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「逃散や不服従」メーデー!

2010年04月29日 09:22


「逃散や不服従」メーデー!

4月29日(木・祝)
13:00 仏光寺公園(四条木屋町下ル)集合
14:30 デモ出発
※サウンドデモ!今年はパペット(大きな操り人形)が登場します!
 
<よびかけ>
むかし農民は、厳しい年貢の取り立てにガマンできなくなったとき、「逃散(ちょうさん)」と言って、みんなでよそに逃亡したり、家にこもって働かなかったりして抵抗したらしい。
 
どんな条件でも文句を言わず働け、金を稼いで自立しろ、それでお金を使いまくれ。
貧乏ヒマなしは今も昔もかわらない。
その「ちゃんと働いてひとりで生活する」っていうのが、どうにもうまくいかない。例えば、女性だからということだけで、誰かに養われろといわんばかりに低賃金で働かされるし、その上簡単にクビにされる。
 
経営者たちは、平気で私たちを「役立たず!」と罵ってくる。また、権力者たちは平気で私たちに切りつけてくる。私たちも自分自身を「役立たず」だと責めてしまうことはよくあるし、生きのびるために、だれかを傷つけたり、差別したりしている。
おかしいな、イヤだなと思っても、なんか、世間は不安や不満や不信感だらけで、お互いが見張りあって、息が苦しくなっている。ささいな違いを突っつき合って、はみだすことを恐れ、息を殺して生きている。
 
私たちは、こんな社会から逃げ出したいと思うし、「逃げてもいい」と呼びかける。
「もうたくさんだ」と言って、勝ち組のつくったシステムから逃げ出そう。
そして、「逃げてもいい」と呼びかけると同時に、服従しないこと、「闘うのもあり」だということも呼びかけたい。
 
4月29日のメーデーは路上に出て、働け、働けと人を追いつめ、生きる権利すらも奪うような人たちに、不服従の姿勢を見せつけよう。
要領よく生きられなくても、はみ出してもいいじゃないか。自分たちどおしで傷つけあいたくない。生きのびよう。みんなで生きのびよう。
 
世間の〈はみ出しもの〉たちよ、集まろう。
ようこそ、「逃散や不服従」メーデーへ!
 
主催:
関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/
反戦と生活のための表現解放行動 http://d.hatena.ne.jp/posada/
京都大学時間雇用職員組合ユニオンエクスタシー http://extasy07.exblog.jp/

僕の低い目標

2010年04月12日 09:08


僕の目標は少しだけ低いもの

僕の目標は家族を幸せにすることではない

僕の目標は利潤の高いビジネスをはじめることではない

僕の目標は毎日を楽しくすごすことでもない

僕の目標は鴨川を美化することでもない

僕の目標は緑を黄色と呼ぶ社会をつくることでもない

僕の目標は少しだけ低い(膝を少し曲げた程度の)目の高さ

車いすに乗った人の前に開ける視界

理不尽な使用者から解雇を言いわたされた人の前に開ける視界

性に違和感をもつ人が就職面接を前に開ける視界

戸籍のない子が国境を前にして開ける視界

生保の窓口でお金がもうどうにもならない人の前に開ける視界

この世界で生きている人たちのなかでも少しだけ低い目の高さ

これが僕のちょっとだけ低い目標

レオ・ベルサーニへの手紙

2010年04月10日 11:05


啓、レオ・ベルサーニさま

は大学・大学院をとおして性愛の研究をし続けてきました。
性愛を研究しはじめたのは、まずは男女間の性愛にすごく暴力
性を感じたからでした。男女役割を強制し、異性愛を強制し、
男性が加害者になり、女性が被害者になる。当時熱心に読んで
いたラディカルフェミニズムは、いっけん平等に見える男女間
の関係も、性愛行為そのもに強制が含まれているので、強制に
なると過激なことを言っていました。でも僕の感覚にすごくフィ
ットした。こんな感覚を僕は子供のころからずっともっていて、
ずっとこだわってきました。なぜか深い罪の意識がありました。

学生になって、これと同じ強制によって苦しむ同性愛者やト
ランスジェンダーたちと出会いました。そして僕は読むのがしんど
い英語の本を手にとって、Leo Bersaniさんを勉強したのです。ベル
サーニさんは同性愛者のおっちゃんです。文学研究者。ユリス・デュ
トワというパートナーといっしょに現代美術批評とかも書いていま
す。生殖行為なしの性愛行為(アナルセックス)を行う同性愛者た
ちの共同体をモデルにして、新しい世界を構想しようとするとする、
とんでもないおやじに見えました。

殖なき性愛による共同体。いま思うと、ベルサーニさんは子供を
生まず育てないことで、孤独になり、孤独とともに生きること
を(思想的に)選んだ人なのだと思います。ベルサーニさんは、
エイズ危機のどまんなかで、アナルセックスがHIV感染経路とさ
れ、差別がふきあれるのをみながら、「同性愛者たちよもっと
もっとアナルセックスをしよう!」と叫びました。「直腸は精
子(生殖細胞)が死ぬ墓場である」と。

ルサーニさんは、美術批評も書きまくりました。作品を読む人
や見る人は、異性愛者だったり、異性愛の物語を投影したりする。こ
れはいかん。強制を帯びていると言っておられました。そこで、
ベルサーニさんは、批評をつうじて、読み手がぜんぜん作品に
感情移入できないようにしてしいます。異性愛の物語なんてな
かったことにさせてしまうのです。物語が剥ぎ取られた後に残
る、むき出しの形、色、複製に、読者の感覚を直面させる。そ
うして、異性愛の物語をこわして、性愛だけが残されました。

ルサーニさんによると、性愛の本質はマゾヒズムであり、孤独
です。性愛は他者と理解しあうことではない。ましてや、男女
間の対等な関係なんて存在しない。性愛は、他者が理解できな
いという孤独を深めさせるもの。貧困と孤独が、豊かな性愛で
あるという逆接が性愛の本質なのですね。

のベルサーニさんの美術批評から僕が学んだのは、次世代再
生産(生殖)を想定しないでセックスを楽しむことであり(ヘ
テロである僕には不可能だ!)、次世代再生産に奉仕すること
なく、孤独を保つことでした。セクシャルマイノリティである
こと、単独者であること。このベルサーニさんのちょっとおばかで
真摯な生き方にふれて、かつて僕の罪の意識は少しだけ軽くな
りました(ヘテロ世界を変えないかぎり、ずっと有罪ではある)。

はいまでもベルサーニさんの言っていることは本質的だと感じ
ます。かりに僕が子をもち育てることがあったとしても、ベル
サーニさんを読んで救済されたときの感覚を忘れないようにし
たいです。健常者と障害者の差が残るように、ヘテロとセクシ
ャルマイノリティの差も残ります。僕が僕の中にある強制力と
向き合い、健常者性と向き合い、異性愛主義と向き合い、その
他もろもろと向き合うためには、大学の研究室で辞書を片手に
ベルサーニさんを読んだ時間を、忘れてはいけないのだと思い
ます。それは僕がいま一緒にいる仲間たちと生活するために、
本当に必要なことです。セクシャルマイノリティ、単独者であ
ることを選ぶとしたら、生きることは本当にしんどく豊かにな
るにちがいありません。結婚制度反対とか言いながら、パート
ナーと籍を入れるフェミニスト学者の欺瞞はもう見あきた! 
単独者であるといいながら子供二人を育てる哲学者の欺瞞もし
んどい! 僕はどのような欺瞞をもつのでしょうか? どのよ
うな生活を組み立てられるだろうか? ありがとう、ベルサー
ニさん。

Uくんのこと

2010年04月07日 09:02

Uくん1.僕の親友のひとり。僕がナウシカをもってお宅訪問した人、
第一号。朝、料金未納でガスをとめられてしまったせいで、水でシャ
ワーをあびていた。「シャワーあびてきますわ」とユニットバスに消
えたあと、薄い壁から「しにたーい」とほがらかな声が聞こえてくる。
ザッツUくんである。

Uくん2.Uくんは「しんきくさいことが嫌いですわ」とよく言う。
彼はほんとに「しんきくさいこと」が嫌いである。人から悩み相談を
受けると、どうやって笑いに昇華しつつツッコムむかというルートを
必死で探している。どう好意的に見ても、悩みを聞いている人の顔で
はない。

Uくん3.非関西圏出身者で結成したオチのある話に反対する、「反
オチ同盟全国連絡会」に僕と立ち上げから関わる。しかし、どうもU
くんの話にはオチがあるのではないかと疑心暗鬼になってしまう。

Uくん4.Uくんは最近ピープルファースト(http://pf-japan.jp/blog/
という知的障害者の運動体に関わっている。全国大会が今年は京都テ
ルサで開かれます。6月5日、6日。めったに出没しなくなったUくん
に会えます。

Uくん5.Uくんは開高健の研究者。戦後関西のアングラ詩人たちのネ
ットワークに関わっていた。Uくんの詩はアジカンの歌詞みたい。そ
れを言うと「心外ですわ!」と本気で不機嫌になる。でもあめちゃん
をあげると「おいしいですわ」と機嫌が直る。ザッツUくんである。

Uくん6.
Uくんは、Uくんの彼女が購入した千本中立売のマンション
にすんでいる。「リアル逆タマ」としばしば言われるが、Uくんはちゃん
と賃貸料を支払っている。それをUくんは「搾取」と呼び、全国の不動
産業者を憎んでいる。千本中立売の喫茶店憩に行くとUくんに会えるか
もしれない(おわり)。