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反貧困と「パーソナルサポーター」

2010年10月05日 12:33



■「パーソナルサポート」について語る前に

ニオンぼちぼちの高橋慎一と申します。ビラには日本自立生活センター支援員・関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち相談員という肩書きが書いてありましたが、まず私がこの二つの団体を代表して発言するというわけではなく、また私自身は「支援の専門家」ではないということをお断りしたいと思います。ただ、京都の南区で日々、困難を抱えた仲間たちと一緒に活動したり、ときに支援者として関わりをもっています。日本自立生活センターは、重度の障害をもつ障害をもった人たちが自分と仲間の地域生活を支える場です。ユニオンぼちぼちは、上部団体をもたない若者の労働組合で、組合員には働けない人たちの方が多いかもしれないという不思議な労働組合です。いま行政がやろうとしている「パーソナルサポート」というサービスに関わらせて、私自身の日常の支援活動について報告させていただきたいと思います。

ディアなどでもすでに報道されていますが、いま日本では所得格差や貧困が拡がっています。これに対して反貧困ネットは、非正規雇用が拡大して、社会保障も切り縮められていくなか、たんなる所得の格差にかぎらない、見えにくい貧困、たとえば誰も頼る人がいない社会的な孤立状況などなどを何とかしようと、2000年代後半に法律家と活動家が作ったネットワークです。行政も反貧困などの運動の働きかけを受けて、この間、職業訓練や就労支援などを整備してきました。いま「パーソナルサポート」というサービスを作ろうとしています。これは相談者が抱える困難をひとつだけ解決して放り出すというのではなくて、当人の納得のいく生活状態まで一緒に付き合うというものなのかなと、思いました。

が労働組合で日々関わっている活動でも、たんに解雇されたり、未払い賃金があったり、有給休暇が取得できてなかったり、雇用保険に未加入状態だったりする、という労働条件の話だけではすみません。相談者が度重なる失敗経験のせいで、コミュニケーションに難しさを抱えていたり、精神疾患を抱えたりということも多く、労働相談・労働争議の後の生活がむしろ大切だなと思います。なので、支援内容も相手に合わせててんでばらばらです。ひとつひとつ制度について勉強しながら、問題解決のイメージを相談者と一緒に作っていきます。その中で労働基準監督署やハローワークなどの専門機関に電話相談することもありますが、背景や雰囲気がかなり上手に伝わらないと、ものすごく一般的な話しか返ってこないということがあったり、また、得た情報を相談者が使いこなすことができない、ということもあります。このような相談者の問題解決には、専門的なアプローチによって予め決められた回答をあてがうことがなか難しいと感じることがあります。しかも、たんにまた働けるようになることを支援する、という前提で関わっては、労働市場から一度排除された人たちが、また過酷な現場に戻るだけということにもなりかねません。

れでは、おそらくは反貧困が焦点を当ててきた貧困者の典型かもしれないこのようなケースで、解決方法とはいえないまでも、どのような支援がありうるのでしょうか。

■障害者運動と労働運動――個人的な経験から

の支援のあり方を話させてください。私の支援の仕方は、自分自身がかつて相談者に近い立場にあったという経験が大きいように思います。私は労働運動に関わりはじめるより前に3回くらい解雇経験があって、そのすべてで泣き寝入りしてきました。いま思うとかなりとんでもないパワハラによる不当解雇もありました。ちょうど就職氷河期時代で、そのときは就労意欲が小さくなって萎縮し、もう就職はできないかなと思い、友達もたいしていなかったので、一人でこのまま死んでいくんだろうか、という漠然とした感覚にとらわれていました。

すが、その後、大学院に進学して、京都で24時間365日、常時30人近くの学生ボランティアの介助者を入れている重度身体障害者と出会い、その人のところで介助を始めてから、なぜかこの感覚がじょじょに変わりました。そこでは当事者が主体となって生活を決めていくという原則が言われていたのですが、何かを一緒に考えて、決めることも多く、3年間、毎週1回10時間程度の介助をつうじて、2年目くらいから、お互いに友達や仲間のような感覚がめばえたように思います。地震があったらすぐにあの人のところにいかなきゃとか、お金に困ったらあの人からお金をかりようとか…。

た、日本自立生活センターに通うようになってからは、地域での重度障害者の生活支援をしている人たちと出会い、トイレのこと、ご飯のこと、体の管理こと、家族との関係、いまやりたいこと、移動すること、などの一つ一つに工夫が必要で、その一つ一つを支援者と一緒に考え、実験し、決めていく、という支援のあり方を知りました。べったりと関わるピアサポートなり支援なりです。これは自立生活運動の中でILP(自立生活プログラムindipendent living program)とか「パーソナルアシスタンス」とか呼ばれていました。「パーソナルサポート」とちょっと似た名前です。このような経験を見聞きするうちに、「人は他人の手をかりて生きていけるのだ」とすごく頼もしい気持ちになりました。また、自分自身を否定する感覚を解きほぐして、生きるには仲間の支えが大切だと強く思いました。

のとてつもない障害者運動と出会うのとほぼ同時期に、私はユニオンぼちぼちで労働運動を始めました。ユニオンぼちぼちは働く人の権利を守る労働組合でありながら、精神障害や発達障害をもっていたり、あるいは社会経験が不足しているとか、コミュニケーションが上手じゃないなどで、働けない若者たちが集まっています。従来の「地域ユニオン」の基盤をうけつぎながら、「若者の労働運動」はさらに働けない人の個別の生活支援・居場所づくりにまで関わってきました。私はいま自分が労働運動の中で障害者運動から受け止めたもの(「パーソナルアシスタンス」)を実践しているかなーと、どこかで真剣に考えています。

使紛争の解決だけではなく、日常的な電話での生活相談、家族との関係基盤づくり、生活保護相談などなど。夜2時に電話がかかってくることもあります。「いま取調室の中ですけど、どうしたらいいかな」「え(笑)?」、「今日会社でこんなことあってんけど」「ふむふむ」、「娘と音信不通なんです」「どうしましょうね」、「近所の人に頭の中を盗聴され操作されています」「たいへんですねー」など。先ほども言いましたが、私としては、労働問題が解決した後の方が重要で、そのあとその人がどうやって自分の生活をつくって生きていくのだろうかと考えます。たとえば生活保護取得のためにいろいろと取得後の生活設計を一緒に紙に書き出して考えたりもします。生活保護を取得したら生活基盤が安定するかというと、そうでもなく、お金を管理できない、電話に依存している、アルコール依存症、ギャンブル依存症などなどと、仲間と一緒に付き合っていくことになります。べったりはりつくというのは、本当にある程度はべったりです。たいへんです。私は相談時間を制度的に区切る専門家ではありませんので、仲間としてある程度べったりとつきあいながら、距離もとるという感覚を、何度かバーンアウトしかけることで身に着けたように思います。

■価値形成とエンパワーメント

うした支援の中で、相談に来た人を、せかして働かせようとすることが、あまりよくない結果になっていくと感じてきました。しかも、いまの労働市場でぐちゃぐちゃにされた人たちなので、また同じ場所に戻ることにはかなり無理があります。それが何とかなると思う方がおられるとしたら、相当に現場との距離があると思います。働かない者には価値がない、一段低い存在だ、という価値観自体にものすごく苦しめられている人たちです。これもまた障害者運動が闘ってきたものだと思います。

は今の就労支援や自立支援を考えるときに、障害者運動や若者の労働運動から、パーソナルアシスタンスから、考え直すことができないかと思うようになりました。誰もが本当は一人で自立して生きているわけではなく、様々な他人の手に護り護られて自立できているという当たり前のことを肯定できないのだろうかと。

本の労働市場の男性正社員ライフコースが壊れたいま、多くの人はモデルのない生を生きています。自分で立ってひとりで働いて生きていることを第一の価値とするのではない、適度に一緒に立つほどほどの生き方を生み出していけないかなと思います。「あー自分自身はダメだ」と自己否定に陥る人たちの負のスパイラルを解きほぐすには、「働くこと」めぐって、今の低賃金・不安定雇用・長時間労働を背景にした働き方とは違う、もうちょっと別の「働くこと」の価値観を生み出せないかな、というふうに感じることがあります。

んなことを考えるようになってしばらくしてから、私自身も、度重なる解雇経験で働くことに対する萎縮した感情が変化し、就労意欲(何かを生み出そうという意欲)が高まってきました。この意欲は、いまいる周囲の仲間たちによって支えられ、そして自らが選びなおしたものなのだと思います。いままで支援の場で関わってきた人たちのなかにもまた、私と似たような変化をたどった人たちがいるように思います。

害者運動がやってきた自立生活プログラムやパーソナルアシスタンス、働くことを中心にする価値観の転換。この二つを、労働運動はどうやって受け止めていけるのだろうと思い、また、パーソナルサポートという画期的な方向性に踏み出そうとしている行政は、どのように応答するのだろうと、気になります。ただ、これはある意味では、すごく大変な支援のあり方で、はたして行政で賃労働として9時から5時の間での電話・窓口対応で成立するのだろうかと思いますし、またときに「働くこと」を絶対視しないという意味では、いまの行政が望まない方向性でもありうるのではないか、という不安をもちます。とくに「働くこと」の意味や制度を問い直すという感受性がないと、ときに相談者を追い込んでいくことになるのでは、という危惧があります。どういった制度設計にするのであれ、実態を踏まえて、これらの課題に向き合い、少しでも支援を必要とする人に届いてくれたらと思います。


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