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愛について語る古代ギリシャの飲み会

2011年05月09日 22:53

四条河原町

ラトン『饗宴』を電車の中でだらだら読破。二日連続の飲み会。有名人がたくさん。ソクラテスが招かれる。飲みのあてにと、有名人たちが右回りで愛について語り、エロス神を賛美する。途中でソクラテスの自称恋人のアルキビアデスが乱入。嫉妬に狂いながらソクラテスをせめる。アルキビアデスはエロス神賛美に替えて新しいゲームをはじめる。自分の隣にいる人を賛美するという遊び。アルキビアデスは大好きで憎々しいソクラテスを賛美する。アルキビアデスの所有欲をソクラテスがするりと交わして物語は終わる。

の対話編は愛についてのテキストとしてよく知られている。前提として、古代ギリシャでは同性愛、とくに男性間での少年愛がよく行われていた。また、愛することは、たんなる肉体的欲望ではなく、善の構想、政治的行為と明確に結び付けられていた。善く愛するものが善く支配するものであると。

みいる有名人の語り手たちはエロス神をとにかく由緒正しい生まれをもっていて美しいと賛美する。しかし、ソクラテスのエロス神賛美は逆で、エロス神は見た目は醜くく、神でさえないという。完全な存在と不完全な人間の中間の存在、ダイモーン(精霊)なのだという。エロスは神々のように永遠にして一の存在ではない。しかしその中間的性質ゆえに、永遠の存在を欲望する/させる。ソクラテスによると、生殖行為は永遠の存在に触れる行為である。永遠の存在のクローンを生み散らさせる。その際たるものが少年愛である。

年は大人の知恵に触れて、自らの中に善・美・永遠のクローンを植えつけられる。そして名を同じくしながら、新陳代謝によって人が別のものになるのと同じように、永遠のクローンを植えつけられることで、日に日に別なるものへ生成変化していくのだという。ちなみにソクラテスの語りは、ディオティマという謎の姉ちゃんから聞いた話であり、ソクラテス自身も彼女から永遠のクローンを植え付けられ、少年たちにそれを植え付けている=生殖行為を行っているという形式をとっている。さらに、この対話編自体が参加者からの伝聞なのである。クローンは増殖する。

の対話編がとくに面白いのは、前半部分の頭の固そうなエロスについての語りの後に、実際にソクラテスのことが大好きで、でも嫉妬に狂って憎いと思っているアルキビアデスが登場して、高度な愛の実践が繰り広げられるところにある。圧力の強いアルキビアデスにはじめはソクラテスもたじたじになる。

ルキビアデスが隣の人を賛美するというゲームを始め、ソクラテスへの愛憎こもった賛美をする。この人は人を散々ふりまわして最悪だけどすごい人、という感じで。どうしても彼はソクラテスを所有したいのだ。しかしソクラテスは、「君がもっていると思っているようなものを僕はもっていないよ」とか、いろいろと誘導して、なぜかアルキビアデスは所有欲を微妙に沈静化されてしまう。アルキビアデスはソクラテスに戦場で一度救われているのだが、ソクラテスが戦場という極限状態で異常に我慢強く、また美しい自分の横で一晩過ごしても手を出さないほど忍耐強いのだと、自己制御能力の高さを賛美する。

クラテスの中にあり、アルキビアデスに産み落とされた、永遠にして一なるもの、善いもの、快楽の源泉は、アルキビアデスの所有欲に狂った愛を、やっぱかなわないし大好きという善なる快楽に変換していってしまう。

読んだときは、禁欲的なソクラテスの愛し方が気に食わなかった。自分は所有していて、所有していない人をもて遊ぶ感じが好きじゃなかった。あんまりエロさを感じないのである。しかし、今回よくテキストを読んでいると、アルキビアデスとのくだりで、アルキビアデスがソクラテスの中にある何かに所有欲を抑制されて、かつ快楽にひたる場面がとてもエロティックに読めた。

クラテスは所有欲とは別の愛について、ときおりエロティックに語っている。ソクラテスは、アガトンに対して、健康なものが健康を欲し、美しい人ば美を欲し、財をもつ人がさらなる財を欲し、愛する人を目の前にしている人が愛を欲するのは、誤謬だと語り、そのようなものは誤謬だと伝えないといけないのだ、という。そこにないものを求めるということを止めて、不在によって現前する永遠の存在を胚胎・分有した世界を愛するというあり方を伝えている。

反貧困と「パーソナルサポーター」

2010年10月05日 12:33



■「パーソナルサポート」について語る前に

ニオンぼちぼちの高橋慎一と申します。ビラには日本自立生活センター支援員・関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち相談員という肩書きが書いてありましたが、まず私がこの二つの団体を代表して発言するというわけではなく、また私自身は「支援の専門家」ではないということをお断りしたいと思います。ただ、京都の南区で日々、困難を抱えた仲間たちと一緒に活動したり、ときに支援者として関わりをもっています。日本自立生活センターは、重度の障害をもつ障害をもった人たちが自分と仲間の地域生活を支える場です。ユニオンぼちぼちは、上部団体をもたない若者の労働組合で、組合員には働けない人たちの方が多いかもしれないという不思議な労働組合です。いま行政がやろうとしている「パーソナルサポート」というサービスに関わらせて、私自身の日常の支援活動について報告させていただきたいと思います。

ディアなどでもすでに報道されていますが、いま日本では所得格差や貧困が拡がっています。これに対して反貧困ネットは、非正規雇用が拡大して、社会保障も切り縮められていくなか、たんなる所得の格差にかぎらない、見えにくい貧困、たとえば誰も頼る人がいない社会的な孤立状況などなどを何とかしようと、2000年代後半に法律家と活動家が作ったネットワークです。行政も反貧困などの運動の働きかけを受けて、この間、職業訓練や就労支援などを整備してきました。いま「パーソナルサポート」というサービスを作ろうとしています。これは相談者が抱える困難をひとつだけ解決して放り出すというのではなくて、当人の納得のいく生活状態まで一緒に付き合うというものなのかなと、思いました。

が労働組合で日々関わっている活動でも、たんに解雇されたり、未払い賃金があったり、有給休暇が取得できてなかったり、雇用保険に未加入状態だったりする、という労働条件の話だけではすみません。相談者が度重なる失敗経験のせいで、コミュニケーションに難しさを抱えていたり、精神疾患を抱えたりということも多く、労働相談・労働争議の後の生活がむしろ大切だなと思います。なので、支援内容も相手に合わせててんでばらばらです。ひとつひとつ制度について勉強しながら、問題解決のイメージを相談者と一緒に作っていきます。その中で労働基準監督署やハローワークなどの専門機関に電話相談することもありますが、背景や雰囲気がかなり上手に伝わらないと、ものすごく一般的な話しか返ってこないということがあったり、また、得た情報を相談者が使いこなすことができない、ということもあります。このような相談者の問題解決には、専門的なアプローチによって予め決められた回答をあてがうことがなか難しいと感じることがあります。しかも、たんにまた働けるようになることを支援する、という前提で関わっては、労働市場から一度排除された人たちが、また過酷な現場に戻るだけということにもなりかねません。

れでは、おそらくは反貧困が焦点を当ててきた貧困者の典型かもしれないこのようなケースで、解決方法とはいえないまでも、どのような支援がありうるのでしょうか。

■障害者運動と労働運動――個人的な経験から

の支援のあり方を話させてください。私の支援の仕方は、自分自身がかつて相談者に近い立場にあったという経験が大きいように思います。私は労働運動に関わりはじめるより前に3回くらい解雇経験があって、そのすべてで泣き寝入りしてきました。いま思うとかなりとんでもないパワハラによる不当解雇もありました。ちょうど就職氷河期時代で、そのときは就労意欲が小さくなって萎縮し、もう就職はできないかなと思い、友達もたいしていなかったので、一人でこのまま死んでいくんだろうか、という漠然とした感覚にとらわれていました。

すが、その後、大学院に進学して、京都で24時間365日、常時30人近くの学生ボランティアの介助者を入れている重度身体障害者と出会い、その人のところで介助を始めてから、なぜかこの感覚がじょじょに変わりました。そこでは当事者が主体となって生活を決めていくという原則が言われていたのですが、何かを一緒に考えて、決めることも多く、3年間、毎週1回10時間程度の介助をつうじて、2年目くらいから、お互いに友達や仲間のような感覚がめばえたように思います。地震があったらすぐにあの人のところにいかなきゃとか、お金に困ったらあの人からお金をかりようとか…。

た、日本自立生活センターに通うようになってからは、地域での重度障害者の生活支援をしている人たちと出会い、トイレのこと、ご飯のこと、体の管理こと、家族との関係、いまやりたいこと、移動すること、などの一つ一つに工夫が必要で、その一つ一つを支援者と一緒に考え、実験し、決めていく、という支援のあり方を知りました。べったりと関わるピアサポートなり支援なりです。これは自立生活運動の中でILP(自立生活プログラムindipendent living program)とか「パーソナルアシスタンス」とか呼ばれていました。「パーソナルサポート」とちょっと似た名前です。このような経験を見聞きするうちに、「人は他人の手をかりて生きていけるのだ」とすごく頼もしい気持ちになりました。また、自分自身を否定する感覚を解きほぐして、生きるには仲間の支えが大切だと強く思いました。

のとてつもない障害者運動と出会うのとほぼ同時期に、私はユニオンぼちぼちで労働運動を始めました。ユニオンぼちぼちは働く人の権利を守る労働組合でありながら、精神障害や発達障害をもっていたり、あるいは社会経験が不足しているとか、コミュニケーションが上手じゃないなどで、働けない若者たちが集まっています。従来の「地域ユニオン」の基盤をうけつぎながら、「若者の労働運動」はさらに働けない人の個別の生活支援・居場所づくりにまで関わってきました。私はいま自分が労働運動の中で障害者運動から受け止めたもの(「パーソナルアシスタンス」)を実践しているかなーと、どこかで真剣に考えています。

使紛争の解決だけではなく、日常的な電話での生活相談、家族との関係基盤づくり、生活保護相談などなど。夜2時に電話がかかってくることもあります。「いま取調室の中ですけど、どうしたらいいかな」「え(笑)?」、「今日会社でこんなことあってんけど」「ふむふむ」、「娘と音信不通なんです」「どうしましょうね」、「近所の人に頭の中を盗聴され操作されています」「たいへんですねー」など。先ほども言いましたが、私としては、労働問題が解決した後の方が重要で、そのあとその人がどうやって自分の生活をつくって生きていくのだろうかと考えます。たとえば生活保護取得のためにいろいろと取得後の生活設計を一緒に紙に書き出して考えたりもします。生活保護を取得したら生活基盤が安定するかというと、そうでもなく、お金を管理できない、電話に依存している、アルコール依存症、ギャンブル依存症などなどと、仲間と一緒に付き合っていくことになります。べったりはりつくというのは、本当にある程度はべったりです。たいへんです。私は相談時間を制度的に区切る専門家ではありませんので、仲間としてある程度べったりとつきあいながら、距離もとるという感覚を、何度かバーンアウトしかけることで身に着けたように思います。

■価値形成とエンパワーメント

うした支援の中で、相談に来た人を、せかして働かせようとすることが、あまりよくない結果になっていくと感じてきました。しかも、いまの労働市場でぐちゃぐちゃにされた人たちなので、また同じ場所に戻ることにはかなり無理があります。それが何とかなると思う方がおられるとしたら、相当に現場との距離があると思います。働かない者には価値がない、一段低い存在だ、という価値観自体にものすごく苦しめられている人たちです。これもまた障害者運動が闘ってきたものだと思います。

は今の就労支援や自立支援を考えるときに、障害者運動や若者の労働運動から、パーソナルアシスタンスから、考え直すことができないかと思うようになりました。誰もが本当は一人で自立して生きているわけではなく、様々な他人の手に護り護られて自立できているという当たり前のことを肯定できないのだろうかと。

本の労働市場の男性正社員ライフコースが壊れたいま、多くの人はモデルのない生を生きています。自分で立ってひとりで働いて生きていることを第一の価値とするのではない、適度に一緒に立つほどほどの生き方を生み出していけないかなと思います。「あー自分自身はダメだ」と自己否定に陥る人たちの負のスパイラルを解きほぐすには、「働くこと」めぐって、今の低賃金・不安定雇用・長時間労働を背景にした働き方とは違う、もうちょっと別の「働くこと」の価値観を生み出せないかな、というふうに感じることがあります。

んなことを考えるようになってしばらくしてから、私自身も、度重なる解雇経験で働くことに対する萎縮した感情が変化し、就労意欲(何かを生み出そうという意欲)が高まってきました。この意欲は、いまいる周囲の仲間たちによって支えられ、そして自らが選びなおしたものなのだと思います。いままで支援の場で関わってきた人たちのなかにもまた、私と似たような変化をたどった人たちがいるように思います。

害者運動がやってきた自立生活プログラムやパーソナルアシスタンス、働くことを中心にする価値観の転換。この二つを、労働運動はどうやって受け止めていけるのだろうと思い、また、パーソナルサポートという画期的な方向性に踏み出そうとしている行政は、どのように応答するのだろうと、気になります。ただ、これはある意味では、すごく大変な支援のあり方で、はたして行政で賃労働として9時から5時の間での電話・窓口対応で成立するのだろうかと思いますし、またときに「働くこと」を絶対視しないという意味では、いまの行政が望まない方向性でもありうるのではないか、という不安をもちます。とくに「働くこと」の意味や制度を問い直すという感受性がないと、ときに相談者を追い込んでいくことになるのでは、という危惧があります。どういった制度設計にするのであれ、実態を踏まえて、これらの課題に向き合い、少しでも支援を必要とする人に届いてくれたらと思います。

アガンベンの能力論

2010年08月13日 22:01

*以前に書いたイタリアの哲学者アガンベンの能力論をのせます。

自らの中にある物言わぬ子供にアクセスすること、他者に向けて自分を空っぽにすること。これがジョルジュ・アガンベンの語るコミュニケーションの核心にあります。このことを語るために、アガンベンは「可能性(possibility)」とは区別される「潜勢力(potentiality)」について、あれこれ述べています。『バートルビー』の分析にも使われてるアガンベンの「潜勢力(potentiality)」は、アリストテレスの「能力」についての考え方からきています。


◆「能力」とはそもそも何なのか。――二つの能力


アリストテレスによると、「能力」という言葉は一般に二つの意味で使われています。一つめは、スポーツ選手が速く走り、高く飛べ、歌手が美しい声で歌える等のような、「卓越した才能」という意味での能力。選ばれた人しかもっていない力。「何者かになる」能力です。二つめの能力は、人間ならばすべての人がもっている力。それをアリストテレスは「何もしないでいること」(無能であること)、「何者にもならない」能力だと言います。

アリストテレスは、この二つめの能力について、当時幅をきかせていたメガラ派という集団と論争しています。メガラ派は、見ることができる、聞くことができる、話すことができるという能力は、目を閉じたとき、耳をふさいだとき、口をとざしたときに、世界と共に失われると言いました。目を開くと世界は一瞬のうちに創造されているのだと。アリストテレスは、んなバカなこというな、と言いました。目を閉じても、見る能力は存在するし、大工は大工として働いていないときでも、家を建てる能力が存在するし、詩人がベッドで惰眠をむさぼり詠わないときでも、詠う能力は存在する、世界も存在するんだ、と言いました。


◆「能力」の存在――純粋過去という時間


けれども、能力が存在するとは、どのようなことかと、アガンベンは悩みます。そんな単純な話でもないなーと。能力は予め存在しているとは言えず、いつも何かが起こった後に、その能力があったと言えるもの。美味しいコーヒーを煎れてはじめて、その人には美味しいコーヒーを煎れる能力があったと分かる。そして、それは分かった後になって分かる前からその能力は存在していた、と言えるもの。能力の存在とは、このような時間の順序をもっていると。

ここから続けて、アガンベンは、人が何かを行うときになって、特定の能力の形が光の下にさらされるのだけれども、純粋な能力の存在は失われてしまうのではないか、と疑問をもちました。あれでもなくこれでもなくという状態が、何かを実現すると、過去にさかのぼって、あれだったということになる(可能性possibility)。だとしたら、何もしないでいることが、純粋な能力(純粋過去、潜勢力potentiality)の存在の仕方だ、という結論にいきついたのでした。

アガンベンは、「シェイクスピアに右手がなかったらオセローは書かれることがなかったかもしれない」という想像は、現実化した可能性(実際にオセローが書かれた)を過去に投影して、事実に反した可能性を詮索しているのであって、能力の表現ではないと言います。実現した可能性とそこから想像可能な過去から切り離された過去、純粋過去こそが能力の時間なのだと。純粋過去は現在とは似つかぬ顔をし、根本的に想像を超えているのであると。


◆誰でもない誰かになる、何もしないでいる能力



才能とは別の意味での、誰もが分かち合う能力とは、何もしないでいることだったのだと、アガンベンは喜びます。たとえば、労働者のゼネラルストライキは、たんなる労働の拒否ではなく、人間のポテンシャリティの存在を明らかにしているのだし、絶滅収容所で衣服も社会的地位も奪われて剥き出しになった人たちは、何者かであることを剥ぎ取られているがゆえに、きわめて人間的なのだと言います。バートルビーの労働の拒否は、この人間の根本的な無能さを表現している、というのがアガンベンの考えです。人間を定義するとしたら、人間には他の動物に比べて何々ができる(話せる、道具が使える)という区別ではなくて、何もできないこと・無能さ(語ることができない等)こそが人間を区別しているのだと。

何もしないことで開ける純粋過去は、現在(可能性)とは似ても似つかぬ姿をしています。現在の似姿とはまったく違う、純粋過去たる能力は、根本的に私たちの想像を超えた姿をしています。そして、アガンベンによると、それは他者や世界に向けて人間が変化する能力そのものなのです。何もしないという待機状態にあって、あれでもなくこれでもないという未決定の状態に置かれること、他者のために自分を空っぽにすること。自らの中にある物言わぬ子供にアクセスすること。

アガンベンは、何者かであることは、コミュニケーションにおいては重要ではない、と言っています。能力(地位、身分、社会的ポジション)において人はコミュニケーションするのではないと。そうではなくて、何者でもないという無能さが、自分を他者に開いて変わっていく、コミュニケーションの核心にあるのだと述べます。アガンベンのコミュニケーションは、この意味で、恋人たちのコミュニケーション、狂気のコミュニケーションと見まがうばかりです。中身のない人間になることが最も人間的なコミュニケーションなのだと。

芸術は政治を取り戻す必要さえない

2010年08月12日 22:42


芸術は政治を取り戻す必要さえない
――ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』を読む


高橋慎一

1.そもそも分かれていない――芸術と政治

 文芸批評家・ミハイル・バフチンは、スターリン政権下の旧ソ連邦でドストエフスキーを読むことで、言語芸術による世界変革の構想を手に入れた。私は、広島県福山市の被差別部落の縁にある床屋の六畳間でドストエフスキーを読むことで、六畳間から外に出ようと思った。ミハイル・バフチン、私。二人を一緒に並べるのは、時間と空間を取り違えた分類間違いなのだろうか。私がバフチンを私と併記してしまうのは、私たちが芸術と政治を区別しないでドストエフスキーを読んでいるからである。しかし、ひょっとしたら、芸術と政治を一緒に並べること自体が、またしても思い違いなのだろうか。

 芸術と政治とを分ける制度は、一七世紀に生まれたとされる。イマニュエル・カントが『判断力批判』で、美的判断を「無関心で非感性的なもの」と定義したとき、ヨーロッパには趣味人と呼ばれる人々が現れていた。鑑賞者たる趣味人たちは、芸術作品から距離を置いて鑑賞する場、美術館を造った。芸術に振り回される狂気の経験は、鑑賞者たちの身近な日常や政治の舞台からは排除され、チケットを切って入る美術館の中に飼いならされてしまう。黎明期の美学は、この狂気の経験を創造性と呼んで、芸術家だけに押し付けたのだった。

 しかしながら、古代ギリシャ・ローマ時代には、芸術と政治は同じところにあった。中世ヨーロッパではじめて芸術の自律性(芸術の隔離)に関する考察がなされたのは、聖務中の魅惑的な歌の抑揚を禁じる司教令の中においてである。理由は、歌の魅力のせいで信者たちの気持ちが乱れてしまうから。また、古代ギリシャにおいてプラトンは、詩人を国家にとっての政治的な危険分子であると考えた。理由は、詩の魅力に振り回されて人が身分相応の職務を遂行できなくなるから。芸術は、私たちの政治的身分を忘れさせてしまう。おそらく検閲とは、人の心をかき乱す芸術を、政治から隔離する政治的行為なのである。この意味で、検閲にさらされた芸術は、権力者を恐怖させる程に素晴らしい政治的存在なのだといえる。

 芸術を政治から隔離する、趣味人、鑑賞者、美学の系譜は、現代においても息づいている。美術館に粛々と通い、日常の退屈を凌いで、安寧できる程度の適度な刺激をえる、リベラルな正規雇用の鑑賞者たち。それでは、芸術と政治を同じ分類に入れてしまう人たちの系譜は、どうしているのだろうか。不具者、陰謀家、非正規雇用労働者の手にこそ、より多くの芸術、快楽が必要だというのに! この政治と芸術を一体化させる太古の快楽は、私が六畳間で手にしたドストエフスキーの小説と、片足の陰謀家ミハイル・バフチンの本『ドストエフスキーの詩学』の中にあった。この小文では、ドストエフスキーの魅力を語るバフチンについて語りたい。

2.片足の陰謀家――ミハイル・バフチンの政治
 二〇世紀を振り返るならば、芸術と政治を一体化させるという事態は、ごくありふれた出来事である。大衆政治と革命勢力は前衛芸術をさんざん利用してきた。だからこそ、芸術はいっそう政治から隔離されたのである。プロパガンダ映画に顔を照らされるファシストたち、死者の記憶を横領して野暮ったい詩を詠う革命家たちが織り成す、筋骨隆々でぴかぴか光った健全者世界のトラウマのせいで、芸術はさらなる自律を求めることになった。逆説的なことに、現代においては、芸術家が芸術に対して検閲の斧を振るうのである。

 ところが、バフチンは、プロパガンダとその反動である芸術の自律性の間をすりぬけて、芸術と政治を、古代ギリシャ・ローマにおいてあらかじめそれらが一体化していた場所で結び合わせてしまう。プロパガンダ芸術とは対照的に、バフチンの読むドストエフスキーの小説世界では、肢体不自由者、精神病者、白痴者、陰謀家、癲癇者、泥棒、芸術家、盲者、賭博者、聾者、女性、子供、聖人、怪物が、王として君臨している。ドストエフスキーの小説は不具者たちの祝祭なのである。そのように語るバフチン自身も、陰謀家にして肢体不自由者であった。片足で、杖を振り回してぴょんぴょん飛び跳ねながら、バフチンは雄弁にドストエフスキーを語る。

 ミハイル・ミハイロヴィッチ・バフチンは、一八七九年一一月四日に、帝政ロシア時代のモスクワ南オリョール市に銀行員の次男坊として生まれた。兄のニコライは、言語学者ヴィトゲンシュタインと親交があった古典学者で、反革命・白軍将校として赤軍と戦い、後に国外脱出してアルジュリアの外人部隊に加わり、イギリスで博士号を取っている。このとんでもない兄の指導で、バフチンは十二歳の頃からドイツ語でカントを読まされていた。大学を出たバフチンは、勤労学校や私的なサークルで、歴史学、社会学、哲学、美学を教えるようになる。ロシア革命が起こりレーニンが死んでから、検閲の波は、メーデーと復活祭を合体させようとするバフチンのちょっとカルトなサークルにもやってきた。一九二九年、強制収容所禁錮五年の判決と、多発性骨髄炎という持病を同時に身に受け、流刑の地クスタナイで地区消費組合の経理担当者として働きながら、彼はドストエフスキーを読みあさる。刑期を終えた後、持病が悪化して右足を切断。しかし、まったくこりずにサークル活動を始める。

 バフチンの言語学や文学論は、支配者たちの声の大きいプロパガンダや検閲行為に対峙している。支配者が被支配者から言葉を奪うのは、常套手段である。古代ギリシャ、アテネの衛星都市で起こった事件。その衛星都市に送り込まれた奴隷たちは、従順に仕事をするように両目をつぶされていた。しかし、生まれてきた奴隷の子供たちは目が見えた。成熟した子供たちは叛乱を起こそうとした。はじめアテネの兵士たちは、槍をもって戦いの場に出ようとした。その姿を見て、奴隷の子供たちはいっそういきり立った。しかし、動物には動物に相応しいものをと、兵士たちは槍を鞭に持ちかえた。鞭を振るう兵士たちを見て、奴隷の子供たちは慌てて鞭に打たれる動物に戻り、言葉を失い散り散りになってしまったという。支配者による言語の支配は、被支配者の言葉を――馬のいななき、石の崩れる音、風の吹く音と同じ――単なる声に変える。

 これに対して、バフチンの言語理論は、芸術を拡声器にして叫ぶ人の背後や足の下に、勝手にもそもそと喋りかけている人たちの姿を見つけ出す。バフチンが自身の言語理論を例証するために使ったエピソード。ロシアの寒い冬、二人の男が暖炉の前にいる。一人の男が「今年の冬将軍はひとしきり寒いな!」と言うと、もう一人の男は答えることなく暖をとってうたた寝をしている。バフチンは、この一人目の男の発話は、実は暖炉脇の男に向けた言葉ではなく、冬将軍(寒波)に向けた言葉だったと解釈したらどうなるだろうと問いを立て、この場面で勝手に冬将軍を三人目の人物(?)として登場させ語らせ始める。冬将軍の性別は? どんな顔? 手足はあるのか?

 バフチンの私的なサークルでのエピソードもまた、言語を権威の伝達物に仕立てる支配者をあざ笑い、不在の人々を権力の前に存在させてしまう。バフチンは、自分のサークルで友人たちに口述筆記をさせることがよくあったらしいが、なぜか友人たちはそのまま本にして自分の名前で出版してしまっている。後にちょっと有名になった時に、取材を受けたバフチンは、「あの本はあなたが書いたなんじゃないですか」と聞かれて、「うーん、どうだっけ」と言っていると、最愛の妻が横から紅茶を差し出しながら「あなた、あれはあなたがあの子に口述筆記させたものでしょ。わたしその横にいたわよ」、「そう?」とバフチン。ひとりの著者が書いたように見える言語も、実は複数の声に満ちている。バフチンはいたって生真面目である。検閲にあって尋問にかけられた時にさえ、尋問官から「これはお前が書いたのか!」と問われ、「そんなような、そうじゃないような…」ともぞもぞ答えている。バフチンのポリフォニー理論は、声なきところに声を、言葉なき声に言葉を与える、支配者からしてみたらまったく面倒くさい理論なのである。このポリフォニー理論においては、バフチンの切り落とされた足さえもまた、生命をえて語り始めるに違いない。

3.文学とは祝祭である――『ドストエフスキーの詩学』のエッセンス
 リベラルな正規雇用の趣味人や現代の芸術家にとって、芸術と政治を結びつけるバフチンの論述は奇妙に映るかもしれない。プロパガンダ芸術を期待する政治家にとっては、あまりに多声的なバフチンの論述は脅威に感じられるかもしれない。しかし、非正規雇用、障害者、陰謀家にとっては、バフチンの文章はぴんとくる。彼らにとってバフチンの言葉は、すでに生きられた経験だからある。

 バフチンにとって、政治と芸術(音楽、詩、演劇など)が一体となって現れるのは、民衆の祝祭(とくにサトゥルヌス祭)においてであった。そして、政治的弾圧にさらされた祝祭は文学の中に潜り込み、その生命を維持し続ける。このカーニバル文学の頂点がドストエフスキーの作品世界である。

 バフチンは、ドストエフスキーの小説を論じるとき、プロパガンダ芸術も、近代芸術も飛び越え、古代ギリシャ・ローマにそのジャンルを見つけ出してしまう。ドストエフスキーの小説を解説するために、彼は、西洋の歴史を貫く新たな文学ジャンルを作り出してしまったのだ。それがカーニバル文学(お祭り文学)である。古典古代末期およびヘレニズム期に、スポンドゲロイオスというお笑いジャンルがあった。この時期には、他にも対話文学、回想記文学、時事風刺、牧歌詩、メニッポスの風刺などのジャンルもある。これら文学ジャンルと、弾圧を受けた祝祭が結びつく。古代ローマの農神祭では、王の戴冠と奪還が演じられ、代わりに道化の司教、主教、法王が教会の格に応じて選出される。中世では、葡萄の収穫祭などで闘牛、奇跡劇、聖人劇などが、ルネッサンス期には仮面舞踏会が行われた。秩序を転覆させる危険因子だった祝祭は、支配者からの弾圧を受けることになる。バフチンによると、祝祭のカーニバル性――秩序転覆、死と再生、あべこべの世界――は、支配者からの弾圧を生き延びることで、キリスト教文学やお笑い文学に潜伏し、カーニバル文学の系譜が準備された。そして、ドストエフスキーの小説がカーニバル文学にポリフォニー的性格――溢れかえる不具者たちの声――を加えたことで、このジャンルが完成されたのである。

 それでは、カーニバル文学ジャンル論やポリフォニー理論をたずさえて、バフチンはどのようにドストエフスキーの小説に踏み込んでいったのか。よくよく見てみると、バフチンの作品解釈そのものもポリフォニー的である。『貧しき人々』の主人公マカール・デーヴシキンは下級官吏の浄書屋で、自分の仕事に自信がもてないせいで愛しいワーレニカ・ドブロセーロワに告白できないでいる。バフチンの分析を引用してみる。

 小生だって、浄書するのは大した仕事じゃないってことぐらい、自分でちゃんと心得てます……(この後に留保が続く――バフチン)。浄書しているからって、それが実際どうしたと言うんです! 一体、浄書をするのが罪悪だとでも言うんですか! みんなは言います「あいつは浄書をしているんだ!」……

 デーヴシキンが……あれこれ気遣いしながら、自分の新しい部屋のことを告白している……箇所においてすでに、彼の発話の統辞論的構造とアクセントの構造を規定しているその独特な発話の中断を見て取ることができる。あたかも、他者の応答が彼の発話に割り込んできているかのようで、その応答は実際上は確かに欠落しているのだが、発話に作用をして、発話のアクセントの構造と統辞論的構造を激しく組み替えようとしているのである。(四二二頁)

 ここであろうことか、バフチンは我慢ができなくなって、ドストエフスキーの小説に勝手に加筆してしまうのである。バフチンの良く聞こえる耳は、ドストエフスキーの登場人物たちの言葉の傍らに、またも変人たちの声を見つけてしまうのである。

 他者――「金をしこたま儲ける腕が必要なのさ。そうすれば誰の厄介にもならずにすむんだ。ところが、お前はみんなの厄介になっている。」
マカール――「小生は誰の厄介にもなっていない。小生のところにあるパンは自分のものだ。」
(中略)
他者――「いったいどんな汗水をたらしたんだか! やっていることといえば、浄書だけじゃないか。それ以外のことは何もできやしないんだ。」
マカール――「それでどうしろというんだ! 小生だって、浄書が大した仕事じゃないくらいのことは、自分でもちゃんと心得ているが、それでも小生はこの仕事を誇りに思っているんだ!」


 他者の声を書き加えることで、マカール・デーヴシキンの言葉はドストエフスキーによって対話として構成されていたことが分かるのだと、バフチンは得心する。健全者の世界では低い価値しか与えられないマカールが、一発逆転を狙ってカーニバルを引き起こす。

 見えない他者の声がポリフォニックに響き渡り、王が冠を剥ぎ取られ不具者の戴冠するカーニバル文学は、あまたの検閲を逃れて形成された政治的文学ジャンルであった。これは非正規雇用、障害者、陰謀家にとってはいつもの見慣れた世界ではないだろうか。陰謀家バフチンの手によって、国民作家ドストエフスキーは発禁処分ものの危険な思想家になってしまうのだ。心許ないが、これでバフチンの魅力は少しでも伝わっただろうか?

4.おわりに――芸術を政治から遠ざけないように
 良き趣味に耽るリベラルな正規雇用の趣味人は言う。「非正規雇用で働いていたら、勉強するひまもないし、快楽に耽るひまもないに違いない。勉強と快楽をチラつかせるなんて、彼らにとって残酷だ」。これこそ現代の検閲の一バージョンである。芸術を政治から隔離し、小説を不具者から引き離す支配者たちとは、断固として闘わなくてはならない。芸術を政治の手段にする支配者たちとは、断固として闘わなくてはならない。芸術家はさらに政治的に検閲されうる芸術作品を生み出すべきだし、陰謀家はもっとその思想を芸術作品として表現するべきだ。バフチンは私たちに、陰謀家と芸術家を等しく魅了する、身を焦がすような祝祭の快楽を語る。

 ドストエフスキーとバフチンに導かれて、六畳間から出た私は京都まで行き着き、かけもちのバイトをしながら陰謀をめぐらすようになってしまった。カフェのウェイターをして、日雇バイトで近畿一円の施設を作り、障害者の介助に関わり、気がつくと、非正規雇用労働・介助労働の陰謀家になっていた。妄想かもしれないが、今から考えると、すべてはバフチンのドストエフスキー論から学んだ気がする。もし私がかつての革命家たちの夢についていけないとして、どんな夢を見るのかと問われたら、すべての人が陰謀家にして、不具者にして、芸術家であるような世界と答えたい。それはちょっと厄介で少し住み難くて、とても面白い世界に違いない。六畳間の外には、そんな世界が広がっていたのである。万国の非正規労働者と障害者よ、六畳間の外に出よう!

戸籍制度に抵抗する言葉

2010年06月15日 10:41



つて僕は、戸籍制度に反対する人たちと出会い、家族関係に対するスレた感情もあって、戸籍制度ってやっぱりおかしいかもと思うようになった。実際に戸籍制度と向き合い、その差別(等しくない取り扱いによる社会的不利益)を感受したのは、自分が当事者になったときだった。僕が出会った戸籍制度を維持する圧力は、多くの人が出会うのと同様に、意図的に人を傷つける圧力ではなかった。

とえば、結婚というパートナーシップの形をとるとき、夫の親や妻の親は、「夫婦別姓だったり戸籍がないことが周囲に分かったら子供がかわいそうだ」「妻が夫の家の家族行事に参加したときに内縁の妻として扱われるのではないか」「戸籍を入れないということは家族関係の責任を放棄するということではないか」などの不安にとりつかれることが、痛いくらいに分かった。それは現実に起こりうることで、親たちはその光景に身がまえる。自分や親しい人たちを守りたいという気持ちがそこにある。

かし、その不安をこうじさせる光景そのものは、典型的ともいえる社会的排除、差別の場面であるだろう。内縁の妻を差別し、戸籍がない子を差別し、戸籍の強制力がないと維持できない脆弱な関係におびえる風景である。さらに、この社会の担い手たち、常識を重んじ、子を守りたいと思う人たちは、排除されないようにできるだけ排除しないようにとする。自分の身近でそんな不幸な出来事が起こらないようにと願う。結果的にその人たちは、社会規範の同化圧力の担い手となる。それは強制でさえない。「私たちは排除しない。ただ社会が排除する。だから排除されないような場に入ってほしい」という同化の光景である。被差別者だって、いつその同化の力の一部となるか分からない。

別には伝統的な類型化があるけれど、おおまかに言うと、ひとつには参加の機会を奪ったり直接的な暴力を行ったりという「排除型差別」があり、もうひとつにはこの排除型差別を背景にした「同化型差別」がある。この定義からすると、苦しいことに幸福のために同化を望む言葉もまた差別である。

ころで、戸籍制度そのものは、家制度を編成・強化するために意図的に作られた近代政策の一部だ。それは予め排除・選別を組み込んでいて、理想の家族に同化させる圧力を発するように、意図的に作られたものだった。事務的には、氏(苗字)を強制的に作らせ、戸籍筆頭者(長男)とその妻とその子の出生・関係・死亡を公的に証明するものである。そのつど手続きをさせる。税金をとりっぱぐれないように、また、生産力や戦争で諸外国に負けないように、強い人間を作ろうとして、この国は戸籍制度を19世紀後半に作った。だから基本的に戸籍は、長男の血縁を財産と共に相続する仕組みであり、その記載方法からして女性の取り扱いが不平等になっていた。また、時代がくだって戦後になっても、税制・社会保障関係法をこの国が望む理想的な家族関係と連動させることで、それ以外の家族関係は排除される仕組みになってきた。その人が被差別部落出身者であるか、その人は片親なのか、その人は養子なのか、その人が婚外子なのか、その人の本当の性別が何なのか、そんな人に知られたくない(不利益になるから)個人情報を第三者が閲覧して、人を選別できる仕組みだった。さかのぼると、そのそも戸籍制度は身分制と連動していたりもした。天皇制との関連付けも明白で、天皇には戸籍がなく、どうやら僕らは天皇の臣民という位置づけでいまでも生きているらしい。こうして僕らはおおむね、家制度(長男以外を二級の人格として取り扱う余地を残す)を残存させる仕組みの中で生き続けている。

除・選別は、ある人たちにとっては「家族関係の凝集性」を保つための必要悪とされる。しかし、排除される側からしてみたら、根拠のない悪でしかない。戸籍制度を積極的に擁護する側だって、排除・選別機能の存在を認めているのだ。そして、この排除・選別機能におののいて不安になって、戸籍なんてどちらでもよいと考える人も同化していくようにできている。その人たちは「自分たちは差別的ではないけどね…」という実感をもっているように思う。この同化圧力は、理想の家族の凝集性を高めるために、戸籍制度の作り手が意識的に作り出したものではある。家族の自然な感情に戸籍制度はパラサイトしており、愛情や憎しみと戸籍感情がからみあってときほぐしがたくなっている。パートナーと出会い子を生み育てる自然のプロセスに介入する政治装置である。

のパラサイトの上でできてしまった戸籍感情を断ち切るために、いろんな人たちの気持ちをあえて断ち切って、原則的なことを確認しておきたい。戸籍制度を擁護する側も別の言葉で認めているように、「戸籍制度は排除・選別機能を予め組み込んだ家族の凝集性を高める装置である」。

は人を差別することもたくさんあるけど、なるべく差別したくない。だから戸籍制度には賛成しない。パートナーや家族を苦しめることになる。でも、それは戸籍制度に予め組み込まれていたトラップだと思う。僕はどちらかというと人の感情に流されやすいし、目の前でしんどくなる人がいると、自分の信念とかどっちでもいいと思ってしまったりする。けど、こうして差別が再生産されるということも僕は知っている。ごめんなさい。僕は戸籍制度に反対します。

戸籍を入れて生活する法律婚カップルの千倍以上楽しい世界を、僕らは作れるだろうか。どうか、法律婚に魅力を感じない人がもっともっとたくさんいて、この世界がもうちょっと多様でフラットになりますように。