2010年08月12日 22:42
芸術は政治を取り戻す必要さえない
――ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』を読む
高橋慎一
1.そもそも分かれていない――芸術と政治
文芸批評家・ミハイル・バフチンは、スターリン政権下の旧ソ連邦でドストエフスキーを読むことで、言語芸術による世界変革の構想を手に入れた。私は、広島県福山市の被差別部落の縁にある床屋の六畳間でドストエフスキーを読むことで、六畳間から外に出ようと思った。ミハイル・バフチン、私。二人を一緒に並べるのは、時間と空間を取り違えた分類間違いなのだろうか。私がバフチンを私と併記してしまうのは、私たちが芸術と政治を区別しないでドストエフスキーを読んでいるからである。しかし、ひょっとしたら、芸術と政治を一緒に並べること自体が、またしても思い違いなのだろうか。
芸術と政治とを分ける制度は、一七世紀に生まれたとされる。イマニュエル・カントが『判断力批判』で、美的判断を「無関心で非感性的なもの」と定義したとき、ヨーロッパには趣味人と呼ばれる人々が現れていた。鑑賞者たる趣味人たちは、芸術作品から距離を置いて鑑賞する場、美術館を造った。芸術に振り回される狂気の経験は、鑑賞者たちの身近な日常や政治の舞台からは排除され、チケットを切って入る美術館の中に飼いならされてしまう。黎明期の美学は、この狂気の経験を創造性と呼んで、芸術家だけに押し付けたのだった。
しかしながら、古代ギリシャ・ローマ時代には、芸術と政治は同じところにあった。中世ヨーロッパではじめて芸術の自律性(芸術の隔離)に関する考察がなされたのは、聖務中の魅惑的な歌の抑揚を禁じる司教令の中においてである。理由は、歌の魅力のせいで信者たちの気持ちが乱れてしまうから。また、古代ギリシャにおいてプラトンは、詩人を国家にとっての政治的な危険分子であると考えた。理由は、詩の魅力に振り回されて人が身分相応の職務を遂行できなくなるから。芸術は、私たちの政治的身分を忘れさせてしまう。おそらく検閲とは、人の心をかき乱す芸術を、政治から隔離する政治的行為なのである。この意味で、検閲にさらされた芸術は、権力者を恐怖させる程に素晴らしい政治的存在なのだといえる。
芸術を政治から隔離する、趣味人、鑑賞者、美学の系譜は、現代においても息づいている。美術館に粛々と通い、日常の退屈を凌いで、安寧できる程度の適度な刺激をえる、リベラルな正規雇用の鑑賞者たち。それでは、芸術と政治を同じ分類に入れてしまう人たちの系譜は、どうしているのだろうか。不具者、陰謀家、非正規雇用労働者の手にこそ、より多くの芸術、快楽が必要だというのに! この政治と芸術を一体化させる太古の快楽は、私が六畳間で手にしたドストエフスキーの小説と、片足の陰謀家ミハイル・バフチンの本『ドストエフスキーの詩学』の中にあった。この小文では、ドストエフスキーの魅力を語るバフチンについて語りたい。
2.片足の陰謀家――ミハイル・バフチンの政治
二〇世紀を振り返るならば、芸術と政治を一体化させるという事態は、ごくありふれた出来事である。大衆政治と革命勢力は前衛芸術をさんざん利用してきた。だからこそ、芸術はいっそう政治から隔離されたのである。プロパガンダ映画に顔を照らされるファシストたち、死者の記憶を横領して野暮ったい詩を詠う革命家たちが織り成す、筋骨隆々でぴかぴか光った健全者世界のトラウマのせいで、芸術はさらなる自律を求めることになった。逆説的なことに、現代においては、芸術家が芸術に対して検閲の斧を振るうのである。
ところが、バフチンは、プロパガンダとその反動である芸術の自律性の間をすりぬけて、芸術と政治を、古代ギリシャ・ローマにおいてあらかじめそれらが一体化していた場所で結び合わせてしまう。プロパガンダ芸術とは対照的に、バフチンの読むドストエフスキーの小説世界では、肢体不自由者、精神病者、白痴者、陰謀家、癲癇者、泥棒、芸術家、盲者、賭博者、聾者、女性、子供、聖人、怪物が、王として君臨している。ドストエフスキーの小説は不具者たちの祝祭なのである。そのように語るバフチン自身も、陰謀家にして肢体不自由者であった。片足で、杖を振り回してぴょんぴょん飛び跳ねながら、バフチンは雄弁にドストエフスキーを語る。
ミハイル・ミハイロヴィッチ・バフチンは、一八七九年一一月四日に、帝政ロシア時代のモスクワ南オリョール市に銀行員の次男坊として生まれた。兄のニコライは、言語学者ヴィトゲンシュタインと親交があった古典学者で、反革命・白軍将校として赤軍と戦い、後に国外脱出してアルジュリアの外人部隊に加わり、イギリスで博士号を取っている。このとんでもない兄の指導で、バフチンは十二歳の頃からドイツ語でカントを読まされていた。大学を出たバフチンは、勤労学校や私的なサークルで、歴史学、社会学、哲学、美学を教えるようになる。ロシア革命が起こりレーニンが死んでから、検閲の波は、メーデーと復活祭を合体させようとするバフチンのちょっとカルトなサークルにもやってきた。一九二九年、強制収容所禁錮五年の判決と、多発性骨髄炎という持病を同時に身に受け、流刑の地クスタナイで地区消費組合の経理担当者として働きながら、彼はドストエフスキーを読みあさる。刑期を終えた後、持病が悪化して右足を切断。しかし、まったくこりずにサークル活動を始める。
バフチンの言語学や文学論は、支配者たちの声の大きいプロパガンダや検閲行為に対峙している。支配者が被支配者から言葉を奪うのは、常套手段である。古代ギリシャ、アテネの衛星都市で起こった事件。その衛星都市に送り込まれた奴隷たちは、従順に仕事をするように両目をつぶされていた。しかし、生まれてきた奴隷の子供たちは目が見えた。成熟した子供たちは叛乱を起こそうとした。はじめアテネの兵士たちは、槍をもって戦いの場に出ようとした。その姿を見て、奴隷の子供たちはいっそういきり立った。しかし、動物には動物に相応しいものをと、兵士たちは槍を鞭に持ちかえた。鞭を振るう兵士たちを見て、奴隷の子供たちは慌てて鞭に打たれる動物に戻り、言葉を失い散り散りになってしまったという。支配者による言語の支配は、被支配者の言葉を――馬のいななき、石の崩れる音、風の吹く音と同じ――単なる声に変える。
これに対して、バフチンの言語理論は、芸術を拡声器にして叫ぶ人の背後や足の下に、勝手にもそもそと喋りかけている人たちの姿を見つけ出す。バフチンが自身の言語理論を例証するために使ったエピソード。ロシアの寒い冬、二人の男が暖炉の前にいる。一人の男が「今年の冬将軍はひとしきり寒いな!」と言うと、もう一人の男は答えることなく暖をとってうたた寝をしている。バフチンは、この一人目の男の発話は、実は暖炉脇の男に向けた言葉ではなく、冬将軍(寒波)に向けた言葉だったと解釈したらどうなるだろうと問いを立て、この場面で勝手に冬将軍を三人目の人物(?)として登場させ語らせ始める。冬将軍の性別は? どんな顔? 手足はあるのか?
バフチンの私的なサークルでのエピソードもまた、言語を権威の伝達物に仕立てる支配者をあざ笑い、不在の人々を権力の前に存在させてしまう。バフチンは、自分のサークルで友人たちに口述筆記をさせることがよくあったらしいが、なぜか友人たちはそのまま本にして自分の名前で出版してしまっている。後にちょっと有名になった時に、取材を受けたバフチンは、「あの本はあなたが書いたなんじゃないですか」と聞かれて、「うーん、どうだっけ」と言っていると、最愛の妻が横から紅茶を差し出しながら「あなた、あれはあなたがあの子に口述筆記させたものでしょ。わたしその横にいたわよ」、「そう?」とバフチン。ひとりの著者が書いたように見える言語も、実は複数の声に満ちている。バフチンはいたって生真面目である。検閲にあって尋問にかけられた時にさえ、尋問官から「これはお前が書いたのか!」と問われ、「そんなような、そうじゃないような…」ともぞもぞ答えている。バフチンのポリフォニー理論は、声なきところに声を、言葉なき声に言葉を与える、支配者からしてみたらまったく面倒くさい理論なのである。このポリフォニー理論においては、バフチンの切り落とされた足さえもまた、生命をえて語り始めるに違いない。
3.文学とは祝祭である――『ドストエフスキーの詩学』のエッセンス
リベラルな正規雇用の趣味人や現代の芸術家にとって、芸術と政治を結びつけるバフチンの論述は奇妙に映るかもしれない。プロパガンダ芸術を期待する政治家にとっては、あまりに多声的なバフチンの論述は脅威に感じられるかもしれない。しかし、非正規雇用、障害者、陰謀家にとっては、バフチンの文章はぴんとくる。彼らにとってバフチンの言葉は、すでに生きられた経験だからある。
バフチンにとって、政治と芸術(音楽、詩、演劇など)が一体となって現れるのは、民衆の祝祭(とくにサトゥルヌス祭)においてであった。そして、政治的弾圧にさらされた祝祭は文学の中に潜り込み、その生命を維持し続ける。このカーニバル文学の頂点がドストエフスキーの作品世界である。
バフチンは、ドストエフスキーの小説を論じるとき、プロパガンダ芸術も、近代芸術も飛び越え、古代ギリシャ・ローマにそのジャンルを見つけ出してしまう。ドストエフスキーの小説を解説するために、彼は、西洋の歴史を貫く新たな文学ジャンルを作り出してしまったのだ。それがカーニバル文学(お祭り文学)である。古典古代末期およびヘレニズム期に、スポンドゲロイオスというお笑いジャンルがあった。この時期には、他にも対話文学、回想記文学、時事風刺、牧歌詩、メニッポスの風刺などのジャンルもある。これら文学ジャンルと、弾圧を受けた祝祭が結びつく。古代ローマの農神祭では、王の戴冠と奪還が演じられ、代わりに道化の司教、主教、法王が教会の格に応じて選出される。中世では、葡萄の収穫祭などで闘牛、奇跡劇、聖人劇などが、ルネッサンス期には仮面舞踏会が行われた。秩序を転覆させる危険因子だった祝祭は、支配者からの弾圧を受けることになる。バフチンによると、祝祭のカーニバル性――秩序転覆、死と再生、あべこべの世界――は、支配者からの弾圧を生き延びることで、キリスト教文学やお笑い文学に潜伏し、カーニバル文学の系譜が準備された。そして、ドストエフスキーの小説がカーニバル文学にポリフォニー的性格――溢れかえる不具者たちの声――を加えたことで、このジャンルが完成されたのである。
それでは、カーニバル文学ジャンル論やポリフォニー理論をたずさえて、バフチンはどのようにドストエフスキーの小説に踏み込んでいったのか。よくよく見てみると、バフチンの作品解釈そのものもポリフォニー的である。『貧しき人々』の主人公マカール・デーヴシキンは下級官吏の浄書屋で、自分の仕事に自信がもてないせいで愛しいワーレニカ・ドブロセーロワに告白できないでいる。バフチンの分析を引用してみる。
小生だって、浄書するのは大した仕事じゃないってことぐらい、自分でちゃんと心得てます……(この後に留保が続く――バフチン)。浄書しているからって、それが実際どうしたと言うんです! 一体、浄書をするのが罪悪だとでも言うんですか! みんなは言います「あいつは浄書をしているんだ!」……
デーヴシキンが……あれこれ気遣いしながら、自分の新しい部屋のことを告白している……箇所においてすでに、彼の発話の統辞論的構造とアクセントの構造を規定しているその独特な発話の中断を見て取ることができる。あたかも、他者の応答が彼の発話に割り込んできているかのようで、その応答は実際上は確かに欠落しているのだが、発話に作用をして、発話のアクセントの構造と統辞論的構造を激しく組み替えようとしているのである。(四二二頁)
ここであろうことか、バフチンは我慢ができなくなって、ドストエフスキーの小説に勝手に加筆してしまうのである。バフチンの良く聞こえる耳は、ドストエフスキーの登場人物たちの言葉の傍らに、またも変人たちの声を見つけてしまうのである。
他者――「金をしこたま儲ける腕が必要なのさ。そうすれば誰の厄介にもならずにすむんだ。ところが、お前はみんなの厄介になっている。」
マカール――「小生は誰の厄介にもなっていない。小生のところにあるパンは自分のものだ。」
(中略)
他者――「いったいどんな汗水をたらしたんだか! やっていることといえば、浄書だけじゃないか。それ以外のことは何もできやしないんだ。」
マカール――「それでどうしろというんだ! 小生だって、浄書が大した仕事じゃないくらいのことは、自分でもちゃんと心得ているが、それでも小生はこの仕事を誇りに思っているんだ!」
他者の声を書き加えることで、マカール・デーヴシキンの言葉はドストエフスキーによって対話として構成されていたことが分かるのだと、バフチンは得心する。健全者の世界では低い価値しか与えられないマカールが、一発逆転を狙ってカーニバルを引き起こす。
見えない他者の声がポリフォニックに響き渡り、王が冠を剥ぎ取られ不具者の戴冠するカーニバル文学は、あまたの検閲を逃れて形成された政治的文学ジャンルであった。これは非正規雇用、障害者、陰謀家にとってはいつもの見慣れた世界ではないだろうか。陰謀家バフチンの手によって、国民作家ドストエフスキーは発禁処分ものの危険な思想家になってしまうのだ。心許ないが、これでバフチンの魅力は少しでも伝わっただろうか?
4.おわりに――芸術を政治から遠ざけないように
良き趣味に耽るリベラルな正規雇用の趣味人は言う。「非正規雇用で働いていたら、勉強するひまもないし、快楽に耽るひまもないに違いない。勉強と快楽をチラつかせるなんて、彼らにとって残酷だ」。これこそ現代の検閲の一バージョンである。芸術を政治から隔離し、小説を不具者から引き離す支配者たちとは、断固として闘わなくてはならない。芸術を政治の手段にする支配者たちとは、断固として闘わなくてはならない。芸術家はさらに政治的に検閲されうる芸術作品を生み出すべきだし、陰謀家はもっとその思想を芸術作品として表現するべきだ。バフチンは私たちに、陰謀家と芸術家を等しく魅了する、身を焦がすような祝祭の快楽を語る。
ドストエフスキーとバフチンに導かれて、六畳間から出た私は京都まで行き着き、かけもちのバイトをしながら陰謀をめぐらすようになってしまった。カフェのウェイターをして、日雇バイトで近畿一円の施設を作り、障害者の介助に関わり、気がつくと、非正規雇用労働・介助労働の陰謀家になっていた。妄想かもしれないが、今から考えると、すべてはバフチンのドストエフスキー論から学んだ気がする。もし私がかつての革命家たちの夢についていけないとして、どんな夢を見るのかと問われたら、すべての人が陰謀家にして、不具者にして、芸術家であるような世界と答えたい。それはちょっと厄介で少し住み難くて、とても面白い世界に違いない。六畳間の外には、そんな世界が広がっていたのである。万国の非正規労働者と障害者よ、六畳間の外に出よう!
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