくに面白いのは、前半部分の頭の固そうなエロスについての語りの後に、実際にソクラテスのことが大好きで、でも嫉妬に狂って憎いと思っているアルキビアデスが登場して、高度な愛の実践が繰り広げられるところにある。圧力の強いアルキビアデスにはじめはソクラテスもたじたじになる。
アルキビアデスが隣の人を賛美するというゲームを始め、ソクラテスへの愛憎こもった賛美をする。この人は人を散々ふりまわして最悪だけどすごい人、という感じで。どうしても彼はソクラテスを所有したいのだ。しかしソクラテスは、「君がもっていると思っているようなものを僕はもっていないよ」とか、いろいろと誘導して、なぜかアルキビアデスは所有欲を微妙に沈静化されてしまう。アルキビアデスはソクラテスに戦場で一度救われているのだが、ソクラテスが戦場という極限状態で異常に我慢強く、また美しい自分の横で一晩過ごしても手を出さないほど忍耐強いのだと、自己制御能力の高さを賛美する。
ソクラテスの中にあり、アルキビアデスに産み落とされた、永遠にして一なるもの、善いもの、快楽の源泉は、アルキビアデスの所有欲に狂った愛を、やっぱかなわないし大好きという善なる快楽に変換していってしまう。
昔読んだときは、禁欲的なソクラテスの愛し方が気に食わなかった。自分は所有していて、所有していない人をもて遊ぶ感じが好きじゃなかった。あんまりエロさを感じないのである。しかし、今回よくテキストを読んでいると、アルキビアデスとのくだりで、アルキビアデスがソクラテスの中にある何かに所有欲を抑制されて、かつ快楽にひたる場面がとてもエロティックに読めた。
ソクラテスは所有欲とは別の愛について、ときおりエロティックに語っている。ソクラテスは、アガトンに対して、健康なものが健康を欲し、美しい人ば美を欲し、財をもつ人がさらなる財を欲し、愛する人を目の前にしている人が愛を欲するのは、誤謬だと語り、そのようなものは誤謬だと伝えないといけないのだ、という。そこにないものを求めるということを止めて、不在によって現前する永遠の存在を胚胎・分有した世界を愛するというあり方を伝えている。
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( 2012年11月16日 05:22 )
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